象潟や蕎麦にたつぷり菊の花
守屋明俊
芭蕉が、象潟(秋田県にかほ市)を訪れたのは、元禄2年6月中旬のことだった。そのときに残した句で有名なのが、〈象潟や雨に西施がねぶの花〉である。「西施(せいし)」というのは、古代中国の美女のひとり。雨にしっとりと濡れた合歓の花を、絶世の美女に喩えることで、土地への挨拶している句だ。
一方で、明俊の句には「象潟食堂」との前書きがある。かの地で入った食堂で、「菊切り蕎麦」を注文したのだろう。重陽の節句(陰暦9月9日)に、新潟や東北の一部では、長寿を祈願して菊を練り込んだ蕎麦を食べるところがある。
黄色がかった蕎麦には、少し青くさい香が漂うが、この「たつぷり」には健啖家である作者らしいユーモアが含まれている。先の芭蕉句へのオマージュとしても上質な一句である。『象潟食堂』(2019)より引いた。
ちなみに、この地はもともと浅い海と小さな島々が織りなす景勝地であったが、1804年に大地震が起こったことで、海底が隆起して陸地になってしまった。
芭蕉の時代には「東の松島・西の象潟」と言われていたのはそのためだが、現在でも田園風景のなかに浮かぶ島々を見ることができる。
句のなかには書き込まれていないが、当然ながら「菊」の時期は、新蕎麦・新米のシーズンでもあり、酒では「ひやおろし」が出はじめる。句の背後に書き込まれている東北らしい風景が、さらに蕎麦の味わいを深めているようだ。(堀切克洋)