またたかぬ星脳天に太宰の忌 鷲谷七菜子【季語=太宰の忌(夏)】


またたかぬ星脳天に太宰の忌
鷲谷七菜子

 さくらんぼのパフェ、さくらんぼのミルフィーユ、さくらんぼのクレープ……先日、いちごとさくらんぼの二択になったとき、さくらんぼを選ぶということがあり、意外と自分がさくらんぼ好きなのだということに気がつきました二〇二六・梅雨☆。.:*・゜
 お昼休憩。そんなさくらんぼ入りのありえないほどかわいいデザートがいそがれながら、胃におさまってゆきましたとさ。そうして、何事もなかったようにおしごとタイピングでございます。みなさんも家事や仕事、お勉強の休憩にありえないかわいいものを召しあがってみてくださいませね。いつでもどうにでもなれる気がしてきますから。

☆。.:*・゜  

 のう、てん……みずからの頭のいただきに、しん、と空の黒に強まってちらちらとひからぬように星でいる星があって、ただずっとそこにある……とみる。骨があって、皮膚があって、髪の毛があるから、ほんとうにそのままの、脳の真上、ではないのだけれど、そんなことは誰もがわかっているのだけれど、脳の天から、さらに大きな天へ、この不安な暗さの空に、誰も居ない夜中に、自分の思考や記憶が詰まった脳みそ、そことこの星がなぜかつながってあるような、気がして……ああ、なんか、夜で、遠いし、へんだーと思う。ベランダから部屋に戻って、カレンダーをみたら、あ、きょうはこの日か…………というめぐりあわせ。自分の頭上だけでひかってくれている星などあるわけがないのに、そんな星がなんだかそこにあってならない気しかしないのは、へなへなしながら意味のわからない強さでかいてきてくださる物書きの方の命日だから、なの、か、…………なのか?日付はとっくのむかしに超えて、ねむれなさ、ねむたさ。

 またたく。なんとか生きながらている、でもあるのですね、その意味が。またたかぬ、ということはつまり……。手紙は遺書に、作品は遺作になる、悔しさ。それはそれで何かを傷つけてしまう気がするのだけれど、有名な忌日なんかにならなくていいから、もっとその手でかかれるものが……あってほしかったのに、と思いながら、もう四時じゃん。

☆。.:*・゜

 寒くても暑くても、自宅のベランダの柵にもたれかかって、顔をさかさまにして(※危ない)星をみるのを気に入っています。こんなところからでも、星がみえるんだーとなって、毎度毎度感動します。

 夕方になってから喫茶店へ出かけて、この文章を途中までかいた日、きょうがその忌日であったのだな、となりました(正確にはきょうと、遺体が発見された十九日)。それに、このお店からすこし歩くと、玉川上水がながれていて、水へと続く歩道には、春になれば桜が、いまは紫陽花がもわもわ咲いていますけれども、すぐそこは車通りの激しい道沿いであるのに、とんでもなく暗い、不思議な道なのです。

☆。.:*・゜

 掲句は春陽堂俳句文庫『鷲谷七菜子』より。
 文庫ってなんだかよいですね。何処へでもつれていってもらえそうです。表紙には大輪の、椿(にみえます)。

 鷲谷七菜子は大正十二年に大阪に生まれた俳人。のちに、山口草堂から譲り受け、結社「南風」の主宰となります。
 生後数ヶ月で上方舞楳茂都流の家元である祖父のもとに引き取られたことから、自身も舞の稽古を重ね、いずれは家元を継ぎたいと考えていたそうですが、家の事情や戦時中の混乱のために叶うことはありませんでした。
 
 わたしがこの本のなかで最もわすれられないなあと思ったのが……もちろん、ここでご紹介している俳句もそうなのですが、同書冒頭の対談「わが俳句を語る」の一節でした。

 鷲谷 俳句以外に何もないんですね。家庭的なこともいろいろありまして、何も望みがなかったんです。自分で働いても働いても生活していけないような時期があったんです。その時に必死で俳句にしがみついていたというか、自分にはこれしかないんだという気持ちがありましたね。

 村上(筆者注:村上護) それほどに俳句に魅力を感じられたのでしょうが、そこに人間存在の証しとしての俳句が生まれるわけで。

 鷲谷 単に人に誘われてちょっとやってみようか、というのではなくて最初にお話しました上方舞をやれなかったから、私はその代り俳句を一生の仕事としてゆこうと思ったんです。そういう気持ちで出発した限りは、どんなことがあっても辞められないという気持ちと意志。それと窮乏生活で何もない時に、私には俳句しかないんだという、一本の藁にすがりつくような気持ち。この両方でなんとか今まで来たんじゃないかと思いますね。

 これを読んだとき……ものすごくはっとなって、好きな絵をみつけてそこから離れられないときみたいな感情になったのです。

 「俳句しかない」とか、「俳句にしがみついている」とか、そういう言葉で、そういう気持ちを表すのをよしとしないとされるのを(あるいはそれ皮肉のように使われるのを)何度もみてきたから、全国に会員を持つまでの規模の結社の主宰にまでなったような俳人が(「俳句しかない」と言えるぐらいのものをかけた方なのですよ、それはすばらしくて、またご苦労や努力もあられたのですよ、ということは、そんなことは承知しております)、こうして残しておいてくれたことが、なんだかほんとうに、本当によかったというか、うそじゃない、と思えました。至極自分勝手な視点で受けとってしまっているかもしれませんが。

 俳句しかないけれど、俳句はある。もしも、たとえ、ぜんぜん俳句しかなくなかったとしても、もう、俳句すらなかったとしても、ひたすらそうしんじてかきつづけたあかつきには、ちゃんと花になって、舞うように散れるはず☆。.:*・゜

  闇深く舞ふ白きもの花かわれか 鷲谷七菜子

 
 作者と太宰とを一緒に語るのは違うように感じており、ふたりは対極に居るようにもみえます。どうでしょうか。わたしはふたりが何処に居たのか、何処に居ながらかきたかったのか、一生知ることはできない。
 しかし、作者の「俳句以外に何もない」という言葉を反芻し、そして自分のなかにいまあるふたりの作品を思いかえすと、です。大正、昭和という時代のなかで、ふたりは対極に居たかもしれないながら、落ちてしまった、こころの底の底のそのくろぐろとした場所で、かくことだけは手放さなかったときがあって、手放さずにはいられなかったときがたしかにあって、太宰はそれをみずから閉ざしてしまったけれど……。だからこそ、掲句はどんなことがあってもかくのを辞めないと決意した、鷲谷七菜子という書き手からの太宰治という書き手への追悼のようにも、無念さをともなった空虚な呟きのようにも感じられたのです。

  映し得ぬ身の内側や水澄みても 鷲谷七菜子

☆。.:*・゜

 三鷹駅を出ると、三鷹コラルという商業施設があって、この上に「太宰治展示室 三鷹の此の小さい家」という太宰の展示室があります。街を歩けば太宰治文学サロンなんかもあり、三鷹市の英雄か何かのような活躍ぶりにちょっとおかしくなってしまいますね。
 日々が、あんまりだなあというときはこの展示室へ出かけて、ほかにどなたも居なければ、展示室の和室部分でしばしの間ぼーっとして、好きな喫茶店でお茶をして帰るというのがわたくしのミタカ・ルーティン(聞いたことない)なわけですが、そんな人も、国立天文台も、太宰治もジブリも受け入れてくれる懐の広い街なのです。三鷹は……。
 三鷹市のまわし者?みたいな。最初、ここに太宰のことをかいたものの、たらたらたらたら長くなって全削除しましたよん。もうすでに長いのに。その結果、まわし者スタイルです。過去に、なんか駅大きいし、広いし、特快停まるのに何もないよね(笑)とか言ってしまったことを謝りたいです。何にもなくてもその懐の広さがあれば、何もいらないです。俳句も何もなくなってしまって何もないなあとなったら、三鷹市に拾ってもらいます(強気3)でも、自分から手放してしまわないように念じます。

 わーん、わたくしだけ、毎週「ヨダンノミカタ」を連載させていただいてしまっている(大汗)(大汗)と思うときが、ありますね……!
 おいおい、何じゃこれは……となりながらでも、読んでくださったそのゆびが(ありがとう)(強気4)、いい方向へみちびかれるように願っております☆。.:*・゜

おおにしなお


【執筆者プロフィール】
おおにしなお
平成十年、東京都生まれ。俳句をかきます。



橋本直さんが〈のこるたなごころ白桃一つ置く〉(小川双々子)について書かれている書はこちら。

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