
半身が点描になる心太
島崎寛永
掲句は「ASYL」13号「意味を離れて」より。作者はこの号より「ASYL」同人。「雪華」同人、札幌市出身、茨城県在住。
心太とまじまじと向き合うほどに、なんとも不思議な食べ物であると実感する。無味無臭で味付けが必須。形を保ってはいるものの、箸で摘めば意図しない切れ方をする。そもそも透明である。飲み物ならともかく、透明の食べ物はそう無い。心太が生まれた時代に、一皿を通して涼感を楽しんでいた人々にも思いを馳せたくなる。
さて、掲句では心太を食べ進むほどに「半身が点描になる」という。多様に解釈できる形容だが、一読で涼やかな風を受け入れる身体を感じて惹かれた。
点描の身体は、ひとつ次元を落とし、複雑な思考から解き放たれて自由に風を通すのだろう。初読の印象では点描になるのは上半身だったが、下半身が点描になって重力から解き放たれるのもまた素敵である。左右どちらか、日が当たる方の半身という読み方も面白いかもしれない。
点描という言葉からは涼しさと同時により鮮烈な影光を思えることも、この句の魅力を深めている一因だと思われる。小さな点の細やかな疎密で濃淡を表現する画法の、限りなく面に近い点の集まりの黒さが読後の視野に強く残っている。
表題句は
色は意味を離れて色の足りぬ汗 寛永
色が喚起するイメージは言語的な意味よりもはるかに広大であり、共通の認識として速度をもって我々の脳内に浸透してくる。その中で汗や涙のような、人間から生じる無色のものにうっすらとした戸惑いを抱いているのである。一連を通して色と身体性に力強く向き合っている中で、透明の心太や汗の存在の不思議さが浮かび上がってくる。意味の向こうにある感覚を呼び覚ましながら全身で感じたい連作で、魂の重さがしっかり乗っており、読むほどに違う角度の魅力を発見した。
俳句の世界ではそろそろ秋とは言うものの、とにかく暑い日が続いており、夏バテに夏バテを重ねているために涼しそうな句で連載をスタートしてみようと思ったが、実は熱量の高い俳句で読むほどに体温が高くなり、生命力が溢れる。目論見は外れたが、元気を届けられそうである。
本日より初秋にかけて、最近惹かれた俳句を中心にご紹介させていただきます。お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
(野城知里)
【執筆者プロフィール】
野城知里(のしろ・ちさと)
2002年埼玉生。梓俳句会会員、未来短歌会会員。第12回星野立子新人賞、第70回角川俳句賞佳作。
【管理人より】ハイクノミカタ(2025.1月-2月)連載分もお見逃しなく!(全8回)
