【連載】落語と俳句 行ったり来たり/三橋五七【第7席】


【第7席】
桂米朝の落語


八十八の頭脳枯れたり春くるる  桂米朝


上方落語中興の祖と言われる桂米朝の晩年の高座で、噺が前に戻ってしまうのを目撃したことがあります。すでに演じた部分をまた演じ、堂々巡りのようになってしまったのです。

僕も含め、観客の多くがそれに気づいたはずですが、客席がざわつくことはありませんでした。一席を終えて米朝が頭を下げると、大きな拍手が沸きました。高座から姿を消した後、周囲からは「噺が戻っちゃったね」「でも、生の米朝を見られただけで十分だよ」といった会話が聞こえてきました。

昭和の名人、桂文楽は、高座の途中でせりふを失念してしまい、「申し訳ありません。もう一度勉強をし直してまいります」と深々と頭を下げ、二度と高座に上がることはありませんでした。一説によると、高座で失敗したときのための「勉強し直してまいります」というせりふも練習していたとか。名人の美学として語られることの多いエピソードですが、落語ファンの立場からすれば、大好きな噺家は、たとえ全盛期を過ぎた「老いた」芸であっても、生で見られるだけで十分です。しかし、演者自身にとっては、自らの芸の衰えを衆目にさらすことは、苦痛に近いのでしょう。

冒頭の一句は、米朝の2011年の作。八十八(やそはち)は「米」の字を分解した米朝の俳号です。2009年に脳梗塞、次いで脳幹出血で入院し、高座から徐々に遠ざかっていった米朝の思いが、「頭脳枯れたり」という直截な言葉に表れています。米朝が亡くなったのは2015年。八十八(やそはち)を一歳上回る、89歳での大往生でした。

寄席演芸の世界で唯一の文化勲章受章者である米朝にとって、「頭脳」は極めて重要なものだったはずです。立川談志は著書『談志百選』(講談社)の中で、米朝についてこう書いています。

「下手あすりゃあ“影も形もなくなっちまう”ところまできてしまっていた上方落語を、影から形にし、それを活かして今日を築いたのだから、何度褒めても褒めたりない」
「上方の咄家共、ファン、すべてが『桂米朝に感謝すべし』なのだが……」

口の悪い談志をして、ここまで言わせるのは、米朝の上方落語復興への貢献ゆえでしょう。そして、その復興を支えたのが、米朝の明晰な頭脳でした。

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