青年鹿を愛せり嵐の斜面にて
金子兜太
「斜面」を「なぞえ」と読んで句がよく響く場合もあるが、この句としてはやはり「しゃめん」と読みたい感がある。
青年期の性の不安定性といったよく流布された言説に回収させるかたちで、この「青年」と「鹿」の関係を意味づけ終えてしまうのは面白くないし、それをエキゾチックな関係として恍惚と味わわんとするエロティシズムの底の浅さが、たまらなくうすら寒く感じる。
こうした方向の読みを選択した場合、その関係に伴って「嵐」や「斜面」も不安定性の象徴として事を得てしまい、また、なにより「鹿」が「動物」であることと大して変わらないようなかたちで平板に読み置かれるように、そのように読みの中で処理されやすいように思う。ここに平板化された「鹿」には、実に人間中心的な立場から動物たちを考え、その個々の特殊性を抹消し、一様化して「他者」に据えるような安直な読みの姿勢が露呈されているように思われる。
いや、またはこうした読みを誰が行い、そこで動物やジェンダーに関する如何様な言説が再構築され、何が強固に守られてきたのかを問うべきだろうか。動物とジェンダーの観点から俳句が捉えなおされるようなことがあれば、とても面白いのだが。
(安里琉太)
【執筆者プロフィール】
安里琉太(あさと・りゅうた)
1994年沖縄県生まれ。「銀化」「群青」「滸」同人。句集に『式日』(左右社・2020年)。 同書により、第44回俳人協会新人賞。
【安里琉太のバックナンバー】
>>〔4〕青年鹿を愛せり嵐の斜面にて 金子兜太
>>〔3〕昼ごろより時の感じ既に無くなりて樹立のなかに歩みをとどむ 佐藤佐太郎
>>〔2〕魚卵たべ九月些か悔いありぬ 八田木枯
>>〔1〕松風や俎に置く落霜紅 森澄雄
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