アゴラ・ポクリット

引退馬支援と『ウマ娘』と、私が馬を詠む理由


このコーナーは不定期更新の自由な「提言」のコーナーです。
セクト・ポクリットの「アゴラ=ひろば」です。
俳句に関することでも、そうでないことでもOK。
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(原稿の採否は管理人にご一任ください)


アゴラ・ポクリット
【#4】
引退馬支援と『ウマ娘』と、私が馬を詠む理由

笠原小百合


ここ最近、競馬が身近な存在になったという知人が急激に増えた。
トウカイテイオーライスシャワースペシャルウィークゴールドシップ──。
今まで競馬の話などしたことがなかった人から、往年の名馬たちの名前がすらすらと出てくる。
競馬ファン歴30年を超えている私は、その様子に驚きと喜びと戸惑いを隠しきれない。

急に知人らが名馬の名を口にしはじめたのは、『ウマ娘』というゲームが理由だ。
名馬と同じ名を持つ女の子たちがレースで勝利を目指すといった、育成をメインとしたゲームである。
レースに至るまでに調教をして能力値を上げたり、女の子とのコミュニケーションを楽しんだりすることも出来る。
女の子たちの容姿や性格などの設定は元となった名馬の特徴や細かい癖をよく捉えている。
作り手側の競馬への愛情溢れるゲームだと個人的には感じる。

ウマ娘でも人気のゴールドシップ。=筆者提供=

そんな製作サイドの競馬愛が通じたのか、このゲーム『ウマ娘』は現在大流行しているというのだ。
そしてこの競馬をテーマとしたコンテンツの流行は、実際の競馬業界への影響も大きく、中でも引退馬支援の活動に大きな変化を(もたら)している。

引退馬支援とは、競馬を引退し行き場をなくした競走馬たちへの支援のことだ。
現在の日本では毎年約7000頭の競走馬が生産されているが、競馬の世界に残ることの出来る馬はそう多くない。
引退して種牡馬、繁殖牝馬となれる馬はほんの一握り。
幸運が重なれば乗馬というセカンドキャリアに繋がるが、人を乗せることが難しい年齢になってしまうと行き場はほぼないと言っても過言ではないだろう。
馬の寿命は約30年と言われており、天寿を全うするのはとても難しいというのが現状なのだ。
どうにか命を繋いであげたいという思いはあっても、状況により一概に言えないが、餌代などの飼育費は1頭につき月約10万円が必要となる。
怪我や病気となれば治療費もかかるし、そもそも狭い日本には毎年生産され続ける競走馬全頭を養うスペースもない。
そんな事情も複雑に絡み合い、競馬引退後の馬たちの「その後」を追ってはいけない、というのが競馬ファンの間では暗黙の了解という時代が長らく続いた。

誘導馬のいる景色。誘導馬も引退馬が務めることが多い。=筆者提供=

東京競馬場の誘導馬。マイネルホウオウ。=筆者提供=

しかし近年、競馬ファンの間では引退馬支援の動きが活発となってきている。
支援の理由は人それぞれだが、共通しているのは「馬が好き」という思いだ。
馬のために何か出来ないだろうかと考え、引退馬支援に行き着いた人も多い。
競馬を楽しむだけ楽しんで、引退した後は見て見ぬ振りという状況に耐えられなくなったという人もいる。
また、騎手や調教師をはじめとする競馬関係者からの引退馬支援への呼びかけも増えつつあり、それも近年支援活動が進んできたひとつの大きな理由と言えるだろう。
私も2つの引退馬支援団体に入会しており、僅かながら毎月の支援を続けているのは、とにかく「馬が好き」という思いからだ。

このように次第に浸透しつつある引退馬支援の活動は、今年に入って大きな変化を迎えた。
そのきっかけが冒頭の『ウマ娘』である。
『ウマ娘』に出てくる女の子たちは現役の競走馬ではなく、すでに引退している競走馬を元に描かれている。
結果、元となった競走馬のお墓参りに訪れたり、実際に牧場へ会いに行ったりするウマ娘ファンが現れたというのだ。
またウマ娘ファンの間では、『ウマ娘』の元となったまだまだ元気に暮らしている馬たちへの支援の動きまで起こっているという。

しかしそれを知った当初、私は懐疑的な考えを拭えなかった。
「ゲームのキャラクターになったからと言って、実際の馬への支援がそう簡単に集まるものだろうか」
それは、今まで引退馬支援への取り組みがすんなりとは進んでこなかったことから出た考えだった。
「そんなに上手いこといくわけがない」
そう思っていたのだ。

しかし、その考えは改めなくてはならなくなった。
きっかけは、ナイスネイチャのバースデードネーションというキャンペーンの結果だった。
引退馬協会という認定NPO法人があり私も会員となっているのだが、そこでナイスネイチャという馬のバースデードネーションが行われた。
バースデードネーションとは、誕生日を祝うプレゼントの代わりに、その人が支援している団体に寄付をするというキャンペーンのことで、引退馬協会では広報部長であるナイスネイチャの誕生日に毎年行っている企画である。
そして今年のナイスネイチャバースデードネーションは、16,000人以上もの人が支援をし、寄付の総額は3500万円という驚きの結果となった。
言うまでもなくナイスネイチャは『ウマ娘』に登場しており、その影響でこんなにも高額の寄付金が集まったのだと考えられる。
このことはSNSやニュースサイトなどでも多く取り上げられ話題となったが、引退馬支援を呼びかけていた側としてもこれには非常に驚いた。

=筆者提供=

今まで私は引退馬支援について自分なりの発信を続けてきたつもりだった。
ライターとして、WEBサイトや競馬雑誌に引退馬についての記事を書くこともあった。
けれどそれらの地道とも言える活動の中では、支援者を増やすことは難しかったし、増えているという実感は殆どなかった。
どんなに誠心誠意気持ちを伝え、現状を訴えてきたとしても、ゲームなどひとつの大きなコンテンツが持つ影響力には敵わないのかもしれない。
愚直に訴えて続けていくだけでは乗り越えられない壁があることを思い知った。

そんな風に自身の今までの活動を省みつつも、入り口が何であれ、仲間が増えることは大歓迎だった。
引退馬支援を知り、興味を持ち、実際に支援する人が増えることはとても喜ばしいことである。
そういった意味でも私は『ウマ娘』にとても感謝している。

———

『ウマ娘』のおかげで、競馬を身近に感じるようになった人は多い。
では、実際の馬についてはどうだろうか。
馬とふれあい、馬に乗り、馬と生きる。
かつてはそれが日常の光景であったのだが、現代でそのような生活を送るのはなかなか難しい。
なかなか難しいというのは、そうしたいと思っても実現出来る環境にないということ。
そして実現出来る環境にないというのは、第一に想像が出来ないからというのも理由になっているように思う。

馬とどうやって触れ合ったら良いのかわからない。
コミュニケーションを取ろうにも、どこを撫でて良いのかわからない。
馬の生態をそもそもよく知らない。
馬に対して何をして良くて、何が駄目なのかわからない。
現代に生きる人たちのとっての馬とは、そんな「わからない・知らないこと」だらけの存在なのではないだろうか。

しかし、現代でも馬と生活をともにしている人はいる。
それも競馬や乗馬クラブの関係者というような類の人ではない。

私は相馬野馬追に参加している引退馬に会うため、南相馬へ取材に行ったことがある。
2019年の夏、車で取材先へと向かう途中のことだった。
家の庭先に小さな放牧地があり、そこに馬が放たれているのを目にして衝撃を受けた。
それも一軒だけではなかった。
少し車で行けばまた、もう少し行けばまた、馬が庭に放たれているのだ。
馬と人がともに生きていける場所がまだ日本にあるということに感動を覚えたことを記憶している。

相馬野馬追の行われる雲雀ヶ原祭場地。=筆者提供=

私が取材をした南相馬の人たちは相馬野馬追を何より大切にしており、必然として野馬追に出陣する馬たちのこともとても大切にしていた。
そして何より「馬が好き」という思いを大切にされていた。
祭事に参加するという役割を与えられた馬たちは人々に愛され、実に平穏な日常を送っており、私は「ここは理想郷か」とすら思ったほどだった。

このように、馬の役割を作っていくことも引退馬支援には重要だと私は思う。
現在、馬と言えば乗馬、競走馬として活躍することが多いが、他にもセラピーホースやテーマパークのスタッフとしての役割を得て暮らしている馬もいる。
「ここに行けば馬に会える」という場所がもっと増えていくことで、引退馬の受け入れ先は増えていき、1頭でも多くの馬の命を繋ぐことが出来ると私は考える。
馬に気軽に会える環境を作っていくことは、現代に生きる人々に馬を身近な存在と感じてもらうチャンスを作ることだ。
それが上手くいけば結果として馬を扱うことが出来る人が増え、業界の人手不足解消にも繋がっていくし、馬への理解が進めば引退馬支援の可能性も広がっていくだろう。
まずは馬と人との距離を縮めること。
それが現在の引退馬支援においても、何よりも大切なことなのではないだろうか。

引退競走馬で現在は野馬追で活躍するシルクメビウス。=筆者提供=

———

最後に、折角の俳句サイトへの寄稿ということで、俳句から馬と人との関係をみていこうと思う。
かつての俳人たちは、身近な生活の一部に存在する馬を句として残してくれている。

道のべの木槿は馬にくはれけり  芭蕉
代かくやふり返りつつ子もち馬  一茶
軒下に繋げる馬の片かげり  高浜虚子
麦車馬におくれて動き出づ  芝不器男

しかし現在に近づくにつれ、農耕や交通のための馬の姿は描かれにくくなってきた。

来世には天馬になれよ登山馬  鷹羽狩行
馬を見よ炎暑の馬の影を見よ  柿本多映
仔馬連れ乗馬クラブのビラ配る  柏原眠雨
永き日の桶をあふるる馬のかほ  津川絵理子

私たちは芭蕉や一茶と同じ景色を詠みたくとも、先人たちと同じような実感を持って詠むことは出来ないだろう。
私も馬の句をよく詠むが、当然だが、自分の知っている馬の姿しか詠むことが出来ない。
馬が生活の一部として存在している景は、現在ではほぼ失われてしまった。
交通の発達や機械技術の進歩により私たちの生活は便利になったが、その代償として多くの馬たちは行き場をなくしてしまったのだ。

ダービーデーの東京競馬場。=筆者提供=

今、馬の存在、その頼もしさ、大切さを感じることは難しい社会となってしまっていることは否めない。
それでも、私は馬を詠むことで馬の存在を伝えたい。
馬を身近に感じること。誰かに感じてもらうこと。
それこそが引退馬支援の第一歩だと、今までずっとそう思って活動してきた。

馬と生きる社会を再構築していくこと。
馬と人の心を再び結んでいくこと。

『ウマ娘』のような影響力はないとしても、拙いながらも愛情を持って馬の句を詠み続けることは、私にとって細く眩い光を手繰り寄せるような希望に満ちた行為なのである。

などと格好良くまとめてしまうことも出来るが、結局私はこの命ある限り、愛しい存在を愛しいと叫び続けていたいだけなのだ。

中山競馬場のハイセイコー像。=筆者提供=


【執筆者プロフィール】
笠原小百合(かさはら・さゆり)
1984年生まれ、栃木県出身。「田」俳句会所属。俳人協会会員。引退馬ファンクラブTCC会員。引退馬協会FP会員。競馬と俳句の人。ブログ「俳句とみる夢」をゆるゆると運営中。


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