手をあげて此世の友は来りけり
三橋敏雄
21世紀の幕開けは、ワールドトレードセンターに突っ込む旅客機という殉教と憎悪のファンファーレであった。それから四半世紀が過ぎたが、あまりにも複雑に絡み合った欲望と思想のうねりが、9・11も通過点に過ぎないほどになお世界を歪ませ続けている。愚かさと間違いを承知で原因を求めるなら、一つは第二次世界大戦後の東西冷戦にイスラム原理主義の台頭が重なり、1979年のソ連のアフガニスタン侵攻に対してアメリカを含む西側の支援を受けたイスラム側の抵抗勢力が、やがて過激派組織アルカイダ誕生の母体となったこと、もう一つはアラブ諸国との対立の中、パレスチナ分割決議をもとにした1948年のイスラエル建国宣言と即時のアメリカによる国家承認、そして継続的な軍事支援によるイスラエル側のパレスチナへの占領と入植が引き起こしたイスラム世界の反ユダヤ感情と憎悪の蓄積である。西洋とイスラム世界は、あるときは共産主義に対する共闘を見せ、あるときは石油や天然ガス利権と宗教を剣と盾として殺し合っている。そして今、アメリカは国内外のシオニストたちの猛烈な支持のもとイスラエルの暴虐に追従し、パレスチナ情勢はかつてない悍ましさを見せている。
ハマスへの報復を理由としたパレスチナへの攻撃は、現代のホロコーストと化してなおも止むことなく続いている。昨年11月、そして今年6月にも提出されたガザ地区における「無条件かつ恒久的な」即時停戦を求める決議案の採決も、国連がハマスをテロ組織と指定していないことを理由にアメリカが反対し、否決された。学校を、病院を、避難所を、救援物資に群がる人々を、絶えず爆撃して地図は塗り替えられていく。ネタニヤフの悲願の果てに生まれるのは、新たな憎悪のみだろう。
世界は、私たちは、いまだ憎悪の連鎖のさなかにいる。戦後80年経過してなお、何も清算できていないし、これからもなされない。憎悪の半減期は人の寿命より長いのだ。それならば私たちは、絡み合う思惑の糸を解きほぐし、欲望が暴走しないよう、思想が暴力を持たぬよう、憎悪が正当化されぬよう、権力を監視し、声をあげ続ける必要がある。
掲句は句集『巡禮』より。なんてことはない友との待ち合わせの場面。よお、と軽く手をあげながら歩みくる友に白昼の幻として重なり合うのは、かつて万歳をしてされて、死に行かされた友たちの姿。「此世の友は」という限定はあまりにも強く、重く、逆説的だ。彼世の友はもう来ることはないと、突如去来する無念さ。復興と高度経済成長を経て、時代が再び戦争を忘れそうになるたびに警鐘を鳴らし続けた気骨と、敏雄が背負わされた友たちの無念さを思う。そして何より、現代を生きる私たちが友と再会するたびに、この句は喪われた彼世ものたちへの扉をひらく。押し込められた憎悪が今また噴出しようとしている時代に、私たちは彼世を省みて、より良い未来への選択肢を選び続けなくてはならない。此世の友とまたどこかで再会するために。
(古田秀)
【執筆者プロフィール】
古田秀(ふるた・しゅう)
1990年北海道札幌市生まれ
2020年「樸」入会、以降恩田侑布子に師事
2022年全国俳誌協会第4回新人賞受賞
2024年第3回鈴木六林男賞、北斗賞受賞
2025年第2回鱗-kokera-賞受賞
【2025年9月のハイクノミカタ】
〔9月1日〕霧まとひをりぬ男も泣きやすし 清水径子
〔9月2日〕冷蔵庫どうし相撲をとりなさい 石田柊馬
〔9月3日〕葛の葉を黙読の目が追ひかける 鴇田智哉
〔9月4日〕職捨つる九月の海が股の下 黒岩徳将
〔9月5日〕ありのみの一糸まとはぬ甘さかな 松村史基
〔9月6日〕コスモスの風ぐせつけしまま生けて 和田華凛
〔9月7日〕秋や秋や晴れて出ているぼく恐い 平田修
〔9月8日〕戀の數ほど新米を零しけり 島田牙城
〔9月9日〕たましいも母の背鰭も簾越し 石部明
〔9月10日〕よそ行きをまだ脱がずゐる星月夜 西山ゆりこ
【2025年8月のハイクノミカタ】
〔8月1日〕苺まづ口にしショートケーキかな 高濱年尾
〔8月2日〕どうどうと山雨が嬲る山紫陽花 長谷川かな女
〔8月3日〕我が霜におどろきながら四十九へ 平田修
〔8月4日〕熱砂駆け行くは恋する者ならん 三好曲
〔8月5日〕筆先の紫紺の果ての夜光虫 有瀬こうこ
〔8月6日〕思ひ出も金魚の水も蒼を帯びぬ 中村草田男
〔8月7日〕広島や卵食ふ時口ひらく 西東三鬼
〔8月8日〕汗の人ギユーツと眼つむりけり 京極杞陽
〔8月9日〕やはらかき土に出くはす螇蚸かな 遠藤容代
〔8月10日〕無職快晴のトンボ今日どこへ行こう 平田修
〔8月11日〕天上の恋をうらやみ星祭 高橋淡路女
〔8月12日〕離職者が荷をまとめたる夜の秋 川原風人
〔8月13日〕ここ迄来てしまつて急な手紙書いてゐる 尾崎放哉
〔8月14日〕涼しき灯すゞしけれども哀しき灯 久保田万太郎
〔8月15日〕冷汗もかき本当の汗もかく 後藤立夫
〔8月16日〕おやすみ
〔8月17日〕ここを梅とし淵の淵にて晴れている 平田修
〔8月18日〕嘘も厭さよならも厭ひぐらしも 坊城俊樹
〔8月19日〕修道女の眼鏡ぎんぶち蔦かづら 木内縉太
〔8月20日〕涼新た昨日の傘を返しにゆく 津川絵理子
〔8月21日〕楡も墓も想像されて戦ぎけり 澤好摩
〔8月22日〕ここも又好きな景色に秋の海 稲畑汀子
〔8月23日〕山よりの日は金色に今年米 成田千空
〔8月24日〕天に地に鶺鴒の尾の触れずあり 本間まどか
〔8月26日〕天高し吹いてをるともをらぬとも 若杉朋哉
〔8月27日〕桃食うて煙草を喫うて一人旅 星野立子
〔8月28日〕足浸す流れかなかなまたかなかな ふけとしこ
〔8月29日〕優曇華や昨日の如き熱の中 石田波郷
〔8月29日〕ゆく春や心に秘めて育つもの 松尾いはほ
〔8月30日〕【林檎の本#4】『 言の葉配色辞典』 (インプレス刊、2024年)