口中のくらきおもひの更衣
飯島晴子
掲句の「更衣」は、綿入から袷へと改める、本来の「更衣」を思い浮かべるべきだろう。晴子が西陣の機織の血筋を持つことから言っても、晴子の作品の性格からも言ってもそのように思う。古い薄暗い、少し蒸し暑い部屋で、渋い色の袷をひろげている様子が想像される。外の白い太陽や青い木々と、口の中の暗さやねばつきとを同時に意識するような、外向性と内向性とが共存している感じがある。「おもひの」というところから、口中がただの空間ではなく、何かもっと人間的な質量を持ったようなものである気がしてくる。
晴子にはそのような性質の句が少なくない。内向性に関して言えば、もちろん心や脳の奥深くまで意識の届く句もあるが、掲句のように、顔のあたりで止まっている句に特徴があると思う。例えば、〈大瑠璃の谿童顔をためらへり〉〈顔すゑてをらばや紫式部の実〉〈かげろふに顔色ひくを覚えけり〉。いずれも自分自身の顔の表面及びその直下数センチ程度のところを感じている。そのような場合、深くまで意識が達することを阻む何か、それは考えであったり感情であったりが存在するのだと思う。その微妙な気分を味わいたいのである。
外側への意識の遠さは必ずしも内面への意識の浅さと対応する訳ではなく、大瑠璃や陽炎の句は比較的遠くを意識しているのに対して、紫式部の句は目の前を意識している。その組み合わせもまたそれぞれの句に複雑さをもたらしており、味わい深くなるのである。
(小山玄紀)
【執筆者プロフィール】
小山玄紀(こやま・げんき)
平成九年大阪生。櫂未知子・佐藤郁良に師事、「群青」同人。第六回星野立子新人賞、第六回俳句四季新人賞。句集に『ぼうぶら』。俳人協会会員
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