白熱句会の思い出など
佐怒賀正美(「秋」主宰)
神保町の交差点から専修大学方面に少し入った小路に「銀漢亭」はあった。オープンした頃、私は近くの出版社に勤めていたので、ふだんの散歩道でもあった。昼間は、両隣の店の間に息を潜めたような薄暗い佇まい。入口には誰もいない小さな木のテラスがしょぼんとしている。だが、夕暮れ頃からは、俳人たちで活気を増す。「天為」の編集室がすぐ近くにあったので、毎月の夜の編集部句会に参加した後、ぶらりと立ち寄ることになった。
しばらくするうちに年4回開催の「白熱句会」にお誘いいただいた。店の奥の小さな細長いテーブルを囲んでの超結社句会である。ここだけスツールのような木椅子がある。メンバーは、伊藤伊那男、水内慶太、小山徳雄、檜山哲彦、井上弘美、藤田直子、木暮陶句郎、佐怒賀正美の8名(近頃、弟の佐怒賀直美が加わり現在では9名)。句会は1人10句持寄り。現代俳句協会員は私のみだったが、皆自分のスタイルは主張しながらも、よい句には共感し率直な感想を述べてくれた。
もちろん、俳句がいちばんの楽しみだが、もう一つの楽しみは伊那男さんの用意してくださる手料理であった。私の座る後ろの壁越しに小さな調理室があり、その覗き窓から料理を手際よく出してくださる。伊那男さんは他の客の料理も作りながら句会に参加してくださった。ここでは地方から送られてくる鮮度よい野菜や魚介などが出される。銀漢亭でいただく海鞘(ほや)やからすみなどは絶品だった。そして煮物などには伊那男さん流の仕込みがされていて、酒との相性が抜群。ほろ酔いながら、よもやま話も加えて、お互いに句会の余韻を夜遅くまで楽しむのだった。
この句会に参加している間にも、いろいろな俳人たちに出合った。檜山哲彦さんの若きパートナー、堀切克洋さんのご家族、など俳人周辺の人々ともお会いできたし、外国人の客が来ていたこともあった。在米の青柳フェイさんも、サンフランシスコからやって来るたびに銀漢亭に立ち寄っては、俳句仲間たちと「歓迎会」を楽しんでおられた。(写真はその折のもの。)
あるいは、久々に店に入ると、カウンターにエプロン姿の天野小石さんや、太田うさぎさんが立っていたり、楽しいサプライズも待っていた。若い俳人も多かったが、大先輩の俳人がべろべろに明るく酔っぱらっていたこともあった。俳句が好き、というだけで分け隔てなく老若問わず、こんなに楽しい時間を共有できることがうれしかった。俳人たちの詩の酩酊への夢を詰めこんだ方舟、そんな銀漢亭の細き奥ゆきをいまは懐かしく思う。
あの壁いっぱいの壁紙のたくさんの蝶たちはどうなったかなあ。伊那男さん、長い間ほんとうに有難うございました。
【執筆者プロフィール】
佐怒賀正美(さぬか・まさみ)
学生時代より石原八束、有馬朗人に師事。現在、「秋」主宰、「天為」特別同人。現代俳句協会副幹事長・広報部長、専修大学客員教授、NHK俳句教室講師など。句集に『意中の湖』(1998)・『光塵』(1996)・『青こだま』(2000)・『椨(たぶ)の木』(2003)・『悪食の獏』(2008)(以上、角川書店刊)・『天樹』(2012)(現代俳句協会刊)・『無二』(2018)(ふらんす堂刊:2019年第74回現代俳句協会賞受賞)。