心の奥の書
金井硯児(「銀漢」同人)
2011年3月11日に勃発した東北大震災の日から暫く時間が経過した夏の或る日の午後、会社の倉庫として借りていた神保町の部屋に籠って書類の整理をしていた。もう日が傾き始めたころ喉の乾きを覚えて部屋を出て左へ歩きだした。そこから銀漢亭の入口まではおよそ100メートルの距離であった。いわばご近所さんに気軽にビールが飲める場所が欲しいなと考えていた。その時お店の中は開店前で薄暗く長細いカウンターには客もスタッフもいなかったことを記憶している。そこが俳句の世界へと繋がる入口であることは全く無知であった。それから初めて句会に出るまでに数カ月を要し、遂にその年の12月に銀漢句会の見学者として初参加した次第である。
なんらの予備知識もなくいきなり高いレベルの句会に参加したのだから戸惑ったのは当然であった。それでも周囲の方々に暖かく見守っていただいた。三ケ月位経ったころ主宰に言葉をかけていただき「やっと五七五の形ができてきた」と励まして頂いた。今思うと顔が赤くなるような思い出であるが、同時に自分の出発点を忘れないための大事な思い出でもある。主宰は俳句の勉強のことを「兎と亀のレース」に譬えてお話しされていた。その譬えにならえば私の俳句の歩みは正に「亀」である。この頃俳句は自分には縁遠い場違いな世界のように感じたことがあった。
しかし銀漢亭で出会う才人たちとの語らいに抗うことはできず俳句を続けることができたと思う。ここでは俳句の世界だけではなく多方面の人たちよりたくさんの刺激を頂戴した。それを糧として自分の心の奥に仕舞ってあったライフワークである「書への創作意欲」を掻き立ててもらった。伊藤伊那男主宰のご厚意に甘えて拙い書作品を銀漢亭の壁に展示させていただいたりした。
しかし乍ら俳句の歩みは実にのろのろとしていたので、流石に大先輩から「酒を飲むために結社に参加しているのか」と冗談まじりの小言をいただくようになった。実のところご指摘は概ね正しいので小言を言われてもあまり腹も立たなかった。銀漢亭がなくなった今、自身の生活の中に大きな穴が空いてしまった。銀漢亭の存在が如何に大きなものであったのかを噛みしめている。このような感慨を多くの皆さんと共有できる空間を提供してくださる本プロジェクトに感謝しながら本稿を寄せる次第です。
【執筆者プロフィール】
金井硯児(かない・けんじ)
「銀漢」同人。
【神保町に銀漢亭があったころリターンズ・バックナンバー】
【7】中島凌雲(「銀漢」同人)「早仕舞い」
【6】宇志やまと(「銀漢」同人)「伊那男という名前」
【5】坂口晴子(「銀漢」同人)「大人の遊び・長崎から」
【4】津田卓(「銀漢」同人・「雛句会」幹事)「雛句会は永遠に」
【3】武田花果(「銀漢」「春耕」同人)「梶の葉句会のこと」
【2】戸矢一斗(「銀漢」同人)「「銀漢亭日録」のこと」
【1】高部務(作家)「酔いどれの受け皿だった銀漢亭」
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】
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