ゆず湯の柚子つついて恋を今している
越智友亮
(『ふつうの未来』)
作者は、平成3年生まれ、甲南中学校在学時に句作開始、平成18年第三回鬼貫青春俳句大賞受賞。翌年より、池田澄子氏に師事。
私が初めて越智友亮さんに会ったのは、神保町の「銀漢亭」である。若手俳人アンソロジー『セレクション俳人+(プラス) 新撰21』(邑書林 平成21年)の最年少入集者で、当時は18歳であった。気さくというよりは人懐こく、時にはお調子者にも見えた。話をしていると私まで学生に戻れるようなノリの話し方であった。
次に会った時は、酒を飲んでおり、「二十歳になりました」とビールを注いでくれた。大人ばかりの俳人達に気を遣っているかと思えば、急に俳句結社の批判を始める。結社無所属の友亮さんは、たくさんの人から結社に誘われていて、断るのにも疲れていたのだろう。また、俳句甲子園の仲間たちが次々と結社に入り頭角を現し、淋しかった時期でもある。今にして思えば、無所属のままだからこそ自由に詠めたのだ。若さゆえの生意気さも新鮮で輝いて見えた。友亮さんの就職が決まった時は、「銀漢亭」で盛大に祝った。いつまでも少年のままでいて欲しいという気持ちとともに。
就職した春の頃から友亮さんを見かけなくなった。仕事が忙しいとか、彼女ができて夢中になっているとか、そんな噂が流れた。いつしか、誰も友亮さんのことを話さなくなった。数年後の春、若手俳人が集まるパーティーで友亮さんを見た。「今日はユースケも来てたね」と言うと、みな「来てないよ。いるわけないじゃん」と答える。あの横顔と笑い声は、確かに友亮さんだった。その日は、俳句甲子園出身の若者がたくさん集まっていたので、誰か一人ぐらい似た人がいたのかもしれない。学生の俳人達は越智友亮の名を知らなかった。友亮さんが消えて10年も経っていないのに。居るとうるさいけれども居ないと淋しいヤツなのだ。「なぜこの場にアイツはいないんだよ」と怒りのようなものがこみ上げてきた。
句集『ふつうの未来』が送られてきたのは、それから間もなくのことであった。令和4年出版。友亮さんは31歳になっており、結婚して子供もいるらしい。俳句をまだ続けていたのだという喜びよりも、過ぎた年月の長さに驚いた。もう少年ではなくなった友亮さんの句集のなかには、少年の日のユースケがいた。
草の実や女子とふつうに話せない
すすきです、ところで月が出ていない
実は、繊細な性格らしい。思春期の少年は、女子と普通に話せないものだ。草の実のように小さく殻に閉じこもった自分、ときには風に吹かれておどけ者になる自分を冷静に描いている。〈すすきです〉の句は、「芒です」と言っているようにも「す、好きです」と言っているようにも見える。はぐらかすように「月が出てないな」などとあらぬ方角を眺める。恋に進めることのできない不器用な会話が滑稽で微笑ましい。
マフラーに顔をうずめる好きと言おう
失恋を鯵の小骨を皿の隅
告白しようとする時もマフラーに顔を埋める。本当にシャイな男だ。きちんと告げられたのだろうか。結果は分からないが、失恋したときには、鯵の小骨をちまちまと皿の隅によけて、うじうじとしている。ありのままの等身大の自分をリアルに描いている。
逢うと抱きたし冬の林檎に蜜多し
いつしか大人になって甘い恋を知るようになった。恋人に逢えば、すぐに抱きたくなる。なんとも率直である。冬の林檎を割ると蜂蜜色に透き通っている。爽やかなエロスを感じさせる句だ。
佳い夫婦なり肉まんを割れば湯気
ひややっこ人並みに幸せである
肉まんを分け合う夫婦は恋人の延長のよう。二人の間に温かい湯気がたつ。ふとした瞬間に感じる幸せ。就職して、家庭を持って、平凡を生きる。冷奴を食べて旨いと感じられること、それはとても幸せなことだ。だか、どこかで尖ったままの少年の心が叫んでいる。〈佳い夫婦〉だと〈幸せ〉だと思い込もうとしている自分。少年の日に夢みた未来は、こんなだったのだろうか。
白玉や今が過ぎては今が来て
枇杷の花ふつうの未来だといいな
今年も夏が来て、白玉を食べる。喉を過ぎる白玉は一瞬ひやりとして過去になる。また呑み込む白玉の今もすぐに過ぎ去ってゆく。刻々と過ぎる若さと焦り、このままでいいのか。就職する頃に体験した、東日本大震災。それから約10年後のパンデミックと戦争。愛する人を守らなくてはならない。枇杷の花は目立たなく、静かに白い花を持つ。夏には黄色く甘い果実を抱く。どこにでもある庶民的な果実だ。普通で良いのだ。だけれども、〈いいな〉という願望の表現の裏には、拭いきれない不安と葛藤がある。やはり単なるお調子者ではなく、繊細で不器用で鬱屈した自分と闘っている男なのだ。私は今も友亮さんが、少年の日から密かに磨き続けた心の爪が俳句の世界を切り裂く日を待っている。
焼きそばのソースが濃くて花火なう
雲は夏Wi-Fiとんでない町に
鳥ぐもりSuicaはぴっと反応し
着ぶくれて駅に着いてますとLINE
SNSで流行った「なう」や「Wi-Fi」「Suica」「LINE」など、現代的な用語にも果敢に挑戦する。今という時代を描写する力、俗っぽく見せないテクニック、現代の俳壇に新しい表現を切り込んでゆく。若さだけが売りの俳人ではない。時代の足跡を残そうとする役割を演じているのだ。大切なものを守るために、次世代の若手俳人の夢を繋ぐために、これからも俳句を詠み続けて欲しい。友亮さんは、俳句界の希望の星なのだから。
ゆず湯の柚子つついて恋を今している 越智友亮
掲句は句集の帯に大きく書かれ、巻頭の句でもある。いわば、作者の代表句だ。「あとがき」によれば、最初は〈ゆず浮かべ父と政治の話かな〉だったのが、池田澄子氏との会話のなかで推敲してこの形になったのだという。父とゆず湯で語る政治の話も句としては十分面白い。父と裸の付き合いができる年齢になったのだ。どのような推敲過程があったのかは分からないがきっと、作者が父と話したかったのは恋のことなのだ。恥ずかしくて言い出せず、柚子をつつく。表向きは政治の話をしつつ、頭の中は好きな女の子のことでいっぱいな自分。恋する年頃になったからこその秘密がむずむずと心地よい。
幼い頃は、家族で入っていた風呂もいつしか一人で入るようになる。反抗期が過ぎ、家族に優しく接する余裕ができ、久しぶりに毎年恒例だったゆず湯に父と一緒に入ったのだ。ゆず湯は冬至の日に無病息災を祈って入るもの。柚子は身体を温める効能があり、その香りは心を満たす。ぷかぷかと浮かぶ柚子をつつくと少し遠のき、他の柚子とぶつかる。無意識の動作でもあり、さり気ない遊び心だ。恋もまた、ちょっとつついただけで動く。分かってはいるのだが、その「ちょっと」ができない。だから柚子をつついてうじうじとしてしまう。一方で、掲句には恋をしていることの誇らしさも感じる。断定的な表現には、「俺、実は恋してるんだぜ」という秘密を持った優越感も含まれているのだ。。
私が高校生の時、家のボイラーが壊れたため家族で近所の温泉に入りに行った。母に裸を見せなくなって三年ぐらいが過ぎていたであろうか。大学生の姉は、豪快に脱ぎ捨てて浴室の扉を開けた。ぐずぐずとしている私に母が、石鹸やシャンプーなどを渡しながら「ほら、あなたも早くなさい」と急かす。脱衣所でもじもじと脱ぎ、洗い場でひそひそと身体を流し浴場に向かった。
その日は冬至で浴槽には柚子が浮いていた。姉が柚子を沈めたり投げたりして、はしゃいでいる姿を見たら恥ずかしがっていた自分が馬鹿らしくなった。母の隣に身を沈めると母は、まじまじと私を眺め「あなた、ナイスバディなのね」と言う。急に嬉しくなった。姉は、近所の子供達と柚子を洗面器に入れて遊んでいる。「あの子はね、大学生になっても彼氏もできず子供のまま。ちょっと心配。ね、あなたは彼氏いるの?」。母は母で柚子の皮を剥こうとしている。私が慌てて止めると「果肉に血行を良くする成分があるのよ」と大真面目である。(※温泉で柚子を投げたり剥いたりしてはいけません。)
私はぼんやりと、付き合い始めた恋人のことを考えていた。夕暮れの公園で「今から大事な話をするから、ちゃんと聞けよ・・・。お前、俺と付き合う気あるか」と真顔で告げてくれた日のこと。高架道路の下の影で抱きしめられたこと。「冬休みに泊まりで遊びに行かないか」と言われたこと。胸の谷間に集まってくる柚子がくすぐったかった。母には話せない。初恋の少年のことだって冷やかされて以来、話題にできなかったのだから。
でも、その時とは何かが違う。もっともっと重大な秘密を今、いやこれから持とうとしているのだ。お風呂の中で母や姉に何でも話せた幼い頃に戻りたくもあり、戻りたくなかった。姉が「ほらほら、いい匂いだぞ」と柚子を頬に押し付けてくる。私は「そうだね」と、胸の前の柚子をつついた。母が「いやね、そんなに落ち着いちゃって。つまんないわ」と呟いた。
(篠崎央子)
【篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】
【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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