祭が明けた翌日、「ヤッホー。彼女と付き合うことになったぜ」と飛び跳ねながらやってきた。店長にこっぴどく叱られたのは言うまでもない。聞いたところによると、先輩の初恋の相手は、祭の日にしか逢えない女の子だったとのこと。旧家の娘で小学校から私立に通っており、住まいも遠く交流がなかった。中学生の時に山車を曳く際に隣になり、親しくなった。その後は毎年、祭の日だけは一緒に過ごすようになった。だが、家が厳しいという理由で連絡先は教えて貰えなかったという。そんな彼女も大学生になって、ある程度の自由ができたのだろう。先輩は、片想い5年目にしてようやく彼女の携帯電話の番号を教えて貰い、デートの約束まで取り付けたのだ。「先輩、それはまだ付き合っているとは言えないのでは?それに、恋人はどうするのですか?」「いや、恋人とは別れるよ。だって、初恋の相手と両想いになったのだから、しょうがないよ」。
それからひと月が経って盆が過ぎたころ先輩が「俺、振られたみたい」と言った。「祭の後に一度だけ遊園地でデートしたんだ。お化け屋敷の暗がりで彼女を抱きしめてキスをしようとしたら、逃げられた。以降は、携帯電話も着信拒否されている」とのこと。祭の日には、かき氷を分け合ったり、手を繋いだりして、とても親密になった気でいたのだが、遊園地では変によそよそしかったという。店長が「旧家のお嬢様だったからかもしれないけれども、祭の時には、そういうことはよくある。祭の日だけは、相手が格好良く見えたり、綺麗に見えたりするものさ。祭の熱気で恋をした気分になることもあるし。別の日に逢ったら、何か違うみたいに感じだったんだろ」と言った。一緒に祭の準備をしていたとかだったら恋に落ちたのかもしれないし、相手が箱入りのお嬢様でなければアバンチュールな夜からの発展もあったのかもしれない。結局、先輩は遠距離恋愛中の恋人とは別れずに片思いの恋を終えた。本当にしょうもないヤツだ。
恋となる日数に足らぬ祭かな いのうえかつこ
作者は、昭和18年新潟県生まれ。昭和60年、42歳の時に上田五千石主宰の「畦」に入門。昭和63年、「畦」新人賞受賞。平成4年、49歳の時に第一句集『貝の砂』を出版。翌年、第16回俳人協会新人賞受賞。平成7年、「畦」賞受賞。平成10年、55歳の時、上田五千石主宰逝去により「畦」終刊。同年、静岡県富士宮市にて月刊俳誌「甘藍」を創刊主宰。第二句集『奉納』、エッセイ『俳句と遊ぶ』を出版。平成14年、静岡県文化奨励賞受賞。平成16年、第三句集『馬下(まおろし)』、平成25年、第四句集『彩雲』出版。現在、「甘藍」は、渡井恵子氏が継承主宰。
いのうえかつこの俳句は、上田五千石の抒情と俳諧性、そして、俳句は「いま」「ここ」「われ」の詩という理念を受け継ぎつつ、明るさがある。
第一句集『貝の砂』は、高い評価を得た。上田五千石による帯文には、「常識を破り、予定観念をくつがえして、現実の中に超現実を見る。これが『詩』というものである。」とあり、かなりの期待を寄せていた新人であったことが分かる。確かに、景を見据えた先に掴んだ独自の視点や感覚を詩に変換させる表現力がある。
等分のキャベツに今日と明日が出来
あまりにも澄みゐて水のなき如し
雲中を振りゆく如し花の坂
たのめなきこと狐火を見るごとし
恋の字の心のやうに火を埋む
万里より使者来るごとく初日待つ
早梅を片言咲きと言ひとむる
春寒や貝のはなさぬ海の砂
山中に煮貝を噛みてさくら冷
月あらぬばかりに朧深むなり
啓蟄や生きて無傷の日などなし
岩ひばり落つるといふも雲の上
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