猿のように抱かれ干しいちじくを欲る 金原まさ子
いちじくは、秋になると紫色に熟す。果肉は柔らかく、滑らかな舌触りで濃厚な甘みがある。生食も美味しいのだが、干して食されることが多い。干しいちじくは、菓子のような感覚で食べることができ、栄養価も高く保存食でもある。私が子供の頃は、切った状態で干してあるいちじくをつまみ食いしたものだ。
掲句は、エロスの句ではなく、子供のことを詠んだという説もある。まだ人になりきれていない子供が抱かれた状態で干しいちじくを欲しているという解釈である。本能的に干しいちじくが甘いことを知っているのだ。子供とした方が映像的にも分かりやすい。
だが、掲句がエロスの句にも見えるのは、干しいちじくのせいである。いちじくは、『旧約聖書』のアダムとイヴがいちじくの葉で陰部を隠したという神話を思い起こさせる。いちじくは、禁断の果実とも推測されており、女性の性的特質のシンボルでもあった。
「猿のように」という表現もエロスを思わせる。遊び人の男性を非難する際に「猿のようにやりまくっている」という言い方がある。猿の交尾は、人間と異なり本能的なもので感情や快楽を伴わないとされる。雄も雌も繁殖期には一日に複数の相手と交尾をする。
干しいちじくは、表面がやや固く中の種がプチプチしている。甘みや匂いに野性味があり、食べていると猿にでもなったような気分になる。その食感と甘すぎない甘みはあとを引く。ふとした瞬間に急に食べたくなるのである。掲句は、そんなふとした瞬間を詠んだのではないだろうか。猿のような交尾をしている時に干しいちじくのことを考えたのだ。
抱かれている時に他の事を考えていることがある。食べ物の事を考えるのは、食欲と性欲が似ているからであろう。甘いもののことを考えるのは、愛の営みがデザート的だからか。人間以前の猿のようでありながら欲するのは、干しいちじくなのである。猿は、いちじくを干したりはしない。やっていることは猿と変わらないなと思いつつも猿ではないのだ。でも、抱かれるのならどこまでも野性的になりたいものだ。
(篠崎央子)
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【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
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