強くたくましく働いて、ふとした時に見出す儚げな美。貧しさもまた生き生きとした素材となった。職場を詠ませても見事。
たんぽぽのまぶしく勤めいやな日よ
たんぽぽなんか踏まれ鉄材運ばるる
尻の汗疹かゆしと女工ら笑ひあふ
女工たち声あげ入りて柚子湯たり
旋盤のこんなところに薔薇活けて
生涯独り身であった作者の恋愛遍歴は分からない。全く恋に無縁であったわけではないのだろう。
香水をひとふりくよくよしてをれず
平凡な妻になりたき初詣
恋遂げし鶴かも高く高く翔つ
身体を詠んだ句には、健康でありつつも己の肉体を持て余す姿が見える。
乳房ある故のさびしさ桃すすり
姿見に全身うつる湯ざめかな
処女のごと自由奔放夏の川
西瓜喰ふ中年の膝丸出しに
独り身であることもまた、路地と同様に生涯にわたるテーマとなった。この孤独感は、家族の喪失もあるが自身の家族を持たなかったことへの虚しさもあるのだろう。一人ではなかった時代があってこその孤独であるように思われる。父母以外の誰か、恋人が側にいた時間もあったのではないか。
寝まるほか用なきひとり虎落笛
湯婆抱きひとりぽつちで夜を更かす
今生に父母なく子なく初天神
ひとり居の灯を煌々と初日記
栗咲く香死ぬまで通すひとり身か
ひとり身の日傘廻せば遠くに森
ひとり身の灯を消し白き夜の団扇
あやの句には常に淋しさがつきまとう。淋しいけれども美しい。淋しさから美を見出したというよりも、作者には、美しいものが淋しく映ったのだ。
さみしくて金魚の水に指つつこむ
朝顔も終りし路地の雨さみし
コスモスが咲いて日の出をさみしくす
柿をとりつくして天を淋しくす
海を見て春の雁見てさみしくなる
朝顔やさみしがりやで路地住まひ
73歳にして結社の主宰となり、老いとともに味わいのある句を詠んだ。死は、生ほどには淋しくないように感じていたのではないか。
老いゆくは吾のみならず飛花落花
サルビアを咲かせ老後の無計画
恋猫に水ぶつかけて路地に老ゆ
着ぶくれてちつとも惜しくない命
遠火事に目が覚め死後を思ひをり
平成17年、81歳で死去。私が俳句を始めた頃はまだ存命で人気の作家であった。亡くなってからもう20年になる。いまもなお、ファンは増え続けており、作家研究も進んでいる。あの世では多くの弟子やファンに囲まれて賑やかに過ごしていることであろう。そして来世では、甘えられる家族に巡り合って欲しい。
ある期待真白き毛糸編み継ぐは 菖蒲あや(『あや』)
冬になると手芸店では毛糸を売り始める。店に並ぶ色とりどりの毛糸束を眺めたり、選んだりするのは冬の楽しみのひとつである。少女の頃は、毛糸を編むのが楽しい。思春期になれば、好きな男の子を想って編む。男の子もまた誰のために編んでいるのか気になるものである。毛糸を編むのは根気が要る。ちょっとした空き時間に編んだり、寝る前に編んだりして少しずつ完成させてゆく。時には、これが編み終わったら恋が叶うなどの願掛けをする。ある程度の長さを必要とするマフラーは、男の子へのプレゼントとして編む場合が多い。告白する代わりに渡すのだ。
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