雪女郎抱きたし抱けば死ねるかも 吉田未灰【季語=雪女郎(冬)】

  雪女郎抱きたし抱けば死ねるかも   吉田未灰

 雪女郎とは日本各地に伝わる雪の精のことで、一般的には雪女と呼ばれている。小泉八雲が『怪談』の中で紹介した雪女伝説が有名だが、江戸初期の俳諧論書『毛吹草』にも掲出されている。江戸中期の妖怪画家、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』にも雪女が描かれている。地域によって伝承はさまざまで、子供や牛を伴って現れ、人を凍らせると云われている。季語としては、雪の夜に若い女性の姿をして現れ、男性を凍らせるというのが共通認識である。雪女は、空想季語のため何を詠んでも良いのだができるだけリアルに詠むのが望ましい。

 掲句は、見てきたような嘘を詠むのではなく、「雪女郎が本当に存在するのであれば抱いてみたい。抱けば死ねるかもしれないのだから」と仮定のことを詠んでいる。つまり、実在しないことを前提としている。〈雪女郎〉は、本当の雪女のことではなく、理想の女性のことなのであろう。あるいは、空想上の恋する女性。作者には、命がけの恋への憧れがあり、死への美化があるのだ。死んでもいいから抱いてみたいと思える女性に出逢いたいという願望、心中物語への憧れ、そういった自分とは無縁のものへの渇望が雪女郎の句を詠ませたのだ。〈死ねるかも〉と詠みつつ、全く死ぬ気はなかったのである。恋にも死にも無縁な自分の願望を赤裸々に詠んだ滑稽な句なのだ。このストレートな詠み方がいかにも人間臭く未灰らしい。

 雪女は存在しないのだが、雪女っぽい女は存在する。とある男性の話である。男性は、大学講師をしながら民俗学の研究をしていた。40歳近くになった頃、女生徒の故郷の村で行われるという秘儀の祭を見に行くことになった。撮影、録音、聞き書き禁止の祭で儀式の内容を人に話してはいけないと伝えられている。女生徒の話では、秘儀となったのは戦後のことで、祭の一部始終を撮影した記者が帰りの雪道で遭難し亡くなったためだという。村はいくつもの山を越えた奥山の頂上近くにあり、春の神様を迎えるための儀式の日には雪が降ることが多かった。

その日も雪が降っていた。村では着物を着た女生徒が出迎えてくれた。普段はジーパン姿で化粧っけもなかったので少々驚いた。いつもと違う雰囲気に戸惑っていると女生徒は俯きながら、「二十歳の娘は晴着で参加する風習があるんです」とつぶやいた。舞処に一番近い席を勧められ、祭を見物することになった。人に話せない祭は論文にも書けない。純粋に楽しむしかなかった。隣には二十歳になったばかりの美しい女生徒が微笑んでいる。なんとも良い気分だ。舞が始まると村人が酒を注ぎにやってきた。注がれるがまま飲んでいたら、入れ替わり立ち替わり注ぎにやってくる。「先生、このお酒は今日のために村人が作ったお酒ですが少しきついかもしれません」。単調な謡と舞がゆらゆらと続き、いつしか眠っていた。目が覚めると畳の間に寝かされていた。「先生、祭は朝まで続きます。少し休んでください」。女生徒が着物を脱いで上からかぶせ、隣にすっと入ってきた。ひやりとした感触にぞっとして「やめないか」と叫んだ。笛と鈴が急に大きな音をたてた。「先生、起きて下さい。鬼の舞が始まりますよ」。真っ白な顔をした女生徒が耳元で囁いた。ああ、夢を見ていたのか。珍しい鬼の舞の所作や謡の内容を記憶しようと身を乗り出して眺めた。すると、「飲みが足りないみたいですね。もっと飲んでください」と女生徒の赤い唇が動く。先ほどの夢を忘れようと酒をあおった。気が付くとまた畳の間に寝ていた。隣には、着物を脱いだ女生徒がいる。どうせ夢なのだからと白い肩を抱き寄せた。強い冷気を感じて、再び目が覚めた。「先生、起きて下さい。温泉に入って酔いを醒ましてから帰って下さいね」。遠くで鶏が鳴いていた。祭は終わったようだ。さすが秘儀の儀式。祭の内容は全く覚えていなかった。ただ、女生徒のひやりとした白い肌の感触だけが残っていた。

 女生徒とは、その後会うことはなかった。もともと聴講生で他学部の学生であった。男性は都会に雪が降った日は、あの夜のことを思い出す。「あの村に行けばまた逢えるのだろうか。死んでもいいから抱いておけば良かった」と。

篠崎央子


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【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。



【篠崎央子のバックナンバー】
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>>〔191〕胸中に何の火種ぞ黄落す 手塚美佐
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