
息触れて初夢ふたつ響きあふ
正木ゆう子
(『水晶体』)
どんなに眠れない夜でも人の寝息を聞いていると眠れることを知ったのは、十歳の頃である。それまで一緒の部屋だった三つ年上の姉が、自分の部屋を持ちたいと両親に泣いて訴えた。平家造りの洋間を姉の部屋にし、私には和室の部屋が与えられた。いつも一緒に居て顔立ちも似ている姉妹だが、洋風を好む姉と和風を好む妹、両親の上手い采配であった。和室にて一人で寝ることになった私は眠れなくなり、両親の寝室に潜入し、父や母の蒲団で眠る日が続いた。私の寝相は悪かったらしく、父に蹴られると母の蒲団へ行き、母に叱られると父の蒲団に戻るという縦横無尽な寝方をしていた。
キャリアウーマンであった母は、眠りの浅い体質で、父と私の寝言で目を覚ますことが多かった。母の証言によれば、父の寝言と私の寝言がちゃんとした会話になっていて大笑いしたらしい。「この場所は釣れない」「釣れるもん」と大抵は魚釣りの内容だったと聞いている。ある日、朝食を食べながら父が「これは予知夢だ。あの釣り場に再度挑戦しよう」と言い、一緒に釣りに行った。釣り場は、夢で見た川の岸辺であった。また、母によれば、まだ幼い姉と私の眠る部屋を覗いたら、「ロケットが飛ぶよ」という姉の寝言に私が「だって弁天様だもん」と答えていたとか。
そんな、寂しがり屋で不器用な私も大学に合格し、ひとり暮らしを始めることになった。「悪い男に引っかかるなよ」と言う父に対し、母が「お姉ちゃんみたいにプライドが高く彼氏もできないような大学生活もどうかと思うけど」と言ったのが可笑しい。
父の懸念通り悪い男に引っかかるのだが、ひとり暮らしが寂しかったわけではない。眠れないことが怖かったのだ。妄想癖が強く、人一倍恐がりであった私は、世の中の何もかもが怖かった。人に嫌われたらどうしようとか、空を飛ぶジェット機が落ちてきたらどうしようとか。誰かが側に居てくれれば、変な恐怖感から逃れられる。ただそれだけのこと。今となれば、交際した男性のことが好きだったのかどうかも思い出せない。相手の男性も恐がりの小心者が多く、どこかで分かり合えていたのかもしれない。
息触れて初夢ふたつ響きあふ 正木ゆう子
不毛な恋愛ばかりしてきた私だが30代半ばを過ぎた頃、夫と出逢う。夫は、寝相の悪い私に正直驚いたという。結婚する前、私のひとり暮らしの部屋に泊まった夫が、ベッドの下の絨毯の上で眠っていた。この人は、狭いシングルベッドよりも広々とした絨毯の上で眠りたい人なのだ、なんて大きな夢を持っている人だろうと頼もしい気持ちになった。一緒に暮らすようになってからも、夫は、蒲団を抜け出て畳という大海原で大の字で眠っていた。眠る前は、きつく抱き合って心音を確かめ合うのだが、ひとたび夢に落ちれば、互いの寝息があるかぎり安らかに眠り続けていられる。夫はそんな存在である。
夫の証言によれば、夜中に蹴られまくってベッドから落とされたとか、私の寝言で「いやー!!」と言われて畳の上で寝ていたとか。朝食での話題なので、面白可笑しく話してくれたのだろう。
1 / 2