多喜二忌やステーキ肉の筋を切り 若林哲哉【季語=多喜二忌(春)】

多喜二忌やステーキ肉の筋を切り
若林哲哉
(金沢大学俳句会誌『凪』創刊号(2017年12月1日発行)「旧道」より)

 二月二十三日、若林哲哉の第一句集『漱口』読書会が新宿区立漱石山房記念館で開かれた。パネリストは田島健一・千野千佳・大熊光汰、司会は松本てふこ。発表はいずれも充実しており、収録句の完成度の高さ、その高さが長所であると同時に短所ともなりうること、作品に漂うナルシズムやペシミズム、他者を詠んだ句の少なさなど、多角的な指摘がなされた。
 ここでは若林の俳句をさらに掘り下げたい。掲句は『漱口』未収録作である。「多喜二忌」は二月二十日、作家・小林多喜二の忌日を指す。『蟹工船』で知られるプロレタリア文学の旗手であり、その名は重い歴史的背景を帯びている。対して「ステーキ肉」はどうか。季語と対照的に高級な料理とも読めるが、むしろ現代の日常的な食卓の一場面として受け取りたい。固い筋を断ち切ろうとする手つきの具体が、「多喜二忌」のもつ抑圧や苦難の記憶とどこかで響き合う。生活の些事と歴史の重みが、一瞬の所作のうちに交錯するのである。
 金沢大学俳句会は2017年6月、若林が一人で立ち上げた。当初の会員は本人のみ。その行動力と実行力は特筆に値する。『凪』創刊号「旧道」には〈蜻蛉のつがひを引き剥がす遊び〉〈どの曼珠沙華も孤独を愛しをり〉など、句集未収録の作品も見える。句集に選ばれなかった句を読むことで、作者の志向や取捨の基準を逆照射することもできるだろう。
 翌2018年、第二回全国俳誌協会新人賞では、応募作の寸評が『俳句展望』(180号)に掲載された。若林作品について、審査員の神野紗希は〈ファブリーズ春の光をあらはにす〉を「新たに見つけた世界の手触り」と評しつつ、〈桜蕊ふる眼帯をはづしつつ〉の「つつ」など、言い回しのクセが先立ち、内容を遠ざける句もあると指摘し、「〈水温む白くふくらむ絆創膏〉を本当に詠みたいか。表現や思考の型は備えた作者。私が何を書くかに向き合う時期かも。」と結んでいる。その翌年、若林は「南風」へ入会し、村上鞆彦に師事している。
 『凪』創刊に寄せて若林は、「蓋し、俳句を作るという行為は、言葉の氾濫する世界から幾つかの言葉を掬い上げ、それらを自分自身の「世界」として再構成することなのではないか」と述べた。掲句においても、歴史的記憶と現在の生活とが一つの像に結び直され、一つの世界を再構成している。
 若林がこれからいかなる言葉を掬い上げ、どのような世界を編み上げていくのか。次の一句を、静かに待ちたい。

星野いのり


【執筆者プロフィール】
星野いのり(ほしの・いのり)
1997年生まれ。俳句結社「炎環」同人。俳句雑誌『noi』誌友。現代俳句協会所属。第14回鬼貫青春俳句大賞。第2回全国俳誌協会新人賞。第4回俳句四季新人奨励賞。第6回円錐新鋭作品賞。


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