略図よく書けて忘年会だより
能村登四郎
12月も早や第一週が終わろうとしている。例年なら忘年会の予定がぼちぼち入って来る頃だ。職場や取引先などとの身過ぎ世過ぎから旧知の仲間との無礼講まで、忘年会に追われて今月は休肝日がない!という御仁もおられるかもしれない。句会も二次会にいつもより格上の店が用意されるなど、納め句座らしい計らいがあったりする。そう、例年ならば。
「年忘」という季語を今更説明するまでもないが、その一年を無病息災で過ごせたことを祝い、労苦を忘れるために親戚や友人とたがいに宴を催すことを言う。傍題の「忘年会」は年忘れの新しい形、というのが歳時記の説明だ。友人知人とわいわい酌み交わすのではなく、本来はもう少ししみじみとしたものなのだろう。
さてさて、ここなる一通の忘年会案内状。時候の挨拶に始まり、今年の忘年会は以下の通り行いますので万障お繰り合わせの上是非ともご参加下さい云々の文面と共に会場への地図が書き添えてある。幹事の手書きか、簡略ながらすっきりと分かり易い。ほほう、上手く書けている、とは妙なところに感心したものだ。複雑なことをシンプルに説明出来るのは何より頭脳明晰の証なり。俳句もかくありたいもの―なんてまさかそこまで能村登四郎も考えてはいないだろうけれど。
妙と言えば、「忘年会だより」も妙だ。手紙というほどの意味だとは理解できるが、“〇〇だより”といえば、普通“花だより”、“雪だより”のように、季節の到来を告げる報せであったり、あるいは近況の定期便であったりするものだ。「忘年会だより」にはいささか首を傾げる。とは言え、私自身は実はここの突っ込みどころが気に入っている。
句集『寒九』の昭和五十九年の章にはこの句から十頁ほど先に
妻なきを誰も知らざる年忘れ
というほろりとする句も収められている。
「増殖する俳句歳時記」に清水哲男氏の鑑賞が掲載されている。
疫禍のなか、親しい人たちとお互いを労い、共に年を惜しむことを控えなければならない今、掲句にふふっと笑うのはせめてもの救いだ。
来年の12月は地球上のあらゆる土地で誰もが忘年会を楽しめますように。
(『寒九』角川書店 1987年より)
(太田うさぎ)
【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』。