泉の底に一本の匙夏了る 飯島晴子【季語=夏了る(夏)】


泉の底に一本の匙夏了る

飯島晴子

『蕨手』所収

最初の出発

暦の上では八月七日で夏が終わる。掲句を思い出す方も多いのではないだろうか。いろんな俳句に出合うにつれて私の場合は好きな俳人も変わってきた。師系では田中裕明、師系以外では星野立子、そして飯島晴子である。そんなとりわけ好きな俳人のなかでも、晴子にはそう簡単には近づけない、というより近づかせてくれない。気易く近づくと火傷してしまう。でも近づきたい。私にとってはそんな俳人だ。

『最初の出発』(東京四季出版社刊)という本がある。俳人の第一句集の中から、俳人自らが百句を抄出したアンソロジーである。第四巻には、飯島晴子、宇佐美魚目、田中裕明、岸本尚毅さん、千葉皓史さん、中岡毅雄さんなどが収録されている。当然のことながら、掲載写真のお顔が若くてキレッキレ、まさに新鋭俳人だ。

晴子は第一句集『蕨手』から一句目に掲句を選んでいる。これは『蕨手』の一句目でもある。やはり晴子の渾身の、そして決意の一句であることが窺える。『飯島晴子読本』のなかの「自句自解」によると、掲句の泉とは、義兄の蓼科山荘でみた湿地の縁に草のかぶさった水たまりであるが、そこで一本の匙を見たわけではないという。晴子の住まいの近くの豆腐屋には、コーラやジュースも売っていて、その瓶の王冠が前の道路に沢山埋め込まれているのを晩夏と感じ、豆腐屋の前の道路と蓼科高原の夏の終りを想ってできた一句らしい。爽波のいう「偶然の必然」で授かった句ということになるだろうか。「馬酔木」時代の晴子句は『蕨手』には収められていない。「馬酔木」時代の自句との決別と「鷹」への並々ならぬ覚悟とを、泉の底においた無機質で容易には変質しない匙(きっと木の匙ではないだろう)に託しているようだ。「了る」という漢字の選択も、自らの選択によって進もうとしている道への恐ろしいまでの冷静かつ沈着で静かな思いが読み取られる。

また、『最初の出発』での田中裕明は、『山信』百句である。スーツにネクタイ姿の裕明の表情がとても優しい。解説は三橋敏雄。限定十部の私家版だったため、「青」の特別企画としてそのままをごっそり転載されたそうだ。裕明二十歳の自祝の句集だ。一句目の<紫雲英草まるく敷きつめ子が二人>に、裕明はどのような思いをこめたのだろうか。

俳人にとって第一句集、殊にその一句目にはきっと格別の思い入れがあるのではないだろうか。今年の「秋草」は会員の初句集が相次いで刊行されている。そしてまだまだ続く。刊行の都度にその句集の特集が組まれ、「秋草」の誌面はとても賑やかとなっている。初句集という最初の出発。その一句目の著者の想いを、いつか聞いてみたいと思っている。

一日を透けては濁る水母かな   野名紅里『トルコブルー』

短日やじつと見つめる垣の猫   中西亮太『木賊抄』

空蝉をつまみし吾子の指一寸   常原拓『王国の名』

家ぢゆうの匂ひ膨らむ二日かな  村上瑠璃甫(『羽根』

集りて松の花粉を弾く子ら    山口昭男『書信』

村上瑠璃甫


【執筆者プロフィール】
村上瑠璃甫(むらかみ・るりほ)「秋草」所属
1968年 大阪生まれ
2018年 俳句を始める
2020年12月 「秋草」入会、山口昭男に師事
2024年6月 第一句集『羽根』を朔出版より刊行

これまで見たことのない大胆な取り合わせに、思わずはっと息をのむ。選び抜かれた言葉は透明感をまとい、一句一句が胸の奥深くまで届くような心地よさが魅力。今、注目の俳誌「秋草」で活躍する精鋭俳人の、待望の初句集!「秋草」以後の298句収録。

村上瑠璃甫句集『羽根』

発行:2024年6月6日
序文:山口昭男
装丁装画:奥村靫正/TSTJ
四六判仮フランス装 184頁
定価:2200円(税込)
ISBN:978-4-911090-10-7 C0092


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2024年8月の木曜日☆斎藤よひらのバックナンバー】
>>〔1〕この三人だから夕立が可笑しい 宮崎斗士

【2024年7月の火曜日☆村上瑠璃甫のバックナンバー】
>>〔1〕先生が瓜盗人でおはせしか 高浜虚子
>>〔2〕大金をもちて茅の輪をくぐりけり 波多野爽波
>>〔3〕一つだに動かぬ干梅となりて 佛原明澄
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【2024年7月の木曜日☆中嶋憲武のバックナンバー】
>>〔5〕東京や涙が蟻になってゆく 峠谷清広
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