秋の蚊を打ち腹巻の銭を出す 大西晶子【季語=秋の蚊(秋)】


秋の蚊を打ち腹巻の銭を出す

大西晶子


俳句になるモチーフ

「秋草」には<「青」を読む>という通年記事がある。俳誌「青」を会員が毎月一冊ずつ読み進めてゆく。私が担当した「青」のなかで、昭和55年11月号に掲載の掲句にびっくりしたことを覚えている。

何に驚いたのかといえば、「銭」という俗っぽい響きのモチーフが句の中に自然と詠み込まれていて、それが詩になっているということ。秋の蚊を手で打った男の腹巻からぽろりと小銭が出たのを作者が見たのだろうか。追いかけつつ思いっきりたたく夏の蚊では、きっとこうはいかない。腹巻に小銭を入れていたことがばれてしまった、そんな場面もとびっきり面白い。どんな男なのかも読者が想像することのできる愉しさもある。こういうクスッとする余裕のある句を詠めるようになりたいものだ。

ちょうどこの句と出合ったのは、俳句になるものとならないものとの境目に悩んでいた頃のように思う。「入歯」を詠めば、「入歯では俳句にはなりません」とのコメントが、「マヨネーズの赤い蓋」を詠めば「俳句にするには季語が難しいです」とのコメントが、山口昭男主宰から却ってきていた。モチーフには俳句になるとならないものがあること、なりにくいモチーフでも一句に仕上げようとするには季語の選択が相当に難しいということを、なんとなく学んでいった。そして「銭」モチーフを今、ときどき拝借している。

さて、この「青」11月号の巻頭は裕明である。大学生は大学名が記載されている。
  雪舟は多くのこらず秋螢       京都大 田中裕明
  鯊の潮曇つてゐてもひとつ星
  鯔を食ひけふは踊見にもゆかず
  蜘蛛の絲よく目について水澄めり
  悉く全集にあり衣被
  野分雲悼みてことばうつくしく
六句目、「ことばうつくしく」という措辞をさらりと一句にできる力量がもうすでにある。季語の野分雲については、悩むことはおそらくなく、どちらかといえば季語から裕明に寄ってきたような感じさえする。

同誌の山口主宰の掲載句を見てみると、ちょっと硬めだ。
  トマト売る老婆の声は高くなり   昭男

これから四十三年経った今の主宰のトマトはどうなったのかというと…
  少年はトマトの茎の匂ひかな    昭男(『礫』)

とっても自由でちょっと変なトマトの句となっていて、嬉しい。と同時に、私が自由な句を詠めるようになるには、道はとんでもなく遠いことを思い知った。

村上瑠璃甫


【執筆者プロフィール】
村上瑠璃甫(むらかみ・るりほ)「秋草」所属
1968年 大阪生まれ
2018年 俳句を始める
2020年12月 「秋草」入会、山口昭男に師事
2024年6月 第一句集『羽根』を朔出版より刊行

これまで見たことのない大胆な取り合わせに、思わずはっと息をのむ。選び抜かれた言葉は透明感をまとい、一句一句が胸の奥深くまで届くような心地よさが魅力。今、注目の俳誌「秋草」で活躍する精鋭俳人の、待望の初句集!「秋草」以後の298句収録。

村上瑠璃甫句集『羽根』

発行:2024年6月6日
序文:山口昭男
装丁装画:奥村靫正/TSTJ
四六判仮フランス装 184頁
定価:2200円(税込)
ISBN:978-4-911090-10-7 C0092


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



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