【読者参加型】
コンゲツノハイクを読む
【2022年11月分】
ご好評いただいている「コンゲツノハイク」は毎月、各誌から選りすぐりの「今月の推薦句」を(ほぼ)リアルタイムで掲出しています。しかし、句を並べるだけではもったいない!ということで、一句鑑賞の募集を行っています。まだ誰にも知られていない名句を発掘してみませんか? 今回は(告知が遅れたにもかかわらず)7名の方にご投稿いただきました!(掲載は到着順です)
猪の腸入れし袋が蘆の陰
若林哲哉
「南風」2022年11月号より
「入れし」と「が」がいいです。誰かが猪を撃ち、解体した。その腸を袋に入れた。その袋が今、蘆陰に置かれている。やがて人の食物となる腸の、その間です。「入れし」と「が」に見える人の存在が、腸の有様を鮮明にしています。生き物を殺め、食すことを「命を頂く」と表現することがあります。しかし、この腸も誰かもその埒外にあることが、句の読みぶりに伝わります。人間の論理のほつれに露わになった物の本質を見、詠んだ句。これが、あはれなのだと胸をつかれる思いがしました。
(土屋幸代/「蒼海」)
生きてゐるかたちに蟬を裏返す
栗原和子
「秋草」2022年11月号より
夏の終わりになると彼方此方で落ち蝉を見かけるが、その殆どは仰向けである。弱って木や壁に掴まれなくなり、バランスを崩して仰向けになってしまうとか。仰向けは蝉の「死んでゐるかたち」である。
蝉は幼虫として七年もの間地下で生活し、漸く空を自由に飛びまわれるようになったと思ったらたった一週間ほどで死んでしまう。そんな生涯に人は悲哀を感じる。作者も哀れに思い、骸を裏返して「生きてゐるかたち」に戻してあげたのであろう。正に生と死は裏表一体。生きとし生けるものの生の儚さ、危うさを詠んだ秀句。
(種谷良二/「櫟」)
向日葵と男の子ふたりが越して来し
小林成子
「火星」2022年10月号より
この句を読んで、わくわくしてしまった。新しい隣人が男子の二人組とは、私だったらとてもうれしい。昔、男子二人組の友人がいて、女同士の付き合いよりも私には気持ちが良く、よい友達だった。新しく知り合った女性とはなかなか付き合いが難しいのだが、男子、それも二人組なら良いご近所さんになれる自信があるのだ。向日葵という季語を選ばれて、句の雰囲気が明るい。隣人の人となりも想像できる。この句の作者も少なからず私と同じ気持ちかしら。
(フォーサー涼夏/「田」)
歯科医師の日焼の貌が至近距離
河原地英武
「伊吹嶺」2022年10月号より
最近虫歯の治療をしたのだが、歯科医師との距離の近さに改めて驚いた。患者はマスクを外して、口を開けて、歯科医師に全てを委ねる。この句では歯科医師の貌が立派に日焼けしている。「顔」よりも「貌」の方が、生々しく歯科医師の近さを感じる。作者は必要以上に日焼けしている人物に対して、一種の胡散臭さを感じている気がする。(わたしの偏見かもしれない。)そんな歯科医師にすべてを委ねざるを得ない状況のもどかしさを感じる。「至近距離」という無機質な言葉がどことなくユーモラスだ。
(千野千佳/「蒼海」)
あめんぼの踏ん張つてゐる水の星
伊東法子
「ホトトギス」2022年11月号より
「あめんぼ」というミクロから「水の星」のマクロへの視点の流れが心地良い。一気に広がる世界には澄んだ優しさが満ちている。中七「踏ん張つてゐる」の力加減も絶妙だ。自分の話で恐縮だが、私の妹は「頑張る」の代わりに「踏ん張る」という言葉を使う。微妙なニュアンスの違いが気に入って私も使うことがある。決して無理はせず、すべてを受け止めて静かに力を込める。あめんぼも頑張るのではなく踏ん張っているのだと思うと、なんだか同志のような気持になる。いつか「水の星」から飛び立つその時のために力を蓄えているのかもしれない。
(笠原小百合/「田」)
たましひの落ちて線香花火かな
松野苑子
「街」2022年10月号より
目まぐるしく表情を変え、儚く消えゆく線香花火。専門店のホームページによると、その燃え方、つまり、線香花火の一生には名前が付けられている。蕾~牡丹~松葉~散り菊。誕生から、青春の輝き、活発な光、そして晩年を思わせる名称に、日本人らしい風情を感じる。苑子句の線香花火から、人生の幕を閉じるような思いを感じた。
(野島正則/「青垣」「平」)
生きてゐる形に蟬を裏返す
栗原和子
「秋草」2022年11月号より
一読すると何気ない動作の一句である。裏返すことに作者のさり気ない優しさがありありと分かる。どんな生き物でもどのような形、姿で亡くなるかは全くわからない。また想像もできない。その中で生きている形すなわち、裏返すことによって、作者自身も生きていることを再確認しているのだろう。昨今悲しい事件や戦争が起こっている。全てが「死んだ」訳ではないが、元通りになることは不可能に近い。生きている形になる、幸せな形になることを祈っているようにも深読みできる。何気ない動作で少しの幸せを感じられる素晴らしい一句と思った。
(土谷純一/「天塚」「篠」)
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