【年越し恒例】
くま太郎とうさ子の
「セポクリゆく年くる年」
【2020年→2021年】
セポクリも2020年を振り返ってみたいと思います
うさ子ちゃん、2020年もおしまいだね。本当だったら東京オリンピックが開催される年だったわけだけど、たいへんな一年だったよね。Youtube見る時間が、本当に増えた一年だった。
本当はこのコーナーも動画配信にしようかと思ったんだけど、あたしたちは実体をもたないので、とびきりのアナログでいこうと思います。
くま太郎は、ブリアナ・ギガンテちゃんばかり見てますな。あなとぅあの夢にぃ、おしゃましますぅー!! って耳から離れなくなってもうた。ブリ穴、登録10万人寸前だよ。
「動画配信」っていうフォーマットで私がいいなと思ったのは、オルタナ系のニュースメディアProject Choose Life(登録4.6万人)ね。世の中の動きに対して、速攻で討議番組を企画したり、国会の議論をわかりやすく編集する「国会ウォッチング」を放送したりね。
あとは、これはコロナ前の2019年11月からはじまってるんだけど、THE FIRST TAKE(登録302万人)。シンプルだけど強度ある動画として、最初に知ったときはアイデアひとつだなあと唸ったもんだよ。一発撮りでアーティストが曲と向き合うっていうね。
あ、こないだ橋本愛さんが「木綿のハンカチーフ」歌ってたでしょ、あれすごかった! 正直「潮騒のメモリーズ」のイメージしかなかったけど、〈声〉をもってる女優さんなんだね。今年、筒美京平が亡くなったこともあってわたしはぐっときたな。
そんなわけで、いろいろあった一年だったけれど、このページでは、2020年の出来事を振り返ってみようと思います。
中国と世界情勢:香港民主化デモと、5Gをめぐる新冷戦と…
今年はなんと言ってもコロナに翻弄された一年だったわけだけど、国内では年初からの「桜を見る会」で税金を私物化しているという疑惑が年末にぶり返してきたり、あるいは香港のデモが過激化したのち潰されたりとか、本当に穏やかじゃなかったよね。
いきなり真面目になるのね(笑)まあ、香港に関しては1997年に中国に返還されたあと維持されてきた「一国二制度」が骨抜きにされるんじゃないか、自由が失われるんじゃないかという危機感から学生が中心になって大抗議に出たわけだけど。
結局は潰されちゃった。7月1日付の産経新聞のお葬式のような見出しは、ショッキングだったよね。
この新聞社はもともと中国に批判的だから、こないだも対中国の東アジアネットワーク(FOIP)で「弱腰」だと批判したわけだけど、一周回って(?)香港の「自由」が失われることにはこういう紙面になるんだと(笑)
振り返ってみると、世界的にコロナが一時的に落ち着いた夏は、案外いろいろなことが起こったよね。
イギリスが7月下旬、ウイグル人モデルが強制収容所に収容されてる映像をBBCが出したのは、世界の誰もがこの香港の件に関する「報復」だと思ったわけだけど、スタジオに呼ばれた在英中国大使は事実無根の一点張りで。
19世紀のロシア並に「南下政策」を展開してる中国だけど、南シナ海に弾道を発射したのは、8月の終わりのことだったよね。いわゆる「南シナ海の領有権問題」ってやつだけど、日本の尖閣問題とつながってるからひとごとじゃない。
習近平がトップになった2012年以降の中国は、経済的な後押しもあって国防費を増やし続けていて、それに応じるかのように日本も今年また次年度の防衛費が7年連続で過去最大を更新(5兆3422億円)。正直いえば、文化芸術や教育に少しは回せよって思うんだけど…
しかも今回は「敵基地攻撃能力」をさらに盛り込んだっていうんだから、もう僕らが小学校で習った「戦力の放棄」は骨抜きにされつつあるんだと、遠い目になる…
日本は「借金」までしてアメリカから高額な「お買い物」を要求されて断れない。次期戦闘機は三菱重工業がロッキードと組むって話が先週、発表されたけど、国産「スペースジェット」の開発を中断するのと並行して、先月は愛知の小牧に、今月は長崎に新工場を設立したね。コロナ倒産とは、本当に対照的な話だわな。
中国をめぐっては5Gをめぐっても「新冷戦」とも呼べる状況が浮き彫りになってきたね。アメリカを中心にHUAWEI(ファーウェイ / 華為技術)とZTE(中興通訊)外しがあからさまになってきて。
通信に関しては日本もいちおうアメリカ側に立っているけど、でも安倍政権は2017年に「一帯一路」に明確な支持を表明しちゃったからねえ。習近平の国賓で来日させるって鼻息荒げてたところ、これは香港のデモの影響で見送りになった。去年の年末を賑わせたカジノ問題(秋元司議員逮捕)も、今年の年末のアキタフーズの汚職問題も、ぜんぶ中国絡みだからね。
来年は、世界経済が冷え込むなかで、バイデン政権の外交チームやEU諸国が対中国で切り込めるのか、そのとき、中国にややべったりな日本はどう対応するのかだよね。
Covid-19: 保健所をめぐる「1940年体制」
コロナの話に戻るけど、ダイヤモンド・プリンセス号で最初の感染者が出て、横浜で再検疫がはじまったのが、2月初旬でしょ。そのころは「水際対策」で何とかしようという話が、ヨーロッパを中心に拡大していって、3月には多くの国が都市封鎖(ロックダウン)に踏み切ることになって。
その時点では、日本国内で案外広まらなかったんだよね。流行したウイルスの型も違うし、体質や食習慣、文化的慣習の差もあるから、数字だけをもって一律には比較できないけど。下半期になってデータが集まってくると、東アジアはおしなべて感染率・死亡率が低いことがわかってきた。
ただ、そのなかで「自粛」頼みの日本は感染拡大をしていって、10月以降は、日中韓ではトップの感染者数になってしまったのよね(日:中:韓=21万:8.5万:5万)。昨日【注:この収録は12月27日に行われました】は東京だけで1000人近くの感染者出てるし。
医療現場からの悲鳴がおそろしいな。全国の約76万人の看護師らが加入する日本看護協会の会長は、経営悪化で「給料は減る一方で「GoTo」で旅行や会食を楽しむ人が大勢いるわけです。医療従事者にとってはやりきれません」って激オコ。身の危険を冒してまで給料減るってマジかと…
「トラベル」は事務局の給与の高さが話題になったけど、これって実質的には、五輪需要を見込んでいた旅行業者への「補償」なんでしょ? 事務局本部は1000人もいて「約4割がJTBからの出向」だっていうんだからさ。
本当は海外から客がきてがっぽり儲かるつもりが、誰もこれなくなっちゃったわけだけど、しかし旅行業界だけが特別扱いされるってのは、なんだかフェアじゃないよねえ。
結局、年末にようやく「Gotoトラベル」は一時停止になったわけだけど、二階さんだけはぷりぷりしてた。この人、全国旅行業協会(ANTA)の会長を30年以上務めてるらしいけど、国全体のこと考えられない政治家が与党の幹事長を務めてるなんて世も末。「半沢直樹2」の最終回で柄本さん(箕部幹事長)は、あんなにいい仕事してたってのに。「恥を知りなさい!」(@白井大臣)って感じだよ。
江口のりこさんも気になる存在だけど、去年はグレタさんが世界の「顔」だったよね。気候変動問題が世界的な話題だったわけだけど、Covid-19の問題はそれとも連動しているのかな?
Covid-19の流行がスペイン風邪からちょうど100年だったから「100年に一度のパンデミック」とか言われてたけど、新型ウイルスの出現のスピードは上がってるよね。人口増加に伴う森林伐採がいちばんの要因らしいけど。
あとは「手洗い」とか「旅行」とか、普段のなんでもない行動が誰かの「命」に結びつくっていうのも、いままでにはなかった想像力が求められた一年だった。
やっぱりはっきり禁止されないと「これくらいいいんじゃないか」と思っちゃうのが人間の性だよね。その一方で、お前らふざけるなと勝手な正義感で「自粛警察」をやる人たちが出てくる。
「自助」でよろしくと言われて、うまくいく国なんてあるんだろうかね。周りを見てても、個人レベルでは本当に温度差があるな思ったよ。
インターネット的な問題で、Aという意見が出ると必ずそれを否定する意見が出てくるし。日本ではPCR検査を増やすかどうかで、こんなに平行線を辿るなんて、正直想像がつかなかった。
世界的にはPCR検査の数を増やして市民の安心を、という方向だったのに、日本はいまだに増えてない。あれはなんでなの? 今日、保健所に迷惑かけまいと PCR渋ったために53歳で亡くなった羽田議員みたいなケース、誰にでも起こりうるわけでさ。
「厚労省―感染研―保健所・地方衛生研究所、さらに専門家会議という「感染症ムラ」の利権」なんていうと、なんかまさに1940年体制って感じだね。
旧厚生省が出来た理由のひとつって結核じゃない? 厚生省は1938年に衛生局から独立するんだけど、日本人の死因トップが結核になるのが1935年のこと。そしてその予防の最前線が「保健所」だったわけで、その意味では1940年体制そのものだね。
あー、そうなのか。つまり厚労省のアイデンティティにかかわるから、絶対に保健所の「外」には仕事を渡せない、と。
そうそう。実際に、コロナに関連の文書は「結核」の担当部署が出してるんだよ。このページとか、見てみてよ。
わ、ほんとだ。照会先が「厚生労働省健康局 結核感染症課」って書いてある。
官僚組織を動かせなかった政治家の問題でもあるけど、要は全体のゴールが出てこないから、そのために改善すべき点がでてこない。ゴールがないから、検証もできない。どうにかならないものかしらね。
今年は『ブラック霞ヶ関』なんて新書も出たけど、お役所のなかでも厚労省はダントツの「ブラック」だから、コロナ対応でさぞかし疲弊していると思うんだけど。
厚労省で頑張ってる人たちには気の毒だけど、自業自得なところもあると思うんだよね。上昌広さんによると、医師数も病床数も少なくない日本で医療がすぐに逼迫してる一因はコロナ専門病院を作らなかったこと。しかも、どこの病院がコロナ重症患者を受け入れてるか、ほとんど公開してないっていうんだから。
「瀬戸際」とか「勝負」とかそんな言葉で責任回避されてることをメディアも国民もきちんと指摘すべきだよね。医療の逼迫だって、たとえば病床占有率とかを毎日出してほしい。それがニュースで全然あがってこないんだもん。
さっきの記事には、12月26日現在、都内の病院に入院している重症患者は81人で、重症者用ベッドは220床とあるから、4割弱かな。250床まで増やすように医療機関に要請中だっていうけど、ちゃんと感染拡大のスピードが計算されてるのか、不安だよね。
ちょうど今日、「Gotoトラベル」停止に合わせて、外国人の新規入国を原則停止する事実上の「鎖国」を発表したわけだけど…
常識的に考えれば、こうも感染が広がってる状況では「鎖国」で抑えられる部分はわずかでしょう? 一にも二にも移動と会食をなるべく減らすことが重要だよ。だから、ひとりひとりの心がけが大事だし、それを支えるような強いメッセージを自治体には出してほしいとわたしは思ってるんだけど…
俳句における男女(不)平等
有名人も多く感染したことが報告されてるけれど、志村けんさん(1950-2020)、岡江久美子さん(1956-2020)、高田賢三さん(1939-2020)がコロナで亡くなったのは残念な話だったよね。
友人に小さい頃に志村さんと新聞配達仲間で、大人になってからも飲み仲間だったっていう人がいてね、〈突然にバカ殿が逝く四月馬鹿 有澤志峯〉って追悼句を詠んでた。こういうのは、やはり作者があってこその句だなと改めて。まあ、あたしからすると、セクハラを売り物にするような昭和の笑いは全然共感できないんだけど…
あと、日本は、2020年11月の自殺者数が11%も増えたことも心配。とくに女性の自殺者が増えてることが指摘されたこと。国的には「因果関係がはっきりと示されているわけではない」ということになるんだろうけど…
日本は先進国のなかでは男女間の格差が大きいから、経済的に厳しくなれば、そのしわ寄せが女性に向かうのは当然だと思うよ。そういえば、史上最長だった安倍政権が退陣して、9月に組閣された菅政権は、その意味で「スキャンダル」だったじゃない?
不祥事あったけ? 日本学術会議の任命問題のこと?
政権が変わって期待されてた選択的夫婦別姓制度の導入だけど、5年に1回取りまとめることになってるプランで、導入どころか大幅後退してしまって、がっくしきたね。
8月実施のパブコメでは、反対意見がひとつもなかったらしいのね。11月に出た調査でも「7割が賛成」で圧倒。なのに「国民=パブリック」の意見はガン無視で、一部の国民によって選ばれた政治家のさらに一部の意見で決まるっていうのは意思決定が「いびつ」としか思えないわ。
苗字が同じなら「家族の一体感」が生まれるってロジックもよくわからなすぎるけど、そもそも今は苗字を選ぶかたちになってないから、選択肢を増やしましょうって話でしょ?
うちも仕方なく苗字いっしょにしてるけどさ、一体感なんてかけらもないわよ。その理由を説明してもらいたい(苦笑)まあ結局、つきつめていくと「戸籍」なんていう制度がいまだにあるのが元凶なのよ。個人にマイナンバー割り当てるってのと発想が根本的に違うんだから。
世界で「戸籍」があるのって中国と台湾と日本だけなんだって?
しかも中国・台湾は形骸化してるからね。中国は1950年の法改正から「自己の姓名を使用する権利」が認められてて、2001年の改正では男女平等になってるし。
党内で孤軍奮闘でこの問題を検討してきた野田聖子が大臣になってもダメだったってのは、本当に根深いね…。本人はそれでも「前進」と言い張って、野党に加わる気はいまだないって答えてたけど…
野田さんは以前、この法案が通せない理由に「自民党の応援団体である神社本庁などが猛烈に反対している」ことを挙げてて、もはやこの国は政教分離できてないんじゃないかとさえ思うよね。国民の意見が「神社本庁」の意向(を代弁=代表する議員)に潰されるんだから…
神社本庁は例の土地転がしの問題とかもあって内部崩壊寸前とも言われてるけど…だいじょぶなのかね。ところで、俳句では男女間に「格差」や「差別」の問題とかは、あんまりないの?
こないだツイッターをみていたら、「髪洗ふ」という夏の季語が「キモい」という意見を見つけたんだよね。ここに橋本直さんが書いているけれど、「夏の女性の髪は臭うという男のまなざしが常にそこにあり続けている」という面は、季語の由来を考えれば、なきにしもあらずだよね。
でもさ、性的なまなざしで相手を見ることは、生きていく上で必要なわけだから、なにも全否定しなくてもいいと思うけどなあ。むしろ、鑑賞するときにその人の考え方が試されるようなところがあって、その意味では貴重な季語だと思うのだけれど。
もちろん「髪洗ふ」という季語が、女性に「女性らしく」あることを強要しているとは限らないからね。たとえば歌舞伎の演目でDVを問題にしないのと同じで。松竹や国立劇場がそれを推奨しているわけでもないし。
江戸時代にキリスト教弾圧に使われた「絵踏」みたいに、「髪洗ふ」も過去形で割り切っちゃえばいいのかもね。神社本庁で句会やったら、そうはいかないだろうけど(笑)女性の艶かしさを詠みなさい、みたいに「男性のまなざし」を強要されそうだ…それはキツいな。
まあ、季語の由来はどうあれ、女を美しく、あるいは面白く詠んでる句は多いんじゃない? 上野泰の〈洗ひ髪夜空の如く美しや〉までいくとさすがに、と思うけど、宇多喜代子さんの〈髪洗うまでの優柔不断かな〉とか、あたしはけっこう好きだな。ところで話変わるけどさ、現代俳句協会のホームページに主要役員が出ていて、見てみたんだよね。
パリテ、実現されてた?
いまの会長は「陸」主宰の中村和弘さんだけど、副会長は6人いて、男女比が1:1(秋尾敏、 伊藤政美、 小林貴子、 高野ムツオ、 対馬康子、 寺井谷子)なの。あ、知らない人のために言っておくと、伊藤政美さんは男性です。
おお。パリテだね〜。
ただ幹事長(柏田浪雅)は男性、副幹事長(網野月を、後藤 章、佐怒賀正美)は3人とも男性、幹事(大石雄鬼、木村聡雄、神野紗希、津髙里永子、長井寛、堀田季何、宮崎斗士、本杉康寿)は8人中、女性は2人。このへんは少しずつ変わっていくのかなあ、という印象。
伝統俳句協会とかはどうなんだろう。イメージだけど、自民党っぽくて、おじいさんが多そう(笑)
ここに最新の役員名簿が公開されているんだけどね、会長(稲畑汀子)こそ女性だけど、副会長(稲岡長、大輪靖宏、岩岡中正)は3人とも男性だし、幹事はその4名を除く19人中4人と、やっぱりちょっと少ない印象だね。
じゃあ、俳人協会はどうなの?
会長(大串章)は男性、副会長(今瀬剛一、茨木和生、栗田やすし)は3人とも男性、理事長(能村研三)も男性。ただし常務理事(小澤實、片山由美子、小島健)は3人中1人が女性、理事は12人中、半数の6名(西村和子、櫂未知子、角谷昌子、西山睦、德田千鶴子、藤本美和子)が女性で、これは実は意識的にパリテを実現しようとしているんじゃないかと思ったね。
2019年のおわりに神野紗希さんが『女の俳句』を出したでしょ。そのあとがきに「この本が時代遅れだと笑われるくらいに、一人一人が縛られず、自分らしく生きられる世の中になるといい」って書いていて、ぼくはそのとおりだと思ったね。まだそういう意味では「縛り」があるのかなあ。
社会的な圧力のせいで、選びたい道を閉ざされるようなことは、なるべく減らしたほうが絶対にいいし、そのためには仕組みを変えたり、古い考え方を捨てたりしなければならないと思うよね。このあたり、俳句は意識的に頑張ってますよ、とアピールするのも組織レベルでは大事なことだと思うな。
角川俳句賞から考える「オマージュの時代」と「静かな貧しさ」
そういえば今年は、角川俳句賞の最年少記録が更新されたんだよね。
東大在学中の岩田奎さん(男性)が受賞したんだよ。それまでは、やはり京大在学中に田中裕明(男性)が受賞した時の年齢が「最年少」だったんだけど。
受賞作のタイトルも「赤い夢」って、なんだかシュルレアリスムっぽいタイトルだけど、裕明の受賞作「童子の夢」へのオマージュなんだって。
オマージュといえばさ、この選考会の最後に〈インバネス土鳩ときどき白い鳩〉について、前年の受賞作に〈インバネス死後も時々浅草へ〉があったことを小澤實(男性)さんが指摘していたでしょ。「麒麟さんへのオマージュかもしれませんが」って言ってたけど。
それを「オマージュ」と呼ぶかどうかは別にして、前年度の受賞作を読んでいないとは思えないから、意図的な部分が大きいんだろうなあ。審査員も前年度同じだし。
この季語のこのリズムだったら、自分はこう作るっていう意思表明みたいなね。
そもそもだけど、この麒麟くん(男性)の句を詠んだとき、やっぱり〈インバネス戀のていをんやけどかな〉っていう八田木枯さん(1925-2012)の句を思い出したんだよね。関係あるかはわからないけれど。
麒麟さんは木枯さんの晩年を見ていて、ここに200句選を公表したりもしているけれど、〈鶴引くや八田木枯なら光る〉なんていう追悼句を作っているしね。彼のなかでは、俳人としてのひとつのモデルなんだろうな。
その句、芝不器男新人賞(2014年)のときに出てたの覚えてる。麒麟くんは、「俳句史」のなかに足を踏み入れることに自覚的で、そのぶん生きていること自体がフィクショナルであるというか、そんな印象を受けたね。
それでいうと今回の岩田さんの句、少なくとも「インバネス」の句の上では、作者像みたいなものはそれほど見えてこなくて、むしろ50句を構成する上での美学みたいなところで、それを感じさせるような作りだったよね。
それはたとえば、タイトルに「赤」が入っていて、血を詠んだ句が複数入っているとかってこと?
色でいえば「黄砂」の句からはじまって、5句目に〈入学の体から血を採るといふ〉、15句目に〈袋角朦朧と血の満ちてをり〉、25句目に〈トマト切るたちまち種の溢れけり〉、そして30句目に表題句の〈赤い夢見てより牡丹根分けかな〉が来ていて。結構、数学的な構成だよね。
そこまで計算されてたんだ? 一句一句を立たせたうえで、意味の向こう側にあるイメージみたいなところで遊んでる感じなのかな。ところで、牡丹根分ってなんだっけ?
俳句的ジャルゴンについては、岩田さん自身がnoteに書いてる。「芍薬の根を台木にして接木で牡丹を殖やす園芸作業」だって。
「赤い夢」のビビッドな感じと、この古風な季語とのギャップがたまらんね。
もしや岩田萌えしてる? くま太郎さん、メガネ男子好きだもんねえ。
錦織(圭)、小林(圭)にならぶ日本三大Kとして、応援していきたいと思っております。
小林圭なんてみんな知らないでしょ、この流行敏感お洒落熊がっ! でもまあ、ショーンKを入れるわけにいかないからな。東大でかぶっちゃうけど、小椋桂くらいにしておけよ。
漱石の『こころ』のKというのもだな…
もういいんだよ、「K」の話は! ナイツのコントじゃあるまいし。
ぴえん🥺
それよりさっきのnote、ある程度習熟が必要な「専門用語」で俳句が組み立てられていることに自覚的だってことだよね。もちろん、季語がすでに一種のジャルゴンなわけで、俳句をやる以上は避けられないことでもあるんだけど。それにしたって「にはとり」を「にわとり」のことだとわざわざ説明したのは、あたしは目から鱗だったんだよね(笑)
念のため感はあるけれど、これは少し笑った。笑ったけど、
笑うってのはどういうことなのかと思った瞬間、自分に見えてない「壁」があるのかも、と思ったり。
何年か前にセンター試験の問題で「やおい」が注釈付きで登場したことが話題になったけど、たとえば松本てふこさんのBL読み、あれなんかは本当に面白いでしょ。ああいうのも一種の「壁」だよね。
てふこさんは、北大路翼さんの「BLはきれいすぎる=現実感がない」という意見に反論してたけどさ、むしろ「読み」ってそういう他者に向けて「壁=共感可能性」を探るところにある気もするよね。
文学観っていうのはいわば、「言葉と現実がどういう関係に見えてるか」ってこと。たとえば、ポストと金とメンツだけが「現実」の政治家にとってみれば、言葉は「現実」じゃなくて「うわべ」になっちゃうみたいな。
そういう意味じゃ、歌舞伎町でゲロや血とともに吐き出される生きる苦しみって、その場に居合わせなくても、むしろ共感しやすくて「古典的」とも言えるのかな。
金とか、女とか、人間関係とかってテーマ自体は普遍的だもんね。でも3年前に『アウトロー俳句』が出てメディア的にも活躍の翼さんの第三句集『見えない傷』は、生き物の死に対する現代的なまなざしがあって、結構ぐっときたんだけど。
〈虫籠は死んだら次の虫が来る〉〈日直が捨てる月曜日の金魚〉〈風鈴と同じ柱で首吊らむ〉、みんな死が重々しくじゃなく、手に届くものとして、あるいは反復されるものとして描かれてる。
〈立ち食ひの重心変へて秋の雨〉なんかは、好き嫌いが別れるかもだけど、根底にあるのは実生活なんだよね。大病患ったわけでもないのに30代、40代で「死」を意識するってのは、今の時代だからこそなのかもしれないけど。「静かな貧しさ」とも言えそうな感じ?
同じ血を描いていても、岩田さんの「苦しみ」は、ちょっとニーチェにハマってしまった哲学青年っぽくて、ある種の陶酔感がある。〈京都〉という現実とバランスをとりつつ、自分の感覚を掘り下げていくような。
「一億総中流」なんていう幻想が崩れた世の中じゃ、栗林一石路みたいな昔のプロレタリア俳句は、下振れしていく中産階級的な「静かな貧しさ」に引き継がれているのかしら。
本来お金のかからない文芸だったけど、本当に生活に余裕のない人は、俳句自体にアクセスできなくなりつつあるような気もする。その意味では「季語の世界に耽溺する」こと自体が贅沢であるというか…
現実世界では、公文書が改竄されるとか、近代国家の基本であるはずの理性的な書記システムが破壊されているからこそ、「事実性」みたいなものが、必要なんじゃないかというのが、あたしの意見。もちろん、そうじゃない俳句を書くのはいくらでも可能なわけだけど。
つまり、俳句は「虚」でいいんだ、みたいな開き直りには手厳しいわけね、うさ子ちゃんは。
現実の言葉の「軽さ」を考えるとね、ついね。たとえばさ、言葉なんてあとでいつでもいじれるし、操作可能だ、なんて考えだとさ、政治家のそれと変わらないじゃない?
2020年に話題になった句集たち(一部)
そういう意味で11月に出た神野紗希さんの『すみれそよぐ』、あれは読後感がよかった。〈まばたきの子象よ春はこそばいか〉〈どの名前呼んでも寄ってくる子猫〉〈おくるみをさらにくるみぬ春ショール〉とか。明るくて知的なユーモアがあるよね。
健康的な句集だし、以前よりも文体が多彩になってる。あと暮れに出た津川絵理子さんの『夜の水平線』、これはすごい句集だと思った。ちょっと生々しい句や、切り取り方が独特な句があって。たとえば、〈二の腕のつめたさ母の日なりけり〉〈タランチュラなめらかに来る夜長かな〉〈立春や腕より長きパンを買ふ〉〈あたたかやカステラを割る手のかたち〉。
リモート句会:俳句共同体におけるオープンネス
話はがらっと変わるけど、今年のコロナ騒動で、対面句会がしにくくなって、リモート句会が一気に普及したじゃない?
移動時間も節約できるし、会場予約とかも、お菓子やお茶を用意したりも必要なくなって、結構くま太郎は気に入ってますけれども。角川の鼎談や俳句賞の審査にもZoomなどのビデオ会議ツールが使われてたね。
あとレクチャーが動画で配信されたりね。池田澄子さんのレクチャーが有料だけど、現代俳句協会の企画で聞けたりとか。あたし、いままで喋ってる池田先生って見たことなかったわけ。ところがある日、Youtubeに池田先生が出てきたわけ。すごい時代がきたもんだと思ったよ。
池田さんがいきなり「客観写生」を語り始めるからね(笑)動画編集する人は大変だけれど、こういうのってアーカイブにもなるし、いい仕事だよね。
俳句は金がかからない、紙と鉛筆と歳時記さえあればいいんだと言われるけど、いまはパソコンかタブレットもあったほうがいい。そうなると、家にいながらにして「移動の自由」が大きくなるという逆説的な現象が起きてくる。
どういうこと?
結社だと近くに句会がないと入りにくいでしょ? でもパソコンがあれば「近く」じゃなくても句会自体はできるようになっちゃう。そうすると、句会をできる人の数は、少なくとも潜在的に、ぐぐっと増えるじゃない?
たとえば、海外にいる人とも定期的に句会ができるようになったし、海外からも講演やレクチャーに参加できるようになるもんね。
もちろん結社とかで「つくる―選んでもらう」というコミュニケーションは有効だと思うの。ただ、そういう「師=弟」的な関係に加えて、その外側に溢れかえっている情報、これはネットに限らなくて本とか総合誌も含めてだけど、いわば俳句の歴史という〈海〉があるわけで。
つまり昔みたいに結社で揉まれて、みたいな話じゃなくなってきてるってこと?
昔からある傾向だとは思うんだけど。あたしが気になっているのは、「師系」という考え方がどこまで有効かということ。師系もあまりに増えすぎて、何がなんだかわたしにはわからないわ…
そもそもだけどさ、今の俳句人口の多くは、「おーいお茶」や「俳句ポスト365」に投句するとか、あくまで個人の趣味として俳句をつくってる人なんじゃないの? 結社に所属するとかじゃなくて。
プロの俳人だってもともとは「個人の趣味」だとは思うんだけど、やっぱりプロとアマの差は方法論(メトドロジー)があるかないか、そこに関心を持つかどうか、じゃないかな。
昔は方法論が「師系」とニアリーイコールだったけど、いまは変わってきてるって話なのか。
原理的にいえば「師系」は、同時代のあらゆる方法論のなかから、理念を選ばなければならないわけだけど、それをやるのは容易なことじゃないからね。
今にはじまったことではないけど師系をとらない結社も増えてきてるよね。最近でいうと、堀本裕樹さんの「蒼海」は、師系・角川春樹とはしなかったものね。人気の「いつき組」にしたって、結社ではないけど、黒田杏子さんのことさえ知らない人たちたくさんいるだろうし(笑)
極論すれば、師系的なメソッドが形骸化していて、ウェブ上にいろいろな議論がアクセス可能になっていく現状では、さっきの愛好家=アマとしての俳人と、多かれ少なかれ方法に意識的なプロとしての俳人は、二極化しながらもリアルタイムで触れ合ってもいるような気がする。
そしてその外側に「対面ベース」で俳句を愛好する人たちがいる。
たぶん、どの方法がいちばん面白い俳句を作れるか、という問いは不毛で、その人によってベストの環境があるんだよね。
そして「角川」1月号でも話題になっていたけど、ウェブを使ってても情報が拡散しているから、案外同じものを見てない。
そうね。ただ、今までだったら絶対に見えなかったものが、「見えてしまう」、あるいはふとしたきっかけで「見てしまう」ということはあると思うのよね。
さっき話にあがった岩田くんは「群青」という同人誌に、麒麟くんは「古志」に所属してるよね。彼らの句に、プレバトで俳句をはじめた人が興味を持つのかな?
全員ではないかもしれないけど、興味を持つためのチャンネルはつねに開かれてるとは思う。彼らはTwitterだってやってるし。それに彼らのなかでも「師系」みたいな垂直のラインよりも大事なのは、これまでに俳句史でつむがれてきた数々の「面白い俳句」なわけでしょ。必ずしも同世代とかではなく、同時代に読めるものすべて、みたいな感じで。
そういえば岩田くんの受賞コメントの冒頭って、すごく不思議なこと書いてるなと思ったんだ。
なんだっけ?
「波多野爽波を読みながら俳句を作っていると」という書き出しなんだけど、これ読んでああ、と思ったの。
「読みながら」のところね。
そうそう。「読む」と「作る」が同期してるんだって。「師系」でもなんでもないのに。
誰がどういう経路で誰に影響を受けるのかは自由なのだけど、そのチャンネルが少し増えてる感じはしていて。彼は俳人協会新鋭評論賞で、百合山羽公(1904-1991)について語っていたでしょう?
俳句って短い分、面白い人たちが山のようにいるから、そのなかから「再発見」をする喜びがあるよね。
正直、そこくるか、って思ったの。ベタでもネタでもなくって、芯のある「再発見」だよね。そう思ったら、角川1月号の時評で麒麟さんが中勘助とか、小津安二郎とかの俳句について書いてた。これも「(再)発見」のよろこびよね。いわば、マイナーストリームの俳句史の紡ぎ方。
ウェブでできたこと、できるはずのこと
リモート句会だけじゃなく、メール句会も増えたと思うけど、「夏雲システム」は無料で簡単に清記・選句ができるということで広まっていったみたいだね。
10月くらいからシステム障害が出ていて、一部機能が停止してたみたいだけど、運営者の野良古(のらふる)さんはこれ無償でやってんでしょ? オープンソースの精神だわ… 俳句愛の強い方なのかしら。
あとは毎日新聞の「俳句てふてふ」が選句サービスを開始したね。選者は、池田澄子さん、小川軽舟さん、高野ムツオさん、坪内稔典さん。いずれは有料になるらしいけど、今のところは無料らしいよ。
「特選」「佳作」「がんばろう」の評価がつくあたり、なんだかプレバトっぽいけど(苦笑)、これっていずれは紙面の「毎日俳壇」がなくなるってフリにも思えるね。
まあ、ハガキで投句を受け付けて整理して、それをコピーして選者に送る…みたいな手間が一気に省けることで、だいぶコストカットにはなるだろうとは思うよね。新聞だってデジタル購読の人が増えてるだろうし…
それをいうと、大方の結社誌ってやっぱりハガキで投句を受け付けるわけだけど、それがいずれはなくなるんじゃない?まあいまだって、ウェブ上のフォームで簡単に取りまとめできちゃうはずなんだけど。
それって、やっぱり高齢の方への気遣いなのかな?
そういうところは多いだろうね。ただ、ゆくゆくは結社誌自体も紙にこだわるかどうか。月刊じゃなくて隔月、季刊で出すところも増えてるけど、そもそも紙で出すのかという。
でもやっぱり紙でぱらぱらやりたいって人は、減ってくかもしれないけれど、一定数はいると思うなあ。紙質から手にもった感じ、本棚におさまる感じ、そういう身体的な経験も大事だと思うし。
それは一種のセンチメンタリズムなんじゃないか?
いや、活字がモノとしてあることの意味って、案外大きいんだよ。たとえば、PDFとかで配信されると、繰り返し見るってことが少なくなる気がするんだ。
まあ、それはたしかにあるよ。でもあたしはそれは誤差の範囲だと思うの。必要なときに検索かけて、本棚のスペースを食うこともない、そのほうがいいと思う。郵便代の節約にもなるし。海外にも同時に届けることができる。
うーん、言いたいことはわかるけど、PDFでの配信だと、どの雑誌も似たり寄ったりになるんじゃない? 装丁を工夫したり、そういう喜びもなくなるし…
言わんとしてることはわかるけど、装丁がいいからって、中身がいいとは限らんだろ? もちろん、配ったり売ったりすることが会員を増やすのに欠かせないのなら、話は別だけどさ。角川「俳句」だって、電子書籍で買う人増えてんだろ。手帖はついてないけどさ。
ぼくは…やっぱり手帖(付録)がほしいんだ!
そういえば、妻恋坂書房って知ってる?
現代俳句協会の在庫書籍を、割引で買えるってやつね。
俳人協会のシリーズとかもそうなんだけど、電子書籍化して販売をしてほしいよね。
ふらんす堂の書籍なんかも全部じゃないけど、オンラインだと安く買えるっていうのは、あれは嬉しいよね。Bookwalkerで「俳句」って検索すると、結構な本が電子書籍で買える。あれ、どんどん増やしていってほしいなあ。
逆向きの話でいうと、毎日新聞社が刊行している「俳句αあるふぁ」が休刊になることが発表されたばかり。購読者はコロナ禍でも伸びていたっていうし、実際にとてもいい誌面を作っていたから、とても残念なこと。
縁起でもないことをいうけれど、角川「俳句」だって、角川俳句賞を残して、いつなくなるかわからない。
俳句雑誌はいくつかあるけど、正直、編集方針にそう大きな開きがあるわけではないと思っちゃうよね。何か抜本的変化が必要な時期にきてるんじゃないかなあ。
2007年に「俳句朝日」が、2011年に「俳句研究」が休刊になったときから続いてる話でしょ? 俳句人口は多いとはいうけれど、最近の「群像」(講談社)なんかと比べると、どうしても中身が惰性的に見えちゃうね、俳句雑誌は。まあ、購買層の世代の差なのかジャンル的限界なのか…
そんなこといったら、あんたにゃ原稿依頼がこなくなるぜ、熊さんよ。
言いたいこと言えないこんな世の中、ポイズンだぜ。SDGsな俳句雑誌を目指して、心底頑張ってもらいたいんだよ、編集者のみなさんには(本気)。
「平成期俳句のパラダイム」とは?
さきほど話題にあがった田中裕明賞だけど、今年から審査員が佐藤郁良、関悦史、高田正子、高柳克弘の各氏になって、激論の末、生駒大祐『水界園丁』が受賞となったね。
結果だけをいえば、一位に推したのが関さんと高柳さん。ただ関さんは藤田哲史『楡の茂る頃とその前後』も同じくらい強く推してたね。
関悦史さんは、選評で「後世から見ればその〈社会〉の欠落も含め、平成期俳句のパラダイムとその可能性の頂点を示したものとして、今という時代を逆説的に体現したものと成り得る」って絶賛してた。選外だった佐藤さんも「現実社会と距離を置くアンニュイな雰囲気」と同様のコメントを残してるんだけど、この言葉の虚構的な部分を社会的・歴史的なコンテクストのなかでどう位置づけるか、という話になるわね。
「葛粉を作るときに、何度も何度も水で洗って不純物を流して精製するように、コトバを洗って濾過して抽象化する一歩手前で留め、それを使って廃園の園丁のように世界を組み立てる」というのは、言語学者で短歌評論家の東郷雄二先生の評。なかなか言い得て妙だね。
それでいうと、今年の蛇笏賞の選評で『柿本多映俳句集成』について、片山由美子さんが「既に存在しているものを言葉に置き換えるのではなく、言葉によって世界を生み出してゆく作句法であり(…)しかも、言葉の意味性を無視した俳句とは違い、難解ではない」と書いてたのを少しオーヴァーラップしたかな。
どの作品にも「言葉の呪縛性を強く感じた」と言っていたけれど、柿本さんの句に〈日は月の光に変はり飼ふ兎〉ってのがあるでしょ。ぼくは片山さんの言うほど「既に存在しているもの」が見えないわけではないんだけど、でも質感があって、読んでてゾクゾクするな。
生駒さんの句に〈秋淋し日月ともにひとつゆゑ〉っていうのがあって、これは一般的には、30代の「感覚」ではなくてすごく老成した感じ。虚子の枯野の句みたいな厭世感があるな。翼さん、麒麟さんと同じ地平に足場を置きつつも、そこから空想的抽象のほうに足を踏み出してる感じね。
さっきのデータベース的世界の話に戻るけど、上田信治さんが「語彙は、彼によって生きられた時間からではなく、抽象的な言語空間から選ばれている」にもかかわらず「先行句がありそうな気がするけれど、ない、という句が多い」という言い方で、同時代性を語ってたのは、これも言い得て妙だなと。
これは他の人も言ってるかもしれないけど、生駒さんの句ってAI俳句の試みと、似てる気がする。
先行句の「抽象的な言語空間」から、いわばランダムな仕方で、先行句の網の目を潜り抜ける、みたいなこと?
そうそう。そしてそれは彼のいう「普遍性」って言葉によく表れていると思うのよ。
それも上田さんがさっきの文章で引用してるよ。「僕の信条では、俳句が歴史の風雪に耐えて後世まで生き残るためには普遍性が不可欠である」って。でもその「普遍性」って、不可知論というか、カント的な発想だよね、これまた。
そのくだりにまた片山由美子さんが出てくるけれど、片山さんは「師系」を大事にする方でしょ。それに対して、生駒さんは「普遍性」というある種のロマン主義をぶつけてくる。歴史意識がぜんぜん違ってるんだわな。
なんかふと、ナポレオン3世のせいで学問の世界を追われたミシュレが『ジャンヌ・ダルク』について書いて、万余の読者の紅涙を絞ったことがよぎった(笑)
やっぱり「俳句史」から受け取るイメージが、20世紀後半とはかなり違ってるんだよね。それは長谷川櫂さんのニヒリズムとも通じると思うけど、まあこれはある種の相対主義のドツボにはまってる感じに見えなくもない。上田さんの「map」じゃないけどさ。
岸本尚毅さんなんかは、爽波が死んで途方に暮れて、虚子を「発見」するわけだけど、そこから案外時代は変わってないのかも。ニーチェの神の死みたいに、「神」がいなくなって、相対主義のなかで、正解がわからなくなって、不安になる。そこで歴史=データベースが「先生」になる。あるいは、夏井いつき先生のような「ぶった切る」人が….
「レジェンド」なんて言葉が流行ったけど、平成って巨匠がかろうじて幅をきかせてた最後の時代だったんじゃない。金子兜太が死んで、稲畑汀子や鷹羽狩行は次世代に席を譲って「名誉職」になって。今年は後藤比奈夫さん、黛執さん、有馬朗人さん、鍵和田秞子さん、小原啄葉が亡くなって。
彼らもまた〈師〉から〈史〉になっていたと…
いままでの人たちは歴史的な俳人に教えを受けて、大結社を率いてきたけど、そういう俳句のあり方はほとんど絶滅危惧種になりつつあるんじゃない。日本最古の月刊雑誌であるところの「ホトトギス」だっていずれなくなるかもしれない。でも、なくなって初めて〈史〉になれるともいえる。
コロナ禍でテレワークが進んで、会社員もフリーランスマインドを、という話になったけれど、そういうのにもちょっと似ているのかな。〈師〉から〈史〉へって流れは。
麒麟さんや生駒さんもそうだけど、「所属」がゆるやかで、みんなフリーランスという感じ。それぞれが似たようなデータベースを共有していて、方法論的意識のもとで俳句を書いている感じ。
虚子が生きてたら、「ほう、俳句もデータベースになりましたか」とか言ったのかな(笑)
はは、たしかに言ったかもね。
「船団の会」の解散とその後
今年は年末も近づいて、「天為」主宰の有馬朗人さん(1930-2020)がお亡くなりになったけど。いつも矍鑠とされてた方ですが、突然の訃報でした。享年90歳。
あとは「未来図」主宰の鍵和田秞子(1932-2020)さん。「樹氷」名誉主宰の小原啄葉さん(1921-2020)さん。小原さんは「夏草」で青邨門に入った縁で、1990年の「天為」創刊にも参加されてたんだよね。
あとは何といっても後藤比奈夫(1917-2020)さんでしょう。『喝采』はいい句集でした。そのあとに出した『あんこーる』も。もう二度目の蛇笏賞をあげちゃえばいいのに、と思っちゃったくらい。本人はもう少し生きられるつもりだったようだけど、103歳の大往生でした。
「未来図」は解散して、後継誌「磁石」のほか、いくつかの雑誌にわかれることになったみたい。草田男イズムがどう継承されていくのか、気になるね。
比奈夫さんの「諷詠」は、お孫さんの和田華凜さんが主宰・編集をしてるんだよね。1968年生まれ。「月の華凜」という異名をもっているとどこかで読んだな。〈月の華凜みづから名乗り月仰ぐ〉。ツキノワグマのわたくしとしては、うれしい限り。
「天為」のその後はまだ発表されていないけれど、日原傳(1959-)さんが継承されるのかしら。
「磁石」は依田善朗(1957-)さんが主宰に。今年度いっぱいはまだ現役の先生なので、4月以降に活動を本格化するのだとか。編集長は元「角川」編集長の飯田冬眞さんに。
今年は「門」を鳥居真里子さん(1948-)が、「青山」をしなだしんさん(1962-)が継承したね。あとは1985年にはじまった「船団の会」が今年5月で「散在」になった。
これは去年のインタビューだけど、代表の坪内稔典さんが解散は「野心的な挑戦」だって。2017年の正月から解散について考えていたらしいけど。
俳句アクティヴィストだからね、稔典さんは。そういえば、今年は9月から、坪内さんが理事長を務める柿衞文庫は、改修のために長期の休館に入ったね。リニューアルオープンは、2022年の4月。
同じ兵庫でも位置が違うけど、演出家の平田オリザが、劇団「青年団」ごと豊岡市に引越しをして、今年初めて演劇祭をやったでしょ? そして彼が学長に就任予定の芸術文化観光専門職大も来年からはじまる。
ざんざん〈個〉が〈史〉に向き合う、みたいな話をしてきたわけだけど、こういう自治体規模で文化的コミュニティを構築していくという文化政策的な視点は、これまで俳句ではなかったんじゃないかな。そういう意味では、稔典さんの活動はこれからも注目だと思うな。
2021年もいい年になりますよう…
はてさて来年(2021年)はどんな年になるのかなあ。
早いなあと思うけど、2011年の東日本大震災から10年なんだよね。変わってしまった部分、変わらない部分、変えなければならない部分をきちんと整理するタイミングにしたいね。
あとは年明けからバイデン大統領の民主党政権になる。
日本はオリンピックを本当にやるのかどうかと、衆院選のタイミングがあるけど、12月15日にメディアが一斉に世論が「中止すべき」のほうに傾いている、という報道をしたね。裏読みすれば、中止は近づいてるという見方もできるような…。
世界がまだこんな混乱してる状態で、アスリートがわざわざ灼熱の極東まできてくれるかどうかは、ちょっと怪しいよね。電通ビジネスありきの組織委員会にとっては、観客入れない選択肢はないだろうし。
あたしの予想では、来年の早い段階でオリンピックは中止になると思う。12月になって、予想通りというべきか、史上最大規模の予算になったでしょ。どこがコンパクトな五輪やねん!って思ったけど、これは「未来への投資」だとか言葉を変え始めたでしょ。あれは何か企んでるね(笑)
10月にはロイターが、五輪招致委員会に電通が7億近くも寄付したことを明るみにしたけど。テレビ見ないからわかんないけど、こういうのってテレビじゃ報道しないんでしょ? それこそ中立性が(苦笑)
給付金の中抜きもそうだけど、荘園ビジネスと藤原家の関白政治を足したようなことをやってるな(笑)でも、さぞかし儲けているのかと思いきや、2年連続の赤字で6000人のリストラに踏み切るっていうんだから。噴いたわ。
広告で儲けなければ意味ないんだから、オリンピック、半年前になってもやるかどうかわからないってのは、原理的に考えたらありえない話だよね。
ワクチンができてくれば、可能性はゼロではないように見えるけど。さらなる変異の可能性もまだあるし、何より選手のコンディションもある。11月の時点で4割近くの予選が終わってない状態。それに東京の感染状況が落ち着かない状態では、「やります!」とは言えないでしょ。
世界ではワクチン接種がはじまりつつあるけど、日本ではこれから承認で、早くても春先って言ってるしね。
まだ厚労省がパブコメ実施しているところだからね。この3か月は株価暴落もふくめて、いろいろ覚悟しておかないと…
株価を気にするなら5月の連休くらいまで引っ張って、ようやく中止とか言いそう。やっぱりダメでした、みたいな(苦笑)こりゃあ、2021年は政権交代もあるかもしれないね。
冷戦後の米国で共和党政権から民主党政権に交代した年には、必ず自民党政権が崩壊するっていうジンクスもあるしね。
1度目は1993年でしょ。パパ・ブッシュからクリントン政権に代わった時、自民党が分裂して、非自民非共産の8党派が細川政権を誕生させたんだよね。前年の佐川急便事件で検察への風当たりがきつくなった一件だった。懐かしいなあ、いかにも悪代官顔の金丸信。
2度目は記憶にも新しい2009年。このときは子ブッシュからオバマ政権になって、日本では総選挙で麻生自民党政権が大惨敗、民主党が初の政権交代を成し遂げて鳩山政権が誕生。このときは「消えた年金問題」だったわね。
そして今回は「五輪中止・コロナ不況」になるかどうか、ということだね。
財務省には申し訳ないけどさ、こんな時期なんだから、まずは低所得者ほど負担が大きい消費税を一時的にでも引き下げるべきだと思うな。
まだまだ喋り足りない気がするけど、おかげで2020年がどういう年だったか、少し整理ができた気がするね。今回話したことの「答え合わせ」は、来年この場所でやりましょう。
そうだね。それじゃあこのへんで。みなさまにとって2021年はよき年となりますように。来年もセポクリ盛り上げていくので、ぜひ応援してくださいね。
【執筆者プロフィール】
くま太郎(くま・たろう)
ブリアナ・ギガンテにギガはまり中の33歳。好きな俳人は、太田うさぎと岩田奎。好きなアーティストはPUMPEE。
うさ子(うさ・こ)
1週間に1回は、肉を食べない日を設けている38歳。好きな俳人は、久保田万太郎。好きなアーティストは岡崎体育。