【書評】小川軽舟 第5句集『朝晩』(ふらんす堂、2019年)

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標準と平凡のありか

 サラリーマン川柳というのは耳慣れた言葉だが、サラリーマン俳句というのはあまり聞かない。しかし、小川軽舟の『朝晩』は、まさにそのような名称が適当な一冊だろう。なにせ、全五章のうち最初の章に与えられた題は「単身赴任」である。で、たとえば、こんな句が並んでいる。

  レタス買へば毎朝レタスわが四月
  サラリーマンあと十年か更衣
  冷奴電気が高くなりにけり
  ナイターの膝の通勤鞄かな
  家事たのし鼻に浮きたる汗小粒
  爽やかに仕事ができる体かな

 横浜に自宅をもつ小川軽舟が、仕事のために関西に単身で転居したのは、2012年のことのようだ。この句集は、この年から2014年までの3年間に、2018年までの句を適宜加えて編まれている。角川「俳句」(2013年2月号)に発表された「単身赴任」50句が、この第一章の大枠となっており、これは『俳句と暮らす』(中公新書、2016年)のいわば「実践編」でもある。

 句から印象付けられる作者像は、「世事に惑わされず、淡々と生活をこなしていく堅実な男性の給与所得者」だ。

 朝ごはんに、サラダを用意するということは、トーストとハムエッグも作っていてもおかしくないだろう。仕事では、スーツ姿にネクタイを締めているようだ。おそらく牛革の少し皺のよった鞄を携えて、毎朝定刻に出勤。家に帰れば、自宅の郵便受に入れられていた電気代を見て、冷房を切るか、あるいは設定温度を一二度上げてみる。甲子園球場に野球を見に行けば、左右前後の虎党の熱狂にどこか違和感を隠しきれず、恐縮して観戦しているようだ。それでも単身の家事を楽しみ、平穏無事な生活を営んでいる。

 私の人生は私の世代の標準的なものである。あえて境涯俳句と呼べるような特色はない。しかし、平成も終わろうとする今、かつての標準がもはや標準でなくなっていることに気づいた。私の平凡な人生は、過ぎ去ろうとする時代の平凡だった。だからこそ書き留める意味もあるだろう。(「あとがき」209頁)

 標準と平凡。これらの言葉が、シームレスに使われていることが、気になる。標準とはスタンダードであり、あくまで数の上での基準点である。しかし平凡は、ありふれていて、オリジナリティに欠けるというような意味をもつ言葉のはずだ。「標準」があくまで客観的な判断にもとづくのに対し、「平凡」は主観的な価値判断にもとづいている。だからもちろん、標準と平凡は、原理的には矛盾しないのだが、それぞれは別のことである。

 しかし小川は、自身が標準でありかつ平凡であると言い、それが遠くない将来、過去のものとして受け止められることを自覚している。実際に、これはいまの40歳以下くらいの感覚からすれば、すでにノスタルジアの領域に属しつつあるかもしれない。

 1961年生まれの小川軽舟は、世代的にいえば、かつて「新人類」と言われた文化人たちと同世代に含まれる。なかでも共通一次試験を経て大学に入学した最初の世代であるが、彼らが今でも「世代意識」を共有しているとしたら、それは後のバブル崩壊がもたらした社会的変化が一因となっているのだろう。そのことは、小川が第二句集『手帖』を発刊するのとほぼ時を同じくして、『現代俳句の海図 昭和三十年世代俳人たちの行方』という評論集を刊行したことからも、うかがえる。それが2008年のことで、藤田湘子の逝去にともない、小川軽舟が「鷹」主宰を継承して3年後のことだった。

 比較的幸福な時代に生まれたといってよい「昭和三十年世代俳人」である小川軽舟の「平凡」への志向は、当然ながら『手帖』に収録された〈平凡な言葉かがやくはこべかな〉に先行して、『近所』という第一句集のタイトルにまで遡ることができる。そこからこの第五句集に到るまでに一貫性しているのは、「日常の絶対的な肯定」であり、もう少し簡単な言い回しをするなら、「のほほん」としている、ということである。この句集のなかには、〈梅雨の日々ジャージでゆるく暮らしたく〉などという「ゆるい」句も含まれている。 

 しかし重要なことは、この日常への信頼が、俳句においては、そのまま季語に対する無条件の信頼とオーヴァーラップしている、ということだ。

 小川軽舟の句で目につくのは、呟きのような認識・把握の「外」にぽん、と季語が置かれるというタイプの句だ。有名句でいえば、〈偶数は必ず割れて春かもめ〉のような句である。例句を『朝晩』からも引いてみよう。

  古扇子家族に会ひに上京す
  遠ざかる町に家族や立葵
  職場じゆう関西弁や渡り鳥
  ロープウェー深空行き交ふ落穂かな
  立ち呑みの肘ぶつかつて二月かな
  梅咲いてユニクロで買ふもの軽し

 これらの句は、波郷の〈初蝶やわが三十の袖袂〉と同じように、いわば季語の象徴性を使って、自身の感慨や発見に「意味」を与えている。この場合、季語は「引き立て役」であり、だからこそ、一見すると何でもない日常の一コマが「肯定」される。小川の初期の句でいえば、〈男にも唇ありぬ氷水〉もこのタイプであり、これが小川軽舟の本領たる取り合わせの諧謔性だろう。いずれも季語が「いい感じに離れている」タイプの句だ。

 こうした句は、本質的に「季語をいい感じに離す=異化する」という一種の言語ゲームであると同時に、日常に素材を求めるあまり、句が通俗に堕すということがままある。というよりも、「単身赴任」の章を、句集の入口に置いた作者にとって、おそらくこのような句は、サラリーマンの日常の景のなかで、およそ句材にならないものはない、ということを身を以て示すという機能を併せもっており、つまるところ、俳句に関心がなかった人々(主に男性)に対する勧誘の文句にもなっている。

  小鳥来るマクドナルドの朝早き
  定食に満腹したる聖夜かな
  古暦金本選手ありがたう
  サイダーや有給休暇もう夕日
  遅刻メール梅雨の満員電車より

「メール」や「定食」や「有給休暇」から、「ユニクロ」や「マクドナルド」や「金本選手」まで、あえて「平凡」な(おじさん的)語彙を選択することで、俳句の可能性を拡張してみせている。

 しかしその一方で、俳人であっても初めて出会うであろう語彙が、この句集のなかには登場する。数の上ではけっして多くはないが、いずれもが難読字であり、ルビがなければ読むことができず、情景も像を結ばないだろう。

  鹹し夜更煮かへす蜆汁
  籠松明首級あげたる如く出づ
  アフファルト斑濃にかわき春暑し
  道しろき寧楽の木影に鹿の子立つ

 一句目は、「鹹(しおはゆ)し」と読み、塩辛いという意味である。単身のキッチンで、小鍋につくり余した潮汁を温め直している。執筆などをしているうちに深夜になり、小腹がすいたのだろう。単身者を包み込む夜の闇と、蜆汁のイメージがうまく調和している。琵琶湖産であるのならば、湖国の歴史に思いを馳せて、このような言葉遣いになってもおかしくはない。

 二句目の「首級」は、もちろん「しゅきゅう」と漢語調にも読めるが、「しるし」と読むことが多く、実際にそのようにルビが振られている。首実検のことである。ここでの季語は「籠松明」で、東大寺二月堂で行われる修二会でもっとも大きな松明である。打たれた首を掲げるように8メートルほどの松明からこぼれ落ちる火の粉は、鎮まらぬ怨念のようにも見えてくる。

 三句目の「斑濃」は、「むらご」。染色法のひとつで、同色でところどころに濃淡をつけて染めることをいう。雨あとのアスファルトが、まだらに乾いているところを詠んでいる。「まだら」ではなく「むらご」という表現にしたことで、どことなく京都の趣が感じられる。

 四句目の「寧楽」は、「なら」である。「奈良」の異表記。奈良の依水園には園内には寧楽(ねいらく)美術館があるので、この近辺で詠まれた句なのかもしれない。安寧の「寧」に、「楽」という字の組み合わせは、この土地が現実界にあってどこか極楽とも通じているような印象を与える。そうすると、「鹿の子」が神の使いにさえ感じられてくる。

 かくして京都・奈良界隈の歴史性が、しばしば難読字をもたらしてはいるが、ぞれぞれに必然性が感じられ、これらもまた作者の「日常」のヴァリエーションであることが理解できる。

 逆からいうと、小川軽舟の句には見事なまでに大景がない。そのいずれもが市井の人間の目線の高さで描かれた句であり、すでに述べた通り、作者自身は「標準」で「平凡」な庶民にすぎない、という自己認識が前提とされている。句のなかから人間を極力排除する、という詠法も俳句にはあるが、小川はその道を採らない。たとえば、〈数へ日に母の命日窓磨く〉。下五で「窓磨く」という日常に落とす。〈初夢や昔の母に今の吾〉も同じ構造だ。最後に「今の吾」という自己に戻ってくるところが、「のほほん」なのである。

 しかしながら同時に、この「のほほん」という現実の肯定には、どうしても一種のニヒリズムが感じられてしまう。そのことを見るには、昨年話題になった〈子にもらふならば芋煮てくるる嫁〉という句を例にとるのが、よいかもしれない。掲句は、この句集には収録されていないが、神野紗希が去年、時評のなかでこの句に描かれる旧守的な価値観から、「真綿で首を絞められたような窮屈さ」を感じると批判して話題になった句だ。

 もちろん、この句の面白さは、かつては「標準」的だったかもしれない「芋煮てくるる嫁」を「子にもらふ」という語彙と発想が、現実には限りなく不可能であることを作者が知ったうえで(かなりフィクショナルに)詠んでいるという点にある。この句には「※作中には現代では不適当な表現が見られますが、文芸作品であることを考慮して、そのままにしてあります」という前書が隠されている、ということだ。その点では、時代認識からいえば、小川は神野とけっして違う方向を向いているわけではない。

しかし神野からすれば、仮にそれが半ば冗談であったとしても、それを面白がるというやり方には賛同できない、ということだったのではないか(注:その後両者は対談を行なっているが、内容について筆者は知らない)。これを書いている直前にも、某私立医大が本来は配点180点の入試で、女性であるというだけで一律80点の減点をされていたという報道があったばかりだ。世界経済フォーラム(WEF)が昨年末に発表した「ジェンダー・ギャップ指数」で、日本は121位にまで転落をつづけた(対象国は、世界153カ国である)。

 もちろん、このような社会的課題に対し、実生活者の小川軽舟は、多かれ少なかれ明確な意見をもっていることだろう。しかし、それを「帳消し」にしてしまうだけの力が、先の「芋煮てくるる嫁」の句には十分にあるのではないか。それは、『朝晩』所収の以下のような句でもまた繰り返されているように思われてならない。

  新涼は膝寄せてくる妓の如く
  若者の貧しさ眩し更衣
  冷奴庶民感情すぐ妬む

 これらの句に潜んでいる「政治性」が「平凡と標準」と結びついているとするならば、それはやはりあやうさを含んでいるということになるだろう。ここには「通俗性」の問題を超えて、「若者」や「庶民」や「妓」といったものが自身にとって、どうしようもなく他者であるという認識がうかがえるからだ。俳人としての自分にできるのは、「そういうもの」を「そういうもの」として受け入れつつ、そのなかに「美」や「趣」を見出すことだけであり、現実を変えること(あるいは、抵抗すること)は自分の仕事の領分を超えてしまっている――そんな意識が感じられてならない。

 小川軽舟の「のほほん」的日常詠の延長に、このような句があることは、読み手の側もまた同様に、作者が「おじさん」なのだから仕方がない、と開き直ることもまた可能ではある。しかし次のような句を見つけたとき、私にはそれを肯定するだけの心の余裕が見出せない。それは〈日の丸を振る子抱きをり稲の花〉という句だ。おそらくこの句は、作者の自解がなければ、正しい解釈に導くことができない類の句なのかもしれない。だが、この句を詠んだときの最初の感想をいえば、それは神野が「真綿で首を絞められたような窮屈さ」と詠んだものと、案外近いように思われるのである。

 ただし誤解を恐れずにいうと、『朝晩』のヴァリエーションは、もっと多彩だ。単身赴任で大阪・京都の文化に溶け込みながら、サラリーマンとしての日常を淡々と詠んでいく手つきのなかに、「おじさん」の悲哀や母親の喪失などもテーマとして描かれてもいる。

 とくに、〈風呂洗ふことごとくわが木の葉髪〉〈この町に選挙権なし浮寝鳥〉には、単身の句のなかでも惹かれるものがある。感覚的な句としては、〈綿虫のあたりきのふのあるごとし〉〈雪降るや雪降る前のこと古し〉〈遠く来て近所のごとし花祭〉〈咲(わら)ふごとく木耳生えし老木かな〉が佳句であろう。〈あめんぼや水に映れる雲と松〉には写生の妙、〈八千草の王たる芭蕉破れたり〉には言葉の妙がある。〈うどん屋の出汁濛々と太閤忌〉は、平民出身である秀吉のイメージを借りながら、湯気の奥に野心をちらつかせる。〈女湯に天井つづく初湯かな〉は、家族で温泉旅行という目もなくはないが、単身者が銭湯にて初湯を浴びていると解釈すると味わいがある。

 ここに引いた句は、それほど「のほほん」とはしていない。言い換えれば、それは必ずしも「標準と平凡」というテーマに沿って読まれる必要がない、ということである。「世代」も関係ない。「男女」も(「初湯」の句は別としても)ほぼ関係ない。つまり「平凡な日常」を詠むにしても、「おじさん」的価値観に束縛される必要が、それほど感じられないのである。もちろん、「おじさん」的「のほほん」俳句が散りばめられることで句集はいっそうの厚みを増すのだろうが、しかし単体としてみれば、やはり上記のような「非おじさん」的「非のほほん」俳句が、この第五句集における重要な仕事なのではないか。

【執筆者プロフィール】
堀切克洋(ほりきり・かつひろ)
1983年生まれ。「銀漢」同人。第一句集『尺蠖の道』にて、第42回俳人協会新人賞。第21回山本健吉評論賞。

 

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