好きな繪の賣れずにあれば草紅葉
田中裕明
今もあるのか分からないけれど、むかし、井の頭公園に行く途中の小道に小さな画廊があって、そこを通るたびに、よく中を覗いていた。
ある日、ふと目に入ったクリムトの複製がどうしても欲しくなって、ひとしきり迷ったあげく、思いきって買うことに決めた。
一点ものではないけれど、それでも次に来るときにはもう無いかもしれない、という不安が、心をよぎったからだ。
好きな繪の賣れずにあれば草紅葉
好きな絵が売れてしまわずに、そこにあってくれるのは嬉しい。画廊を通りかかるたびにその絵がまだ掛かっているのを見ては、まだ誰のものにもなっていないことに、どこかほっとしているのだ。「売れずにあれば」の先にたゆたっている心には、そんな安堵の表情が見える。
そして同時に、好きな絵が売れずにそこにあってくれるということは、実は淋しい。
それは、売れていないという淋しさではなく、その絵を手に入れることの出来ないことへの淋しさ。
自分のものに出来たら……という思いが、「売れずにあれば」の先には同時にたゆたっているように思える。
まだ誰のものでもない一枚の絵も、いずれは誰かのものになってしまうのだろう。
安堵と淋しさ。
そんな心のありようが、秋の深まりとともに色づきはじめた草ぐさの姿に映し出されているように思う。
私の目に入ったクリムトの複製は無事に手に入れることができたが、もし、手の届かないような額の絵だったら、私もこの句のような思いになったことだろう。
クリムトの「抱擁」と「ユディット」はいま、小さな部屋の片隅で、静かに金色の光を放っている。
『花間一壺』(牧羊社、1985年)所収
(日下野由季)
【執筆者プロフィール】
日下野由季(ひがの・ゆき)
1977年東京生まれ。「海」編集長。第17回山本健吉評論賞、第42回俳人協会新人賞(第二句集『馥郁』)受賞。著書に句集『祈りの天』、『4週間でつくるはじめてのやさしい俳句練習帖』(監修)、『春夏秋冬を楽しむ俳句歳時記』(監修)。