笠原小百合の「競馬的名句アルバム」【第16回】2023年 日経新春杯 ヴェルトライゼンデ

【第16回】
雫になる途中
(2023年 日経新春杯 ヴェルトライゼンデ)

先日、荻窪にある屋根裏バル鱗kokeraにて開催された新刊読書会に参加した。

課題本は月野ぽぽな句集『人のかたち』で10句選(うち1句特選)を持ち寄り、感想を述べ合った。その際、10句選には入れられなかったがとても気になった句があった。

旅はゆりかご人は雫になる途中  月野ぽぽな

人は「ゆりかご」に揺られるように「旅」をして「雫になる途中」なのだという。「ゆりかご」に安堵感を覚える。この句を胸にすれば、安心して「雫」になっていくことができる。やがては消えてしまう「雫」となることも不思議と怖くはないように思える。

人は雫に。では、馬は何になるのだろう。

そんなことをふと考えてしまうのは私が馬好きであることに加え、ある競走馬の血統において「旅」といワードが非常に大切にされているからである。

ステイゴールドという競走馬がいた。

1996年から2001年まで現役の競走馬として活躍。なかなか勝ちきれず2着3着が多いことからシルバー&ブロンズコレクターとも呼ばれていた。ラストランで涙の海外G1制覇を達成するその現役時代もドラマチックなのだが、彼が本領発揮するのは種牡馬になってから。三冠馬となった金色の暴君・オルフェーヴルや、ウマ娘としても人気のゴールドシップなど数多の個性豊かな産駒を輩出した。

まさかステイゴールドがこのような大種牡馬になるなんて。

良い意味でみんなを裏切り続けたステイゴールド。私が今まで30年以上競馬を見てきた中で、未だに一番大好きで忘れられない馬だ。

そんなステイゴールドと「旅」は深い関わりがある。

一つは、ステイゴールドは海外レースに強かったこと。海外のレースに出走するには空輸をしなければならず、馬にとっては大きな負担となることが想像できる。実際、輸送によって大きく体重を減らしたり体調を崩したりしてしまう馬は少なくない。

しかし、ステイゴールドは海外ではとても強かった。当時はまだ海外遠征をする馬もそれほど多くない中で、2戦2勝という成績を残している。特にラストランとなった香港のレースでは、もう駄目かと思うような位置からまるで羽が生えたかのように飛んできて、ゴール板丁度で差し切るという奇跡のような走りを見せた。そのレースを見るだけで、何なら思い出しただけでも涙が込み上げてきてしまう。

国内では勝ちきれないのに海外では堂々勝利するその姿に、ステイゴールドは旅が好きなのではと思わずにいられなかった。

もう一つは、ステイゴールドのその名前に関係する。

ラストランを香港の地で迎えたステイゴールド。香港競馬では競走馬は漢字表記が割り当てられる。その時のステイゴールドの名が「黄金旅程」なのだ。

元はスティーヴィー・ワンダーの「Stay Gold」が由来であり、「黄金のような美しい輝きのままで」「子どもの時の心を忘れないで」といった意味合いが強いのだが、この「黄金旅程」という翻訳はまさにステイゴールドの人生(馬生)そのもののようで、ラストランに相応しい馬名表記であったように思う。長い旅路の果てに黄金の勝利を掴んだステイゴールド。直木賞作家の馳星周先生もステイゴールドに魅せられた人のうちの一人で、『黄金旅程』という小説を出版している。ステイゴールドファンにとって「黄金旅程」という文字列は目にしただけで涙してしまうような力を持っているのだ。

(現役引退後のステイゴールドに会いに行きました)

そして、その「旅」は産駒に受け継がれた。

息子のドリームジャーニーはステイゴールドが種牡馬になって2年目の産駒。父・ステイゴールドの「黄金旅程」からの連想で「夢のような旅路」と名付けられた。父に似て小柄な馬で、2歳時にはG1・朝日杯フューチュリティステークスを歴代優勝馬で最も軽い馬体重(416㌔)で勝利。ドリームジャーニーの活躍は、ステイゴールドファンみんなの夢だった。特にドリームジャーニーが宝塚記念、有馬記念を制したときは歓喜という言葉だけでは言い表せられない、深い感動があった。

ステイゴールドの子どもたちの活躍は目覚ましく、その後もオルフェーヴルやゴールドシップ、オジュウチョウサンといった有名馬が輩出されることになるのだが、ドリームジャーニーは私にとっては特別な存在だった。ステイゴールドの血をその後に繋ぐような活躍をしてくれた、楽しませてくれた、ステイゴールド一族の長男のような存在。ドリームジャーニーの活躍がなかったら、オルフェーヴルもゴールドシップもこの世に誕生しなかったかもしれない。(ちなみに、オルフェーヴルはドリームジャーニーの全弟で、父も母も同じである)

そしてドリームジャーニーも現役引退を迎え、種牡馬となった。

旅路は、まだまだ続く。

(毎年恒例の有馬記念缶。前年優勝馬がデザインされる)

ヴェルトライゼンデという競走馬がいる。

今年1月19日に行われる日経新春杯に出走予定で、父はドリームジャーニー。ヴェルトライゼンデはドイツ語で「世界旅行者」という意味で、しっかりとその「旅」を受け継いでいる。

怪我に悩まされ、骨折や屈腱炎で休養を余儀なくされたが、何度もターフへ戻って来るヴェルトライゼンデの姿を見るだけで涙がこぼれそうになる。

実はヴェルトライゼンデは2023年の日経新春杯を勝利しており、今回は2度目の制覇を狙っている。8歳と競走馬の中では高齢な方だが、まだまだ元気いっぱい。59.5キロのトップハンデは正直かなり心配になるが、彼を信じて、無事にレースを迎えて終えることを祈るしかない。

今週も、競馬が出来る幸せを噛み締める。それも自分の最愛馬の子孫の応援が出来るのだから、本当に幸せだ。

ステイゴールド一族と続くわたしの旅は終わらない。

でももうそろそろ、泣きすぎて、雫になってしまうかもしれない。


【執筆者プロフィール】
笠原小百合(かさはら・さゆり)
1984年生まれ、栃木県出身。埼玉県在住。「田」俳句会所属。俳人協会会員。オグリキャップ以来の競馬ファン。引退馬支援活動にも参加する馬好き。ブログ「俳句とみる夢」を運営中。


【笠原小百合の「競馬的名句アルバム」バックナンバー】

【第1回】春泥を突き抜けた黄金の船(2012年皐月賞・ゴールドシップ)
【第2回】馬が馬でなくなるとき(1993年七夕賞・ツインターボ)
【第3回】薔薇の蕾のひらくとき(2010年神戸新聞杯・ローズキングダム)
【第4回】女王の愛した競馬(2010年/2011年エリザベス女王杯・スノーフェアリー)
【第5回】愛された暴君(2013年有馬記念・オルフェーヴル)
【第6回】母の名を継ぐ者(2018年フェブラリーステークス・ノンコノユメ)
【第7回】虹はまだ消えず(2018年 天皇賞(春)・レインボーライン)
【第8回】パドック派の戯言(2003年 天皇賞・秋 シンボリクリスエス)
【第9回】旅路の果て(2006年 朝日杯フューチュリティステークス ドリームジャーニー)
【第10回】母をたずねて(2022年 紫苑ステークス スタニングローズ)
【第11回】馬の名を呼んで(1994年 スプリンターズステークス サクラバクシンオー)
【第12回】或る運命(2003年 府中牝馬ステークス レディパステル&ローズバド)
【第13回】愛の予感(1989年 マイルチャンピオンシップ オグリキャップ)
【第14回】海外からの刺客(2009年 ジャパンカップ コンデュイット)
【第15回】調教師・俳人 武田文吾(1965年 有馬記念 シンザン)


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