会いにいける主宰
森羽久衣(「銀漢」同人)
私が銀漢亭に初めて行ったのは、平成23年11月のある夜だった。
日本酒の会で知り合った小野寺清人さんから俳句をやってみないかと強く勧められ、当日小学校の俳句授業以来約30年ぶりに作った俳句を5句持参して「銀漢」発行所での句会に参加した。
ただ句会といっても参加者は清人さんと、私と同時に清人さんに誘われた飲み友達の今井麦さんの3人。麦さんもその当日ほぼ初めて俳句を作ったという、今思うと恐ろしい会であった。
そんな私と麦さんは健気に句会の作法を学び、なんとか句会を終了。そして初めて銀漢亭に足を踏み入れたのであった。その時店内にいたのは私たち3人と伊那男さん、金曜担当スタッフの谷口いづみさんの5人だった。
ほどなくして仕事帰りらしきお姉さんが来店、それが阪西敦子さんだった。大胆にも清人さんは句会の清記用紙を伊那男さんと敦子さんに渡し、選をお願いした。
当然のように伊那男さんは清人さんの句にしか選を入れなかったのだが、敦子さんはなんと今日初めて句会にきた私達の句にも選を入れたのだった。おそらく私が今も俳句を続けているのは敦子さんのおかげといっても過言ではないだろう。
翌年私は「銀漢」に入会、私にとって伊那男さんは「伊那男主宰」となった。徐々に結社の句会後以外にも銀漢亭に顔を出すことが増え、天野小石さんや太田うさぎさんなどなど多くの方々とお友達になることができた。
このように銀漢亭は結社を超えて俳人をつなぐ場ではあったが、私にとっての銀漢亭は、主宰に句会の選をお願いするなど「主宰に会いにいくところ」でもあった。会いたいときに会える主宰なんてまあなんと贅沢だったんだなあとつくづく思う。
令和2年3月30日(月)、句会報を主宰にお渡しするために行ったのが最後の銀漢亭だったが、ミャンマー長期出張から辻本芙紗ちゃんが無事に帰国したお祝いでシャンパンなどをたらふく飲むなどすっかり酔っぱらってしまい、詳細を覚えていないのがとても残念である。
ところで余談だが、麦さんがいわゆる「バリキャリ」で、リアル句会に来る時間がほとんどなかった頃に小石さんの結社の編集所を教えたことがあった。そうすると麦さんは「お店はどこにあるの?」と真顔で聞いてきた。しばらくポカンとしていたら、「俳句結社はどこも飲み屋をやっているんでしょ?」
銀漢亭が閉店すると聞いて、この麦さんのことばを思い出し、小石さんの結社の編集部を飲み屋に改装してもらいたいと真剣に思ったが、奇しくも銀漢亭の店舗の後には「bistro Amano(ビストロ・アマノ)」が入居した。これも何かの縁だろうか。
【執筆者プロフィール】
森 羽久衣(もり・はくい)
1967年石川県生まれ。2012年銀漢入会。2015年同人。俳人協会会員。新宿区在住。