【連載】加島正浩「震災俳句を読み直す」第8回

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【連載】

「震災俳句を読み直す」第8回

加島正浩


「喪失」から遠く離れて

―青眼句会合同句集『フクシマ以後』・照井翠『泥天使』


今回はマブソン青眼主宰の「青眼句会」の合同歌集『フクシマ以後』(2011年9月)と照井翠『泥天使』(コールサック社、2021年1月)を扱うが、この2冊を同列に並べて扱うことは、当然であるができない。まずは刊行年におよそ10年の隔たりがあるという点。そして、合同句集が原発「事故」に焦点を絞っているのに対して、後者は釜石に津波襲来以前から、そして大震災以後も住み続けている俳人の句集であるという点である。

2011年の春を日本で過ごした人は誰しも、この脅威が他の災害と“種類が違う”と痛感し、“生活のすべてが突然終わるかもしれない”というトラウマを今も覚えていると思います。マブソン青眼「序文」『フクシマ以後』、8頁

福島の原発事故という人災のみを扱い、同時に起こった天災(地震・津波)から切り離して句集を編むのは、初の試みと思われます。その趣旨を理解して頂いたのは、フランスの出版社です。日本でも、文芸・マスコミにおいて、いつまでも自由な意思表示ができるような環境であって欲しいと、切実に願います。マブソン青眼「序文『フクシマ以後』、10頁

「この脅威が他の災害と“種類が違う”」のは、原発「事故」のためであることが、「福島の原発事故」のみを扱い「地震・津波」から切り離した編集意図からも明らかである。 

その意図には私も賛同する。地震や津波による被害は―東日本大震災ではそれがとても広範囲に及んだとはいえ―(このような表現を許してもらえるのであれば)「局所的」とも言えなくはないが、地震や津波の被害を「直接に」被らなかった地域にも放射性物質は降りそそいだ。2011年の4月7日には、韓国の一部の学校が悪天候による放射性物質の混入を懸念して、臨時休校措置を取ったそうだ。原発「事故」による「被災」は国境をも越えていく。

合同句集は、そのような観点から詠まれた句が多数収録されているといえる。たとえば、マブソン青眼の〈児の頬に遅春のなみだ放射能と〉、〈みどりごの実桜拾ふセシウムも〉、井出節子の〈眼に見えぬ微風の怖れ花の冷え〉などは、詠み手の居住地として記されている長野市で詠まれたものと推測される。過去の連載をお読みいただいている方には説明はいらないと思う(特に第3回目)が、このような「懸念」が「杞憂」であるとの認識を私は持たない。原発「事故」直後を、東日本で生きなければならなくなった俳人の認識〈実桜拾うセシウムも〉や感情〈微風の怖れ〉が素直に詠まれた重要な句であると考える。

ただしこれは2021年に『フクシマ以後』を読み返した人間が「2011年の春を日本で過ごした人」が詠んだ句に対する行う酷な指摘ではあるが、「事故」を起こした原発からの距離を感じる句が多いようにも感じた。

たとえば〈朧なる原発といふ魔物かな〉(井出節子)、〈寄り難き原発といふ蜃気楼〉(金子健一)、〈原発建屋怪獣と化し戻り梅雨〉(小笠貞子)のような原発の詠み方である。原発が「朧」なのも、「蜃気楼」なのも、遠くから原発を見ていられるからであろう。金子は〈寄り難き〉と詠んでいるが、その〈寄り難き〉原発に、〈怪獣と化し〉た原発に、「寄って」行ってくれた人がいるからこその「現在」なのである。おそらくこの「遠さ」も、「2011年の春を日本で過ごした人」の正直な感覚であったと思う。2011年当時の私は東京の私立大学に通う大学2年生であったが、「事故」後の原発に「寄って」行ってくれた人に思いを及ばせることは皆無であったと振り返る。「特権的」な立場から10年前の感覚を批判できるような立場に私もいない。

ただやはり指摘はしておくべきだろうと思う。他にも「遠さ」は次のような句にも現れる。〈死の街に散れる桜は涙なる〉(鈴木しどみ)、〈死の森に啼き続けたる時鳥〉(臼田文子)なるほど、「外」からみれば、強制的に避難をさせられ人がいなくなった街は〈死の街〉に見えるのかもしれない。しかし〈死の街〉と呼ばれる街に、そう呼ばれる前から住んでいた人たちは、その場所を〈死の街〉と呼ぶだろうかと思う。

〈鳥帰るところあらざり人もまた〉(鈴木しどみ)とも詠まれているが、そこがたとえ〈死の街〉に見えたとしても、放射線量が高かったとしても、帰りたい人はいる。〈死の街〉と呼ばれるようになったとしても、その街に留まりたかった人はいた。福島県南相馬市の「緊急時避難準備区域」(当時)に住む93歳の女性が「私はお墓にひなんします ごめんなさい」と書き残して自ら命を断ったこともあった。(「『お墓にひなんします』南相馬の93歳自殺『毎日新聞』2011年7月9日)

帰るところはあったのである。それが奪われたのである。そしていまもあり続け、奪われ続けているのである。

放射線量が「極めて高い」地域から「遠く離れた」場所で詠まれた2011年当時の感覚が刻印された句集が『フクシマ以後』であるとするならば(ただし付言しますが、私も含む「遠く」にいた人間のある側面の感覚を示していることが、この句集の重要性であり、「事故」発生から間もない段階で句集をまとめられるという困難なお仕事をなされたことには深い敬意の念を覚えます)津波により被災した地域の「最も近く」で句を詠んだ俳人が照井翠ということになるだろう。

本連載の第1回目で、私は照井翠『龍宮』(角川学芸出版、2013年7月)の〈芋殻焚くゆるしてゆるしてゆるしてと〉、〈花吹雪耳を塞いでゐたりけり〉などの句を取り上げ、「芋殻を焚きながら〈ゆるして〉と何度も乞わなければならないのは、花が散る様のなかにいて耳を塞ぐのは、それは俳人が声を「聞いてしまって」いるからではないか」、「照井の俳句によって、〈私〉(たち)はそのような「現実」を生きなければならない俳人がいることを知る。/そのような俳人にとって、震災はあえて「思い出す」ようなものではない/俳人は常に「震災後」を生きているのである」と述べた。

そこから約8年が経過して刊行された『泥天使』には〈夏の星耳澄ましゐてどれも声〉という句が収められ、〈耳を塞〉ぐのではなく、耳を〈澄まし〉て声を聞くようになった俳人の変化がうかがわれる。

ただしそれは「震災後」が終わったことを意味しない。〈死が横で息をしてゐる春の宵〉、〈死に近き声やはらかや籠枕〉、〈花置かばいづこも墓場魂祭〉などの句は、津波の被災から時を経て、海は元に戻ったとしても〈初明り海だけ元に戻りけり〉、死の気配が「近く」にあることを教える。三月を喪ひつづく砂時計〉、〈まだ立ち直れないのか 三月来〉など、津波襲来以前の「三月」という春が返ってくることはなく、それは「喪われつづける」ことを示す句は、立ち「直る」(治る)ことのないものを読む者に教える。

喪われたものは戻ってはこない。「三月」は、季節の円環の外側へと喪われてしまいそれはもう戻ってはこない。しかしそれでも三月はやってきて、生き残った者はそれを生きなければならない。その「絶望」を〈草茂るずつと絶望してゐろと〉という句は教える。

何かが喪われたとしても、喪われた場所でそこに流れる時間を生きなければならないのは、新型コロナウイルスでおそらく「私たち」が経験したことだろうと思う。流れる時間のなかで、本来そこにあってしかるべきものが「喪われている」ことに気がつくとき、「私たち」はそれを「改めて喪う」のかもしれず、本来そこにあるはずのものが、刻まれていく毎分毎秒に存在しないことを捉えれば「私たち」は何かを「喪いつづけている」のかもしれない。

しかし「被災地」では「喪失」を生きなければならない時間が、「喪いつづける」時間が10年以上流れていた。その時間の流れから、「私たち」はずいぶん「遠く」にいて、生きていたのではないだろうか。

最初にも記したが原発「事故」を扱った『フクシマ以後』と、津波の被災地で詠まれた照井翠の句集を安易に比較することは、問題の所在を見失わせかねない。原発「事故」以後と津波襲来以後では、生じた問題も流れた時間も異なることだろう。

しかし照井翠が示すような「震災後」の時間の流れを、今もなお「喪いつづけ」ながら、それでも前に進む時間のなかを生きなければならないことを示した句集が、原発「事故」以後を生きる観点から編まれていたのだろうかと考えてはしまう。繰り返すが安易に比較はできない。ただし『フクシマ以後』で詠まれていたのは、原発「事故」以後に放射性物質と「共存」しなければならない恐怖であり絶望であり、「喪失」ではない。

「事故」で喪ったものはあまりにも多いはずであるが、「私たち」は「喪われた」ものから「遠く離れて」いたのではないか。照井は『泥天使』で〈三・一一みちのく今も穢土辺土〉と詠んでいる。「私たち」は(最も)多くのものが喪われた「東北」から「遠く離れて」(遠く遠ざけて)「震災後」を考えていたのではないか。

 それは地理的に、心理的にというだけではない。「時間的に」でもある。「喪失」の時間を生きなければならない、生きつづけねばならない照井のような俳人を横目に「私たち」は「生産」の時間へと、容易く回帰していったのではなかっただろうか。

今回、連載の原稿の入稿が大幅に遅れてしまった。(堀切さん、申し訳ございません…)

このようなとき「大人」は「私の能力不足のために」というのであろうが、それが問題の本質を粉飾していることはおそらく皆が気づいているはずである。新自由主義、成果主義、業績主義に巻き込まれて生きる「私たち」はあまりにも忙しすぎ、「生産」の時間を生きさせられている。わずかばかりに「喪失」と向き合う時間は与えられるが、すぐに「生産」の時間へと回帰することが求められる。

それが「正しい」とは私は全く思わないが、加えて「震災」以後の「文学」を勉強している私が始終「生産」の時間に囚われていて、それで何かをわかった気になるのは極めて危ないように思う。「生産」の時間に入ることで、私は何を「喪って」いるのか。

その「喪失」を見定めることから、まずは、はじめなければならないのかもしれない。


【執筆者プロフィール】
加島正浩(かしま・まさひろ)
1991年広島県出身。愛知淑徳大学ほか非常勤講師。主な研究テーマは、東日本大震災以後の「文学」研究。主な論文に「『非当事者』にできること―東日本大震災以後の文学にみる被災地と東京の関係」『JunCture』8号、2017年3月、「怒りを可能にするために―木村友祐『イサの氾濫』論」『跨境』8号、2019年6月、「東日本大震災直後、俳句は何を問題にしたか―「当事者性」とパラテクスト、そして御中虫『関揺れる』」『原爆文学研究』19号、2020年12月。


【「震災俳句を読み直す」バックナンバー】

>>第7回 「忌」ではない別の表現を
      『浜通り』浜通り俳句協会

>>第6回 書く必要のないこと
      小野智美編『女川一中生の句 あの日から』
>>第5回 風と「フクシマ」
      夏石番矢『ブラックカード』・中村晋『むずかしい平凡』
>>第4回 あなたはどこに立っていますか
      ―長谷川櫂『震災句集』・朝日新聞歌壇俳壇編『阪神淡路大震災を詠む』
>>第3回 おぼろげながら浮かんできたんです。セシウムという単語が
      ―三田完『俳魁』・五十嵐進『雪を耕す』・永瀬十悟『三日月湖』
>>第2回 その「戦場」には「人」がいる
      ―角川春樹『白い戦場』・三原由起子『ふるさとは赤』・赤間学『福島』
>>第1回 あえて「思い出す」ようなものではない
      ―高野ムツオ『萬の翅』・照井翠『龍宮』・岡田利規「部屋に流れる時間の旅」

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