水羊羹のなかに棲みたる遠さかな 佐々木紺【季語=水羊羹(夏)】

水羊羹のなかに棲みたる遠さかな

佐々木紺

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私にとって、いつしか佐々木紺の作品を評するのはとても難しいことになってしまった。

無邪気に好きであることを表明できた時期は過ぎ去った。北斗賞を受賞し、数々の質の高い作品を句集というかたちで結実させた今、その切っ先から目を逸らさずに向き合わねばならない。言い換えれば、佐々木紺俳句の核心に迫り、その真価をなんとかお伝えしなくてはならないという使命感に勝手に駆られている。

私の手元には、その句集『平面と立体』がある。見返しにサインとともに入れてもらった一句は、佐々木紺の作品に接した最初期に感銘を受けた句である。

芍薬のぱふと弾けて祈祷室 佐々木紺

しんと静まり返った部屋。その隅に、芍薬が一輪活けられている。きっと清潔さの漂う白い芍薬だろう。誰も気づかぬうちに開ききったその花が、前触れもなく弾ける。張り詰めた緊張と、それが壊れる一瞬。鼻腔に、ふわりと甘い香りが届く。ぱふ、というのは微かな音かもしれず、あるいはそれを目撃した作中主体の声にならない驚きかもしれない。祈祷室という場ゆえか、どこか禁断とか背徳が匂う。小さな秘密に小さな罪悪が忍び込み、感覚の混交と相俟って眩暈すら覚える。この句に出会ったとき、侵しがたい聖性みたいなものを感じて、ことばを失ったのを記憶している。

以来、佐々木紺の俳句に魅せられてきたのだが、その世界観は一筋縄ではいかない。ときに甘やかな翳を帯び、痛みが入り混じり、しなやかなプロテストとなり、あるいは集合意識を抉るように投影してみせたりする。その詩性のあらわれは多面的であって、凝縮したひとことで補助線を引くのはもったいない。難解のふちすれすれのところでひらりとことばを交錯させ、短詩でなくては辿りつけないところへ導いてくれる。

業平忌ゆるやかに削ぐ花の脈 佐々木紺(以下同)
青楓ちりりとうつくしい頭痛
逃げてきてまたあやとりの果ての川
多喜二忌のきゆつと三角坐りかな
コルセットの痕ほの赤し冬の芹
落飾の夢から醒めて日雷
絵踏見るどの額にも魚影かな

句を引いていくときりがない。実際手元の句集はびっしり付箋だらけになっている。

多くの句には、豊かな美意識を湛えた孤独、あるいは孤高が、その底に流れているようにも思える。それは、関係性における距離感、触れようとすると壊れてしまう、如何ともしがたい人と人との隔絶に、作者が自覚的であることの証左でもあるのではなかろうか。

かのひとに友の多くて芝を焼く
胡桃触るなじむほどふたしかな手
もどれなくなるあさがほのちぎりかた

切なさというには甘すぎるし、絶望というには大袈裟すぎる。さりとて諦念というには瑞々しすぎる。なかなか正鵠を得た言い方ができないのだけれど、個人の、あるいは人と人との関係性の中に確かに存在する業が、糸を撚りあわせるようにして浮かびあがってくるように思えるのだ。

いささか没入した言い回しになったのは、このどうしようもない距離が、取りも直さず私と佐々木紺作品との距離でもあるからなのだ。

もどかしい。立ち現れる世界に魅了され、いっそう近づきたいと思うほどに、その景は曖昧に掻き消えてしまう。ぱふと弾ける芍薬みたいに。あるいは、その奥が覗けそうで覗けない、ほんの少しだけ透けた水羊羹みたいに。

水羊羹のなかに棲みたる遠さかな

羊羹ほどの漆黒ではないものの、水羊羹だってそのなかを見通すのは難しい。そこに潜むのが「遠さ」なのだと言われることにも、妙な納得感がある。しかし、これは何との間に生じる「遠さ」なのだろうか。対象として何を想定し、なぜそれとの距離を思ったのだろう。

水羊羹といえば、竹筒に流し込まれた鍵善のものが思い浮かぶ。つるんと青竹から滑り出てきて、口に含めば上品な甘みと涼やかな喉越しが通り過ぎていく。ただ、それも一瞬のことである。そうして過ぎ去って戻らない時間も、「遠さ」として捉えられているのかもしれない。

そしてやはりこの「遠さ」には、人と人との距離も含まれているような気がするのだ。近づきたいと思いつつも埋めることのできない距離が、入れ子のように涼やかな水羊羹に閉じ込められている。そこに、佐々木紺の俳句世界に迫り切れない私の煩悶が重なるがゆえに、この句はいっそう美しく心中に打ち沈んでいくのである。

さて、今週で私の連載はおしまいです。

あっという間の2カ月でしたが、皆さまの日々に私の大好きな句がほんのわずかでも潤いになっていれば、たいへんうれしく思います。尋常ではない暑さが続いているこの頃、どなた様もどうかご自愛くださいますよう。
それではまたどこかで。

楠本奇蹄


【執筆者プロフィール】
楠本 奇蹄(くすもと きてい)
豆の木など参加。第11回百年俳句賞最優秀賞、第41回兜太現代俳句新人賞。句集『おしやべり』(マルコボ.コム,2022)、『グッドタイム』(現代俳句協会,2025)。
Twitter:@Kitei_Kusumoto
bluesky:@kitei-kusu.bsky.social
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【2025年7月のハイクノミカタ】
〔7月1日〕どこまでもこの世なりけり舟遊び 川崎雅子
〔7月2日〕全員サングラス全員初対面 西生ゆかり
〔7月3日〕合歓の花ゆふぐれ僕が僕を泣かす 若林哲哉
〔7月4日〕明日のなきかに短夜を使ひけり 田畑美穂女
〔7月5日〕はらはらと水ふり落とし滝聳ゆ 桐山太志
〔7月6日〕あじさいの枯れとひとつにし秋へと入る 平田修
〔7月7日〕遠縁のをんなのやうな草いきれ 長谷川双魚
〔7月8日〕夏の風子の手吊環にとどきたる 大井雅人
〔7月9日〕かたつむり会社黙つて休みけり 加藤静夫
〔7月10日〕章魚濁るむかしむかしの傷のいろ 瀬間陽子
〔7月11日〕ゆかた着のとけたる帯を持ちしまま 飯田蛇笏
〔7月12日〕手のひらにまだ海匂ふ昼寝覚 阿部優子
〔7月13日〕おやすみ
〔7月14日〕彼とあう日まで香水つけっぱなし 鎌倉佐弓
〔7月15日〕子午線の町の風波梅雨に入る 友岡子郷
〔7月16日〕夏夕べ撫でつつ洗ふ母の足 柴田佐知子
〔7月17日〕蚊帳吊草辿れば少女の骨の闇 冬野虹
〔7月18日〕宿よりは遠くはゆかず夜の秋 高橋すゝむ
〔7月19日〕蟬しぐれ麵に生姜の紅うつり 若林哲哉
〔7月20日〕換気しながら元気な梅でいる 平田修
〔7月21日〕恋となる日数に足らぬ祭かな いのうえかつこ
〔7月22日〕闇よりも山大いなる晩夏かな 飯田龍太
〔7月23日〕ハイビーム消して螢へ突込みぬ 岩田奎
〔7月24日〕水蜘蛛を孕むまぶしい仮眠かな 未補
〔7月25日〕夕立の真只中を走り抜け 高濱年尾
〔7月26日〕短夜をあくせくけぶる浅間哉 一茶
〔7月27日〕空蟬より俺寒くこわれ出ていたり 平田修
〔7月28日〕おやすみ
〔7月29日〕夏帽子大きく振りて角曲がる 大角泰子
〔7月30日〕どの部屋に行つても暇や夏休み 西村麒麟
〔7月31日〕水羊羹のなかに棲みたる遠さかな 佐々木紺

【2025年6月のハイクノミカタ】
〔6月3日〕汽水域ゆふなぎに私語ゆづりあひ 楠本奇蹄
〔6月4日〕香水の中よりとどめさす言葉 檜紀代
〔6月5日〕蛇は全長以外なにももたない 中内火星
〔6月6日〕白衣より夕顔の花なほ白し 小松月尚
〔6月7日〕かきつばた日本語は舌なまけゐる 角谷昌子
〔6月8日〕螢火へ言わんとしたら湿って何も出なかった 平田修
〔6月9日〕水飯や黙つて惚れてゐるがよき 吉田汀史
〔6月10日〕銀紙をめくる長女の夏野がある 楠本奇蹄
〔6月11日〕触れあって無傷でいたいさくらんぼ 田邊香代子
〔6月12日〕檸檬温室夜も輝いて地中海 青木ともじ
〔6月13日〕滅却をする心頭のあり涼し 後藤比奈夫
〔6月14日〕夏の暮タイムマシンのあれば乗る 南十二国
〔6月15日〕あじさいの水の頭を出し闇になる私 平田修
〔6月16日〕水母うく微笑はつかのまのもの 柚木紀子
〔6月17日〕混ぜて扇いで酢飯かがやく夏はじめ 越智友亮
〔6月18日〕動くたび干梅匂う夜の家 鈴木六林男
〔6月19日〕ゆがんでゆく母語 手にとるものを、花を、だっけ おおにしなお
〔6月20日〕暑き日のたゞ五分間十分間 高野素十
〔6月21日〕菖蒲園こんな地図でも辿り着き 西村麒麟
〔6月22日〕葉の中に混ぜてもらって点ってる 平田修
〔6月24日〕レッツカラオケ句会
〔6月25日〕ソーダ水いつでも恥ずかしいブルー 池田澄子
〔6月26日〕肉として何度も夏至を繰り返す 上野葉月
〔6月27日〕夏めくや海へ向く窓うち開き 成瀬正俊
〔6月28日〕夏蝶や覆ひ被さる木々を抜け 潮見悠
〔6月29日〕夕日へとふいとかけ出す青虫でいたり 平田修
〔6月30日〕おやすみ

【2025年5月のハイクノミカタ】
〔5月1日〕天国は歴史ある国しやぼんだま 島田道峻
〔5月2日〕生きてゐて互いに笑ふ涼しさよ 橋爪巨籟
〔5月3日〕ふらここの音の錆びつく夕まぐれ 倉持梨恵
〔5月4日〕春の山からしあわせと今何か言った様だ 平田修
〔5月5日〕いじめると陽炎となる妹よ 仁平勝
〔5月6日〕薄つぺらい虹だ子供をさらふには 土井探花
〔5月7日〕日本の苺ショートを恋しかる 長嶋有
〔5月8日〕おやすみ
〔5月9日〕みじかくて耳にはさみて洗ひ髪 下田實花
〔5月10日〕熔岩の大きく割れて草涼し 中村雅樹
〔5月11日〕逃げの悲しみおぼえ梅くもらせる 平田修
〔5月12日〕死がふたりを分かつまで剝くレタスかな 西原天気
〔5月13日〕姥捨つるたびに螢の指得るも 田中目八
〔5月14日〕青梅の最も青き時の旅 細見綾子
〔5月15日〕萬緑や死は一弾を以て足る 上田五千石
〔5月16日〕彼のことを聞いてみたくて目を薔薇に 今井千鶴子
〔5月17日〕飛び来たり翅をたゝめば紅娘 車谷長吉
〔5月18日〕夏の月あの貧乏人どうしてるかな 平田修
〔5月19日〕土星の輪涼しく見えて婚約す 堀口星眠
〔5月20日〕汗疹とは治せる病平城京 井口可奈
〔5月21日〕帰省せりシチューで米を食ふ家に 山本たくみ
〔5月22日〕胸指して此処と言ひけり青嵐 藤井あかり
〔5月23日〕やす扇ばり/\開きあふぎけり 高濱虚子
〔5月24日〕仔馬にも少し荷をつけ時鳥 橋本鶏二
〔5月25日〕海豚の子上陸すな〜パンツないぞ 小林健一郎
〔5月26日〕籐椅子飴色何々婚に関係なし 鈴木榮子
〔5月27日〕ソフトクリーム一緒に死んでくれますやうに 垂水文弥
〔5月28日〕蝶よ旅は車体を擦つてもつづく 大塚凱
〔5月29日〕ひるがほや死はただ真白な未来 奥坂まや
〔5月30日〕人生の今を華とし風薫る 深見けん二

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