天体のみなしづかなる草いきれ
生駒大祐
炎熱のなかの「草いきれ」を、はあはあ言いながら進んでいく時間は、宇宙を俯瞰して天体の運行を「みなしづか」と感じるのと、もっとも離れている時間、なのかもしれない。そうであればこそ、「天体のみなしづかなる」という把握のなかには、自分で書いた言葉を二重線で抹消してしまうような、そんな手つきが感じられる。天と地と、静と動と、矛盾するものをひとつにパックしてしまうことで、「しづかなる天体」の「動」、「草いきれ」の「静」の部分も際立つ。どちらにも共通しているのは、人間を拒むような「遠さ」である。『水界園丁』(2019)所収。(堀切克洋)
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