ひさびさの雨に上向き草の花
荒井桂子
久しぶりに降る雨の日、地面に咲く草花がわずかに顔を上げるのを見たことがあるでしょうか。
大きなドラマもなく、誰も気づかずに通り過ぎてしまうような光景です。
掲句は、その小さな変化を淡々と描いています。
「ひさびさの雨に上向き草の花」
技巧や感情を排した表現は「地味」と受け止められるかもしれません。
けれど、私はそこに作者の眼差しの確かさを感じます。
「ひさびさ」という一語には、長く続いた乾きの時間がにじみます。
地面の硬さ、葉に積もった埃、草花の待ちわびるような沈黙。それらすべてが、この言葉に託されています。
だからこそ、雨を受けた瞬間に草花がわずかに「上向き」となる、その応答が強く胸に届くのです。
「上向き」と言い切ったところに、生命の底力や、ほんの少しの希望が宿ります。
花が持つ美しさや鮮やかさではなく、その生きようとする自然な姿に、私たちは静かな感動を覚えるのではないでしょうか。
俳句は、声高に飾らずとも心に触れることができます。
派手さのない一句が、かえって読む人の心に深く残るのは、こうした眼差しの力によるのだと思います。
読み飛ばされてしまいそうな一句に、実は静かな生命の肯定が息づいている。
この句を読むとき、私の中にもやわらかな眼差しが呼び起こされたように思うのです。
そして、その眼差しこそが、日常を見つめる俳句の原点なのかもしれません。
(菅谷糸)
【執筆者プロフィール】
菅谷 糸(すがや・いと)
1977年生まれ。東京都在住。「ホトトギス」所属。日本伝統俳句協会会員。
【菅谷糸のバックナンバー】
>>〔1〕ありのみの一糸まとはぬ甘さかな 松村史基
>>〔2〕目の合へば笑み返しけり秋の蛇 笹尾清一路
>>〔3〕月天心夜空を軽くしてをりぬ 涌羅由美