亡母を練るアジアの花の花野かな 攝津幸彦【季語=花野(秋)】

亡母ははを練るアジアの花の花野かな

攝津幸彦

ニセモノの母の乳房の間に眠るとき「無数の亡父の悲しみ」が懐古主義を通して呼び起こされる。皇国を懐古する人々へのアイロニーと、経験することのできなかった物語への薄暗い憧れ。その皺をくまなく現在へとなぞるようにアジアの花の花野がたちあがる。

私と俳句形式との間に繰り返し発見される距離は、弾性を持ち、意味はその空間の中で蛞蝓のように半透明の粘液を垂らしズプズプとこちらを凝視している。意味の視線に対して沈黙し棒立ちしているままの私たちは現実の地上ではなく、亡母、アジアの花、花野、いずれも何処かに奇形を抱え込んだまま俳句世界を漂う、ことを選択する。いつの間にか背負わされた、花野に隠されたほんとうの肉体。俳句形式の中でぶつかり合った名詞は日常から切り取られ、その重さに耐えることができず、奇形となって現れる。意味の現れる前にごーしちごーの音として形作られた喪失。

母を通して感じられる、本来不可視であったはずの「無数の亡母はは」。を「練る」手触りがある、母を再獲得するように「練り」、俳句形式に書かされる。しかし、私たちはほんとうに「俳句」を書くことができるのか。俳句形式との間にある弾性は出鱈目に快楽し、絶望し、縮んだり、伸びたりする。それでもなお猫背で俳句形式を覗き込んでみるとニセモノの鸚母が吐き出される。「アジアの花の花野」で私たちはニセモノの鸚母に言葉を教えるように繰り返す。楽観的な遊びは風習を想起させる。そうして彼は故郷から来たのだ。オトーサン、オカーサン。

俳句を通して世界を獲得することはできず、無惨にも影は私たちを切り裂いて去ってしまった。花野の広がりは火照る背骨を箸で摘んだ白のごとき私たちの敗北主義をひらき、「花野かな」、「かな」は、俳句形式が父的役割を取り戻す地点として存在する。そうして私たちはこの記号により対象化され、立ち尽くす。

雨霧あめ


【執筆者プロフィール】
雨霧あめ(あまぎり・あめ)
2002年生まれ。滋賀県出身。会社員。
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