
化粧して人形となる月夜かな
篠崎央子
『火の貌』(2020年、ふらんす堂)より。月の光の明るい夜。化粧をしている姿。入念に顔を整えているうちに、徐々に見慣れたものとは解離し、作り込まれた人形のように見えてくる。この後主体がこなす役割もまた、人形のように心を停止して行うつもりがあるのだろうとも想像できる。自分を俯瞰している雰囲気も含めて、ほの暗い浮遊感に惹かれた。
化粧とは緻密な工程である。肌を明るく塗って均し、影を足し引きして、眉を整え、唇や頬を赤くして目を強調する。顔を描き直すように思うこともある。もちろん楽しみでもあるが、追求しすぎたり、義務化されると息苦しくなるのもまた真理で、一点の肌荒れもない完璧な美しさを持つ人形も、心があったら「完璧」に囚われてしまってとてもやっていられないだろうと思ってしまう。
一方で、掲句での化粧をすること、人形になることは本当の自分を守るための「仮面」としての役割としても描かれていると想像する。歳月を重ねるほど社会で使い分ける顔が増えていくことは一般的な事象だろう。人の性格において二面性が良い意味で使われることはそうないが、複数の顔を持つことはある意味自然にコミュニケーションを構築していることを象徴していて、その中に処世術としての黙の顔があればより平穏に、自分自身が思う自分自身を大切にして生きていけるのだと思う。
掲句の印象から連想した漫画『顔に泥を塗る』はメイクアップを通した喪失と回復の物語。作中人物が自分の顔を、ひいては自分自身を再定義するかのように化粧品と向き合う過程が描かれる。『顔に泥を塗る』のように、人生への応援のような漫画や歌は多くあるが、俳句は短すぎるのか、写生の意識の影響か、なかなか応援の気持ちは詠めない。その代わり、曖昧なものを曖昧でいい、あるがままで良いと頷く力は強く持っているのではないかと今回の執筆を通して考えた。
掲句の月の明るさは、あらゆる多面性を浮かび上がらせたり、優しく隠したりして肯定しているように思えた。美しく唇の端で微笑む日も、皺を作って笑う日も当然のこととしてあり続ける世の中を願いつつ。
(野城知里)
【執筆者プロフィール】
野城知里(のしろ・ちさと)
2002年埼玉生。梓俳句会会員、未来短歌会会員。第12回星野立子新人賞、第70回角川俳句賞佳作。
【管理人より】ハイクノミカタ(2025.1月-2月)連載分もお見逃しなく!(全8回)
