神保町に銀漢亭があったころ【第121回】堀江美州


出会いと別れ

堀江美州(「銀漢」同人、「和」副主宰)


私が銀漢亭を最初に訪れたのは、平成21年初夏のことでした。その年の4月から東京での単身赴任生活が始まりましたが、仕事とは別に東京での生活を楽しもうと思いました。かねてより興味があった俳句を本格的に始めたいと、ネットで「東京、俳句会」と検索しました。そこで東京新聞の朽木直氏(「銀漢」同人)による銀漢句会の紹介記事と出会いました。それを基に銀漢亭へ行ってみたのでした。銀漢亭店主の伊藤伊那男氏(「銀漢」主宰)との出会いがそこにあったのですが、その時、朽木直氏がたまたま来店していてカウンターで隣り合わせになったことに、不思議な縁を感じました。

それから、週に2回くらいは通い続けた銀漢亭でしたが、2年間の東京赴任生活が終わろうとする平成23年3月11日、東日本大震災が起きました。銀漢亭は閉じられ、結社を立ち上げて間もない「銀漢」の3月の句会行事や、銀漢亭を会場に私も参加していた超結社の句会なども中止となりました。

そんな中、その3月30日(水)には、岐阜へ帰任する私を送る「堀江美州送別句会」が銀漢亭で開かれました。結社「銀漢」のメンバーに加え、他結社の方々も多く集まり、総勢33名の句会(兼題は、「三月尽」「踏青」「桜」の3句出し)となりました。ちらし寿司やお稲荷さんも出て、和やかな句会でした。

 三月尽く余震に耳をそばたてて   伊藤伊那男

  山一つ越すも別れや三月尽     西村麒麟

  一献につのる言葉も三月尽     谷口いづみ

  踏青や美濃の源流辿る道      堀江美州

3句出しの句会が終了すると、武田禪次「銀漢」編集長の発案により、参加者の方々が「堀江美州壮行句」を一句づつ出句することとなりました。参加者による壮行句は後日とりまとめられ、私の元に届きました。

送別句会でしたから、岐阜に帰任するはなむけの句の数々を賜ることができ、私としては胸が一杯となったことを今も思い出します。

 句友といふ縁は途切れず桜満つ   鈴木てる緒

それと同時に、この送別句会に予定していた人数より多くの方々が参加されたのですが、それは震災禍の東京にあって、多くの俳人が句座の再開を心待ちにされていたからではなかったか、と思います。

今、東日本大震災から10年が経ち、東京をはじめとする首都圏や私の住む岐阜県も2度目のコロナ「緊急事態宣言」が発令されています。句座での句友とのつながりを求め続ける人々の心は、以前も今も変わらないものではないか、と考えています。

岐阜へ帰任後も、上京の度に年に数回は足を運んだ銀漢亭。俳人の出会いと別れの舞台ともなった神保町の銀漢亭はもはやありませんが、銀漢亭が今後も多くの俳縁を生み出す心の拠り所であって欲しい、と願っているところです。


【執筆者プロフィール】
堀江美州(ほりえ・びしゅう)
1957年岐阜県生まれ。「銀漢」同人。奥の細道むすびの地・大垣市にある結社「和」副主宰。俳人協会会員。岐阜市在住。著書に『幕末の大儒学者「佐藤一斎」の教えを現代に』(2017年)。



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