連載・よみもの

【#14】「流れ」について


【連載】
趣味と写真と、ときどき俳句と
【#14】


「流れ」について

青木亮人(愛媛大学准教授)


「流れ」に乗るのは大事ということに今さらながら気づいた。

人生には節目になるような「流れ」ともいうべき時期が何度かあり、その時にすべきことをするかどうか、またはその時期までに準備したり、修正したりすることで、その後の人生が大きく変わるらしいことを最近実感している。

「流れ」というのは曖昧な言い方で、「運に乗ることのできる時期」と言った方が近いかもしれない。あるいは「運命がこの人生に形を伴って現れてくる瞬間」とも言えるかも……いや、訳の分からない表現だ。

そもそも、「運」というくくり方が曖昧で、「運」とは何ぞや、といったことを明らかにする必要がある。ここでいう「運」とは、自分独りの力で出来ること以上の全ての「流れ」、ぐらいの感じだ。

このあたりの説明はとても厄介で、まず「運」や「流れ」とはいかなる存在なのか、そして「自分独りの力」とは一体……といった話をする必要があり、しかも「運」と「独りの力」の違いとは何かといった説明も必須である。ただ、これらを説明しようとすると8万字ぐらいになりそうなので、今回は割愛します。

「運」は不思議なもので、人間界の理屈では説明不能なバイオリズム(?)というか、風の吹くまま気の向くままに近い「流れ」を持っていて、人間と没交渉に太古以前から彷徨う精霊や神々が無邪気にふりまく何か、といった感じがある。

その「流れ」に乗れた時には、その後が思ったより楽になったり、自分の実力や努力以上の成果や達成を簡単に得られたり、もたらされることが少なくない。逆に「流れ」が過ぎ去った後に同じ努力をしたとしても、そこで得られる結果や達成感は大幅に少なく、徒労感が滲み出ることが多かったりする。どうも不思議なものだ。

かような「運」について忘れられないのは、人生の師匠ともいうべき年配の方から教わったことだ。その方が仰ったのは、次のような内容だった。

「自分独りでなしえた力量と、運は別物ということを意識すること。多くの人はその二つを区別できずに、いずれも自分の力と勘違いして、本来の自分の力量よりも大きく見積もってしまう。自分自身を見誤ると、その後は鬱々とした人生を歩むことが多くなるかもしれない」といったものだった。

私はこの話を聞いた時、内容は理解したが、肌でしみじみと感じるまでは至らず、それが表情に現れたのか、その方は次のように言葉を継いだ。

「君はまだ若いから、そもそも「運」にピンとこないかもしれない。若いというのはそれだけでチャンスが多く巡ってくるし、可能性が周りにたくさんあるからね。年を重ねると分かるよ。運や可能性そのものが劇的に少なくなるんだ。そうなった時、「運」や「流れ」がどういうものだったのか、今後は何をすればよいのか等々、少し思うところが出てくるかもしれない。もし意識的であればね」

「ということは、現在は「運」や「流れ」について以前より思うところがあったり、また理解の仕方が前と異なる感じでしょうか」

「色々あるけれど、例えば、それらに対する心構えはこの年になってもいまだ難しいねえ」

「といいますと?」

「自棄になったり、虚無的にならない程度に謙虚になることが難しい」

「何に対してですか?」

「運と運命、人に対して」

「運と運命は違うんですか?」

「重なるところもあれば、重ならないところもある」

「運と運命が重なるとは、どういう感じなのでしょう」

「例えば、「流れ」が生まれる時だね。「流れ」に乗るかどうかで、その後の人生が大きく変わるよ」

「「流れ」というのは?」

「運が形を伴ってやってきた瞬間」

「形を伴うとは?」

「「運」が現実に出来事として現れた時。人と出会ったり、誰かに何かを言われたり、または自分で何かに気づいたり、周囲の環境の変化だったりと、何事かが現れる諸々の出来事の中に「運」が「流れ」としてやってきているものがある。それをパッと捉えられるかどうか、これが意外に出来ないものなんだよ。大部分の人は「流れ」が来ていることに気づかないまま時が過ぎるか、知らないうちに自分で潰していることが多いんじゃないかな」云々。

……こういう一つ一つのやりとりの意味や語感、言わんとする内容の諸々が、ようやく頭ではなく肌で実感できるようになったのが最近である。

下の画像の猫を撮っていた時期、自分の人生にはいかなる「流れ」が訪れ、または訪れないのか、あるいは訪れていたのかといった可能性その他については全く考えていなかった。極論すると、「猫は可愛いな」ぐらいしか考えておらず、それはそれで幸せな時期だったが、脳天気すぎた気もする。

【次回は10月15日ごろ配信予定です】


【執筆者プロフィール】
青木亮人(あおき・まこと)
昭和49年、北海道生れ。近現代俳句研究、愛媛大学准教授。著書に『近代俳句の諸相』『さくっと近代俳句入門』など。


【「趣味と写真と、ときどき俳句と」バックナンバー】
>>[#13-4] 松山藩主松平定行公と東野、高浜虚子や今井つる女が訪れた茶屋について(4)
>>[#13-3] 松山藩主松平定行公と東野、高浜虚子や今井つる女が訪れた茶屋について(3)
>>[#13-2] 松山藩主松平定行公と東野、高浜虚子や今井つる女が訪れた茶屋について(2)
>>[#13-1] 松山藩主松平定行公と東野、高浜虚子や今井つる女が訪れた茶屋について(1)
>>[#12] 愛媛のご当地菓子
>>[#11] 異国情緒
>>[#10] 食事の場面
>>[#9] アメリカの大学とBeach Boys
>>[#8] 書きものとガムラン
>>[#7] 「何となく」の読書、シャッター
>>[#6] 落語と猫と
>>[#5] 勉強の仕方
>>[#4] 原付の上のサバトラ猫
>>[#3] Sex Pistolsを初めて聴いた時のこと
>>[#2] 猫を撮り始めたことについて
>>[#1] 「木綿のハンカチーフ」を大学授業で扱った時のこと



【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 【新連載】きょうのパン句。【#2】ル・フィヤージュ
  2. 神保町に銀漢亭があったころ【第55回】小川洋
  3. 【連載】漢字という親を棄てられない私たち/井上泰至【第6回】
  4. 【連載】新しい短歌をさがして【7】服部崇
  5. 【#20】ミュンヘンの冬と初夏
  6. 神保町に銀漢亭があったころ【第50回】望月周
  7. ゆる俳句ラジオ「鴨と尺蠖」【第9回】
  8. 「野崎海芋のたべる歳時記」タルト・オ・ポンム

おすすめ記事

  1. 【読者参加型】コンゲツノハイクを読む【2022年7月分】
  2. ひめはじめ昔男に腰の物 加藤郁乎【季語=ひめ始(新年)】
  3. せんそうのもうもどれない蟬の穴 豊里友行【季語=父の日(夏)】
  4. 笠原小百合の「競馬的名句アルバム」【第5回】2013年有馬記念・オルフェーヴル
  5. あきざくら咽喉に穴あく情死かな 宇多喜代子【季語=あきざくら(秋)】
  6. 遅れ着く小さな駅や天の川 髙田正子【季語=天の川(秋)】
  7. 神保町に銀漢亭があったころ【第108回】麻里伊
  8. 【冬の季語】一月
  9. 晴れ曇りおほよそ曇りつつじ燃ゆ 篠田悌二郎【季語=躑躅(春)】
  10. 大寒の一戸もかくれなき故郷 飯田龍太【季語=大寒(冬)】

Pickup記事

  1. 毒舌は健在バレンタインデー 古賀まり子【季語=バレンタインデー(春)】
  2. 【秋の季語】檸檬
  3. 神保町に銀漢亭があったころ【第113回】佐古田亮介
  4. 来よ来よと梅の月ヶ瀬より電話 田畑美穂女【季語=梅 (春)】
  5. あしかびの沖に御堂の潤み立つ しなだしん【季語=蘆牙(春)】
  6. 愛かなしつめたき目玉舐めたれば 榮猿丸【季語=冷たし(冬)】
  7. 「パリ子育て俳句さんぽ」【1月15日配信分】
  8. ゆる俳句ラジオ「鴨と尺蠖」【番外編】
  9. 神保町に銀漢亭があったころ【第82回】歌代美遥
  10. 【春の季語】沙翁忌
PAGE TOP