ストーヴの油こくんと母はなし 丹沢亜郎【季語=ストーヴ(冬)】

ストーヴの油こくんと母はなし

丹沢亜郎

「こくん」のオノマトペだから、石油ストーブだろう。
油が火に変わっていく瞬間を簡潔に捉えながら、読む者それぞれの思い出を呼び覚ます音「こくん」。
思い出の中の母はいつも近くて、同時に遠い。生者の時間はいたずらに前に忙しく過ぎるばかりで、時に立ち止まって昔を振り返ると以前は気づかなかった、気づくことのできなかった映像や感情が見えてくることがある。

小さい頃、実家に石油ストーブがあった。円柱型で天辺に黒い穴のようなものがいくつか円状に空いていた。夜になって部屋の電気を消すと穴から天井へ影が広がり、その模様は影同士が手を取り合って踊っているように見えた。後年、映画『ハウルの動く城』を観たとき、荒地の魔女が王の城で魔力を奪われる際に魔法陣の人形(精霊?)たちが輪になって回るシーンがあって「実家のストーブの影の模様みたいだ」と思った。
石油ストーブの側面は厚ぼったいガラスで、炎は白や赤の色を重ねあいながら冬の夜を華やかに彩っていた。ガラスの向うは決して触れることのできない美しい世界のようだった。

石油ストーブの周りは鉄の柵で囲われており、夜には母がいつも必ず柵にパジャマをかけておいてくれた。おかげで風呂上りはほかほかの布地が四肢を包んでくれた。眠る前、電気を消しても父はしばらくストーブをつけていた。冬の濃い闇にうっすらと炎の色が浮かび上がり、その様子を見ているうちにいつしか安らかな眠りにつくことができた。

あの石油ストーブはいつ頃、実家から姿を消したのだろう?
少しずつ記憶が曖昧になりつつある父に尋ねても、困ったような顔をするばかりだ。今春亡くなった母に訊いておけばよかった。
「ああすればよかった」「これを訊いておけばよかった」
そんな思いに駆られるのは歳を重ねてきたからだろうが、楽しい幸せな思い出も等しくある。部屋の真ん中にちんまりと立っていた石油ストーブは、家族の冬の温かい思い出の象徴として今も記憶の中で炎を絶やすことはない。

掲句の作者・丹沢亜郎は所属する炎環の先輩である。数年前の冬、天に帰った。
私と故・家人が亜郎さんからいただいたものは計り知れない。俳句においても、俳句以外でも。
「亜郎さんにとってほしい」
その思いで、私はいつも句会に出席していた。出した句にほとんど点が入らなくても、最後に亜郎さんが特選にとってくれることが何度かあった。そんな時は(大げさだが)天にも昇る心地だった。

「自分らしく俳句を作ればよい。それだけでよいし、それが一番肝心で難しい」
「類句類想を恐れるな」

亜郎さんから教わったことはたくさんあるが、この二つが特に私の胸の芯に今もある。俳句を作り続けていると、ときどき自分の言葉の中に亜郎さんからいただいたものの欠片を見ることがある。また、他の仲間たちの俳句作品の中に亜郎さんの面影を感じることがある。そんなとき「亜郎さんはいつでも私たちと一緒にいる」と思う。
これからは、そこに家人も加わるのだろう。もっとも、家人は亜郎さんに「こんなに早く来るんじゃない」と今頃怒られているかもしれないけど。

でも、大丈夫。私たちはこれからも此処で俳句を続けていくよ。
俳句を作ることで、いつでもどこでも人は繋がっていける。
そして作品を通じて、新しい日々や人との出会いがあるかもしれない。
そんなことを願いながら、新しい年の訪れを待ちたいと最近は思い始めている。

私の担当は今回でおしまいです。
二か月間・全九回。拙い文章をお読みいただき、どうもありがとうございました。
書くことでさまざまなことが少しずつ開放・浄化されていくようでした。
貴重な機会を下さった堀切克洋さんへ感謝申し上げます。

丹沢亜郎『盲人シネマ』(1997)所収。

柏柳明子


【執筆者プロフィール】
柏柳明子(かしわやなぎ・あきこ)
1972年生まれ。「炎環」同人・「豆の木」参加。第30回現代俳句新人賞、第18回炎環賞。現代俳句協会会員。句集『揮発』(現代俳句協会、2015年)、『柔き棘』(紅書房、2020年)。2025年、ネットプリント俳句紙『ハニカム』創刊。
note:https://note.com/nag1aky



【2025年11月のハイクノミカタ】
〔11月1日〕行く秋や抱けば身にそふ膝頭 太祇
〔11月2日〕おやすみ
〔11月3日〕胸中に何の火種ぞ黄落す 手塚美佐
〔11月4日〕降誕の夜をいもうとの指あそび 藤原月彦

関連記事