歯をもつてぎんなん割るや日本の夜 加藤楸邨【季語=銀杏(秋)】


歯をもつてぎんなん割るや日本の夜

加藤楸邨

やっと秋らしくなってきた。空は白いペンキを刷毛で拭ったような雲が浮かび、朝晩の気温は20℃を下回る日々が続く。今日は迷いなく長袖を選んだ。暑くなったら脱げばよいと思いながら、チョッキを着て、スーツの上着を羽織った。玄関を出て、ちょうどよい心地で安心した。

匂いが苦手で口にしない食材がある。たとえば、果物の王様「ドリアン」。マレーシアやインドネシア原産で、最近はタイでの生産量が多いフルーツである。見た目は固く尖ったトゲに覆われて、果実は大きく黄色い。味は濃厚な甘みがあるようだが、味わう前に匂いで諦める人が多い。私も3年間東南アジアに住んだが、一度も口に入れずに、逆に10メートル手前からでも‘ドリアン・センサー’が作動し、その存在を感知しては迂回したものだ。強烈な匂いを一言で表すと、Smelly Socksである。

ただ、匂いが苦手でも克服した料理がある。台湾の「臭豆腐」だ。これは発酵臭の強い豆腐料理で、文字通り、臭い豆腐である。臭豆腐は料理なので、匂いの薄いものがある。初心者は薄いものからスタートし、徐々に濃いものへ移行しても鼻が慣れていくのである。台湾に一年近く住んだ後には、臭く無ければ、臭豆腐ではないと思うほどすっかり魅了されてしまった。

歯をもつてぎんなん割るや日本の夜 加藤楸邨

銀杏の匂いは苦手だが酒の肴だとついつい口に運んでしまう。銀杏入りの茶碗蒸しは食べないが、炒った銀杏は匂いが気にならず、苦みが酒にあう。掲句の通り、歯でカリリと殻を割り、なかの実を食すと何故か、ああ日本だなぁと思う。そういえば、海外で銀杏を食べた記憶がないなと思い返す。さあ、今宵も日本の夜を楽しもう。

塚本武州



【執筆者プロフィール】
塚本武州(つかもと・ぶしゅう)
1969 年、立川市生まれ。書道家の父親が俳号「武州」を命名。茶道家の母親の影響で俳句を始める。2000年〜2006年までイギリス、フランス、2011年〜2020年までドイツ、シンガポール、台湾に駐在。帰国後、本格的に俳句を習い、2021年4月号より俳誌『ホトトギス』へ出句。現在、社会人学生として、京都芸術大学通信教育部文芸コース及び博物館学芸員課程を履修中。国立市在住。妻と白猫(ユキ)の3人暮らし。



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