日本の苺ショートを恋しかる
長嶋有
『春のお辞儀』より
長いゴールデンウィークが終わった。
この休暇を利用して海外へ旅行していた人もいるだろう。帰国して自宅のドアを開けたとき、旅行中のどの瞬間よりもほっとして気が休まっていることに気づいた人も多いのではないだろうか。
短い期間であれ海外に身を置くと、はじめは異文化から多くの刺激を受けたり、未知の世界への期待が高まることで「トラベラーズ・ハイ」のような状態になりがちだ。
やがて異国の環境にも慣れてくるとその昂ぶりは少しずつ鎮まっていき、周囲の色々な景色がくっきりとよく見えてくるようになる。
そして気付くのだ。ぼくたち日本人が日頃当たり前に享受している「日本」という国の暮らしやすさに。
そしていつしか「あぁ、やっぱりなんだかんだ言っても日本て良い国なんだなぁ」と思っていたりする。
ぼくも10年ほど前にアメリカに1年弱滞在していたことがあるが、一度外の世界に出てみて、外から自国を眺めてみないと気付けない良さというものは間違いなくある。
それはあらゆるインフラの整った便利な環境や清潔な街並み、治安の良さや時間ぴったりに出発する各種交通機関というような大層なものだけではない。
例えば次の句に詠まれたような、日本で暮らす日常の中だけでは簡単に見過ごされてしまう、本当にささやかな良さというものもあるのだ。
日本の苺ショートを恋しかる 長嶋有
この句、明確に示されたわかりやすい海外詠では決してない。
しかしその句意から、間違いなく異国の地に在る者が詠んだ句であることがわかる。外から内へと視点を丸ごと裏返したことで、作中主体の今立っている地点が間接的に見えてくる仕組みだ。
そして一見ユーモアを感じさせる句であり、たかだか苺のショートケーキに対して「恋しかる」とはなんと大袈裟な・・・と思わされる作品でもあるが、これこそが「外」に在る者でなければ抱けない感情なのだ。
苺ショートという決して高級でもなく俗っぽいものを思い出しているくらいだから、心の余裕を無くすほどの僻地にいるわけでもないだろうし、恐らくこの作中主体が今いる国にも苺ショートくらいはあるはずだ。その気になれば、すぐにでも口にすることだってできるかもしれない。
しかし、それだけでは駄目なのである。
実際、この作中主体は異国の苺ショートを食べたのだろう。或いは苺ショートに限らず、食べ慣れない異国の食文化の中に身を置いたわけだ。
そしてそれをきっかけとして、目の前の味覚の対岸にあるものとしての日本の苺ショートを思い出し、今まで自分にとって当たり前であったその味に自分が抱いていた感情に気づき、懐かしさに取り巻かれたのだ。
だからこそ、世界中に苺ショートは数あれど、敢えて「日本の」と限定したこの措辞に、日本を遠く離れているからこそ気づけた母国への想いと作中主体のかすかな望郷の念が込められている。
こう読めば今は決して口にできないものを強く想うからこそ導き出されたこの「恋しかる」にも、切なさと確かな説得力が感じられる。
この句に詠まれた場面は異国で誰もが一度は経験したことがありそうな景だが、ひとつの苺ショートの向こう側にかなりの奥行きを感じさせる句ではないだろうか。
作者の長嶋有さんは多くの小説を執筆されている芥川賞作家でもあり、幅広い文芸ジャンルに造詣の深い文筆家。
俳人としても様々な場面で活躍されており、同人誌「傍点」の立ち上げ人でもある。
有さんの俳句は、句材の選択やその料理の仕方が「俳句」の常識に囚われていない。言葉の運用も、必要であれば適宜「俳句」らしさを脱線してくれる。
そしてそのどれもがクスッとさせられるやわらかなユーモアに包まれている。読み手にとってはそれがとても心地良い。
今回掲句の引用元となった句集『春のお辞儀』は、そんな俳句であふれている。
ベルリンにただの壁ある去年今年 長嶋有
海にさかなガンジス川に女の子 同
南風に広げて地図のおおざっぱ 同
測量士の旅は徒歩なり吾亦紅 同
成層圏抜けたあたりで眠くなる 同
外国の電話機重し春更けて 同
今回、冒頭の掲句を鑑賞してみて、国内/海外ということだけに限らず、「ここではないどこか」から今自分がいる場所を俯瞰して見る時の意識について考えてみる良い機会になった。
この先の旅の中においても、その意識は常に手放さないでおきたいと思う。
(内野義悠)
【執筆者プロフィール】
内野義悠(うちの・ぎゆう)
1988年 埼玉県生まれ。
2018年 作句開始。炎環入会。
2020年 第25回炎環新人賞。炎環同人。
2022年 第6回円錐新鋭作品賞 澤好摩奨励賞。
2023年 同人誌豆の木参加。
第40回兜太現代俳句新人賞 佳作。
第6回俳句四季新人奨励賞。
俳句同人リブラ参加。
2024年 第1回鱗kokera賞。
俳句ネプリ「メグルク」創刊。
炎環同人・リブラ同人・豆の木同人。
俳句ネプリ「メグルク」メンバー。
現代俳句協会会員・俳人協会会員。
馬好き、旅好き。
【2025年5月のハイクノミカタ】
〔5月1日〕天国は歴史ある国しやぼんだま 島田道峻
〔5月2日〕生きてゐて互いに笑ふ涼しさよ 橋爪巨籟
〔5月3日〕ふらここの音の錆びつく夕まぐれ 倉持梨恵
〔5月4日〕春の山からしあわせと今何か言った様だ 平田修
〔5月5日〕いじめると陽炎となる妹よ 仁平勝
〔5月6日〕薄つぺらい虹だ子供をさらふには 土井探花
〔5月7日〕日本の苺ショートを恋しかる 長嶋有
【2025年4月のハイクノミカタ】
〔4月1日〕竹秋の恐竜柄のシャツの母 彌榮浩樹
〔4月2日〕知り合うて別れてゆける春の山 藤原暢子
〔4月3日〕ものの芽や年譜に死後のこと少し 津川絵理子
〔4月4日〕今日何も彼もなにもかも春らしく 稲畑汀子
〔4月5日〕風なくて散り風来れば花吹雪 柴田多鶴子
〔4月6日〕木枯らしや飯を許され沁みている 平田修
〔4月8日〕本当にこの雨の中を行かなくてはだめか パスカ
〔4月9日〕初蝶や働かぬ日と働く日々 西川火尖
〔4月10日〕ヰルスとはお前か俺か怖や春 高橋睦郎
〔4月11日〕自転車がひいてよぎりし春日影 波多野爽波
〔4月12日〕春眠の身の閂を皆外し 上野泰
〔4月15日〕歳時記は要らない目も手も無しで書け 御中虫
〔4月16日〕花仰ぐまた別の町別の朝 坂本宮尾
〔4月17日〕殺さないでください夜どほし桜ちる 中村安伸
〔4月18日〕朝寝して居り電話又鳴つてをり 星野立子
〔4月19日〕蝌蚪一つ落花を押して泳ぐあり 野村泊月
〔4月20日〕人體は穴だ穴だと種を蒔くよ 大石雄介
〔4月22日〕早蕨の袖から袖へ噂めぐり 楠本奇蹄
〔4月23日〕夜間航海たちまち飽きて春の星 青木ともじ
〔4月24日〕次の世は雑木山にて芽吹きたし 池田澄子
〔4月25日〕ゆく春や心に秘めて育つもの 松尾いはほ
〔4月26日〕山鳩の低音開く朝霞 高橋透水
〔4月27日〕ぼく駄馬だけど一応春へ快走中 平田修
〔4月28日〕寄り添うて眠るでもなき胡蝶かな 太祇
〔4月29日〕造形を馬二匹駆け微風あり 超文学宣言
〔4月30日〕春の夢遠くの人に会ひに行く 西山ゆりこ
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓