夜間航海たちまち飽きて春の星
青木ともじ
『みなみのうを座』より
この稿を書いているつい数日前、個人的に長年の念願であった奄美大島を訪れることができた。
奄美は想像以上に山地が多く、そのせいもあって夜の闇の濃さが東京のそれとは明らかに違った。海も同じだ。真っ黒な水の塊と化した海面を見つめていると、いつしかそこに引き込まれてしまうような感覚をおぼえた。
とはいえ、これはあくまで個人旅行の一夜である。ぼくにとってはその奄美の夜の暗ささえも、心のどこかで期待していた楽しみの一つであった。
だがこれが仕事であったらどうだろうか。それも地球規模のスケールで取り組む、厳しい環境下での仕事であったら。
延々と続く漆黒の海と絶え間ない波音の中に身を置いた時、果たして自分は正気を保つことが出来るだろうか。
夜間航海たちまち飽きて春の星 青木ともじ
掲句は、まさにそのような環境で詠まれた一句だ。
作者の青木ともじさんは「群青」所属。海洋地質学に関わる生活を送られながら、海洋調査に従事されている。若くして有人潜水調査船「しんかい6500」に乗り込み、一切の陽光の差さない深海の世界にも足を踏み入れたことがあるという。
この句に描かれた景には、そのような世界を身をもって体験した者でしか書けないリアルが表出している。
まず字余りで置かれた上五が、果てしない夜の海の広さと、いつ終わるとも知れないそれを眺める時間の長さを感じさせる。気の遠くなるような漆黒の世界に読み手を放り出すような上五だ。
そして続く中七に、この上ない実感が込められている。
先述したように、夜間航海の経験のないぼくなどは、まずその闇に耐えて正気を保てるかという「恐怖」の感覚が先に立つ。
だが、ともじさんの中ではこの状況はもはや日常なのだ。「たちまち飽きて」という措辞が、過不足なく「今」を率直に物語る。「仕事」として海に向き合う事を選択した以上、恐怖だなんだと甘っちょろいことを言ってはいられないし、人間はどんな状況にもいつしか慣れてしまう生き物なのだ。
一ヶ月単位での海上生活、ままならない陸地との通信。そんな状況だからこそ、ふと見上げた空に「春の星」の輝きを見つけた時の感動はひとしおだったのではないだろうか。
一句の中に於いても、上五でまず提示した「暗」のイメージとの対比が効果的に為され、春星の光が一層際立つ構成となっている。
古来より、夜間航海に於いて「星」は人々にとって大切な道しるべであり、孤独な海上に於いては大いなる慰めでもあった。
現代に生きて最先端の科学知識を学んだともじさんにとっても、「星」は変わらずに精神的な支えとなっていることが伝わってきて、そこに救いを感じる一句だった。
同時に、その責務の重さや環境の厳しさはぼくの気ままな個人旅行とはもちろん比ぶべくもないが、ともじさんの航海もまぎれもなく一つの「旅」の形だと思うのだ。
そして、ぼくには辿り着けない場所を訪れ、見ることのできないものを眼にしてゆく姿には純粋に羨望と尊敬の気持ちを抱かざるを得ない。
そんなともじさんが眼にしてきた「旅の断片」のような句が、『みなみのうを座』には数多く収録されている。
島どこも歩いてゆけて雲の峰 青木ともじ
去り際に始まる祈禱花曇 同
見送りのなかに真つ赤な風車 同
レンズぬくし二度と戻らぬ島なれば 同
秋桜や旅は眠りのごとく覚む 同
切なさはわかる異国の歌や月 同
檸檬温室(リモナイア)夜も輝いて地中海 同
雪吊やしてゐぬ旅の話など 同
いずれの句も、どこかにその地を去ることを名残惜しむ気持ちや、かすかな哀愁を帯びている。
訪れた地を想い、一句として残す。
そこに海を通して地球という惑星の未来を考え続ける、ともじさんのあたたかい人柄が垣間見えるような気がする。
実は幸運なことに、今度ともじさんと直接お会いしてお話する機会を得られるかもしれない。
俳句甲子園で個人最優秀賞を受賞したともじさんの御句、〈カルデラに湖残されし晩夏かな〉を推された正木ゆう子さんの研究会を通しての縁だ。
折角の機会なので、ともじさんのこれまでの「旅」の話もゆっくり聞かせてもらえたらと思っている。
(内野義悠)
【執筆者プロフィール】
内野義悠(うちの・ぎゆう)
1988年 埼玉県生まれ。
2018年 作句開始。炎環入会。
2020年 第25回炎環新人賞。炎環同人。
2022年 第6回円錐新鋭作品賞 澤好摩奨励賞。
2023年 同人誌豆の木参加。
第40回兜太現代俳句新人賞 佳作。
第6回俳句四季新人奨励賞。
俳句同人リブラ参加。
2024年 第1回鱗kokera賞。
俳句ネプリ「メグルク」創刊。
炎環同人・リブラ同人・豆の木同人。
俳句ネプリ「メグルク」メンバー。
現代俳句協会会員・俳人協会会員。
馬好き、旅好き。
【2025年4月のハイクノミカタ】
〔4月1日〕竹秋の恐竜柄のシャツの母 彌榮浩樹
〔4月2日〕知り合うて別れてゆける春の山 藤原暢子
〔4月3日〕ものの芽や年譜に死後のこと少し 津川絵理子
〔4月4日〕今日何も彼もなにもかも春らしく 稲畑汀子
〔4月5日〕風なくて散り風来れば花吹雪 柴田多鶴子
〔4月6日〕木枯らしや飯を許され沁みている 平田修
〔4月8日〕本当にこの雨の中を行かなくてはだめか パスカ
〔4月9日〕初蝶や働かぬ日と働く日々 西川火尖
〔4月10日〕ヰルスとはお前か俺か怖や春 高橋睦郎
〔4月11日〕自転車がひいてよぎりし春日影 波多野爽波
〔4月12日〕春眠の身の閂を皆外し 上野泰
〔4月15日〕歳時記は要らない目も手も無しで書け 御中虫
〔4月16日〕花仰ぐまた別の町別の朝 坂本宮尾
〔4月17日〕殺さないでください夜どほし桜ちる 中村安伸
〔4月18日〕朝寝して居り電話又鳴つてをり 星野立子
〔4月19日〕蝌蚪一つ落花を押して泳ぐあり 野村泊月
〔4月20日〕人體は穴だ穴だと種を蒔くよ 大石雄介
〔4月22日〕早蕨の袖から袖へ噂めぐり 楠本奇蹄
〔4月23日〕夜間航海たちまち飽きて春の星 青木ともじ
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓