白芙蓉今日一日は恋人で 宮田朗風【季語=芙蓉(秋)】

10時開園の遊園地の入口にはピンクや白の芙蓉の花が咲いていた。「あれ?みんなはまだ来ないの」。一日パスポート券を受け取りながら彼女は聞いた。ポニーテールに結った髪型が白いデニム生地のロングワンピースによく似合っていた。「すみません。みんなは来ません。今日は僕とデートして下さい」。しばしの沈黙の後に「やだ、みんなで食べようと思ってマドレーヌを焼いてきたのに」と言った。「僕が全部食べます」。二人の間に少し涼しくなった秋風が通り抜けた。「うふっ。仕方ないわね。じゃあ、今日一日だけは恋人になってあげる。だから、私の我儘を思いっきり聞いてね」。颯爽とゲートをくぐり抜けてゆく彼女のあとを追いかけた。苦手なジェットコースターもお化け屋敷も輝きに包まれていた。普段は全く美味しいとは思わない薄っぺらなハンバーガーもカチカチのフライドポテトも異国の不思議な食べ物のように感じた。観覧車に乗った時、窓から夕陽が差し込んできた。「私の彼はね、5歳年上で仕事が忙しくて土日は逢えないの。遊園地もハンバーガーも嫌いなの。小さい頃から、恋人と遊園地に行くのが夢だったから、少し淋しかった。でも今日は、とても楽しかった。ありがとう。貴方は優しい人だから、きっと素敵な彼女ができると思う。頑張ってね」。頂上に達した観覧車からは、町を流れる川が見えた。秋の陽にきらめく川は河口近くで二つに分かれていた。

閉園の音楽を背にゲートを出ると芙蓉の花が萎んでいた。「魔法がとけたシンデレラみたいね」。皺くちゃに丸まった花は確かにみすぼらしく見えた。「じゃあ、ここで解散にしましょう。またね」。大学の校門で別れるときと同じようないつもの顔で去っていった。

結局、我儘を聞いて貰ったのは自分の方だった。一緒に写真を撮ったり、お揃いのキーホルダーを買ったり。写真の彼女は笑っているようで笑っていなかった。あまりにもはしゃぎすぎた自分の顔が道化師のようで哀しかった。何の価値もない星の形をしたキーホルダーだけがきらきらと光っていた。宝物のような想い出の証として。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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