逢はざりしみじかさに松過ぎにけり
上田五千石
(『琥珀』)
作者は、昭和8年東京生まれ。俳人であった父、上田古笠の影響で幼い頃より俳句に親しんだ。戦争により代々木上原から長野県へ疎開。終戦後は静岡県に転居。編入した中学校の文芸誌「若鮎」にて加島五千石を詠んだ句〈青嵐渡るや加島五千石〉が評判になったことから、俳号を「五千石」とした。上智大学在学中に秋元不死男に師事し「氷海」に入会。関東学生俳句連盟にも参加し、新鋭俳人と交流を持つ。新聞学科に在学しマスコミへの就職を希望していたが、俳句に専念するという理由で断念。卒業後は、父の発明した温灸「上田テルミン」の製造販売・施療の経営に携わる。鍼灸学校に3年間通学し資格を取得している。
昭和43年、句集『田園』により第8回俳人協会賞を受賞。昭和48年、「畦」創刊、主宰。昭和58年、富士市から東京練馬区へ転居。平成9年、63歳で死去。「畦」終刊後は、娘の上田日差子氏が「ランブル」を創刊。
上田五千石といえば、「眼前直覚」論が有名である。俳句は「いま」「ここ」「われ」の詩であり、時空の一期一会の交わりの一点において一句が成ると述べた。現在の若手俳人の多くは、初学期の頃に上田五千石の名句を暗唱したものである。歳時記掲載句も多い。
青胡桃しなのの空のかたさかな
桑の実や擦り傷絶えぬ膝小僧
秋の雲立志伝みな家を捨つ
萬緑や死は一弾を以て足る
もがり笛風の又三郎やあーい
情と俳諧味が特色とされ、今も新しいファンが増え続けている。
逢はざりしみじかさに松過ぎにけり 上田五千石(『琥珀』)
「松過ぎ」とは、門松や注連飾りを外すこと。関東では七日、関西では十五日過ぎからである。商店街の松飾りが外され、流れる音楽も「春の海」から歌謡曲に変わると、一気に日常に引き戻される。正月はあまりにも短く惜しむ暇もない。そして仕事始めほど憂鬱なものはない。
掲句は、恋の句として理解されている。正月は親族と過ごすため、逢うことができない人がいる。逢えない時間というものは、普通なら長く感じるものなのだが、あっという間に過ぎてしまった。気が付けば松過ぎとなり、日常に戻った。正月の慌ただしさを恋の表現を用いることで描いたのである。逢えない淋しさよりも、正月が終わってしまったことの淋しさを感じさせる句である。正月の行事が済めば、恋人と連絡を取り、何事もなかったかのような日常が始まる。正月は恋よりも非日常なのだ。
上田五千石には、いくつかの恋の句がある。
桐の花姦淫の眼を外らしをり
かくれ逢ふごとくまた逢ふ藪からし
恋やみなかりそめならぬ歌かるた
一句目の〈姦淫〉とは、「不正な男女の交わり」のこと。桐の花の持つ艶めかしさから得た発想であろう。高貴な色でもある桐の花が強い匂いを発し、ぼとぼとと散る様は、どこか淫靡である。二句目は〈かくれ逢ふごとく〉と詠んでいるので、隠れて逢瀬をしているわけではない。藪からしの描写のようにも見えるが、後ろめたさを感じさせる句である。三句目の、〈歌かるた〉は、百人一首の恋歌を詠んでいる。狂おしいほどの恋歌には、一時的な感情などなく、どの恋も命がけだ。歌留多のことを詠みつつも、自身の恋を語っているかのようだ。
これらの恋の句は、文芸上の表現であり、実際に道ならぬ恋をしていたわけではないのだろう。〈松過ぎ〉の句もまた、逢えなかったのは友人かもしれない。仕事の仲間も句会の仲間も正月は逢えない。松が過ぎて久しぶりに逢えば嬉しいのだが、逢えば日常に引き戻される。そして、正月の間は思い出すこともなかった。逢ったことで、しみじみと正月休暇の短さを感じたのだ。
ふと、大学時代に年末年始に実家に帰省した時のことを思い出した。東京で実家暮らしの恋人は、田舎に帰る私を東京駅まで送ってくれた。早朝の高速バスに乗る予定であったが「しばらく逢えないのだから、もう少し一緒に居たい」と言われ、結局、夕方のバスになった。実家に帰ると、忘年会やら大掃除やらお節料理作りやらをしているうちに、あっという間に大晦日になった。年が明ければ、御慶を述べるため親戚をまわる。初詣も筑波山神社に一言主神社、大洗磯前神社、笠間稲荷神社と忙しない。親戚の子供達を引き連れてゆくため、一日中振り回されている。そんなこんなで、恋人からの電話も出られず、メールの返信すら出来なかった。東京に戻ったのは、村の新年行事が終わった七日の夜である。恋人は、怒り狂っていた。実家暮らしで親族との付き合いもない恋人には、故郷で正月を過ごすひと時の喜びが分からない。豪勢な料理と清々しい山河から東京の雑踏にまみれたアパートに戻ってきた時の侘びしさも分からない。久しぶりに恋人に逢えたというのに、ひたすら憂鬱だった。実家に居る時も恋人からの着信やメールをうとましく感じていた自分に気が付いた。
一月十五日、都内のどんどん焼きを一緒に見に行った。役割を終えた門松や注連縄が無造作に積み上げられ、瞬く間に燃えていった。祭や行事に興味のない恋人は、ただ退屈そうにしていた。正月の終わりとともに恋の終わりを感じた。
一方で友人は、年末年始の逢えない期間により、恋する気持ちが高まり、結婚の約束をするに至ったとか。正月という束の間の非日常は、あまりにも神聖で華やかで、恋の道を断つこともあれば、広げることもあるのだ。
(篠崎央子)
【篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】
【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
【篠崎央子のバックナンバー】
>>〔162〕年惜しむ麻美・眞子・晶子・亜美・マユミ 北大路翼
>>〔161〕ゆず湯の柚子つついて恋を今している 越智友亮
>>〔160〕道逸れてゆきしは恋の狐火か 大野崇文
>>〔159〕わが子宮めくや枯野のヘリポート 柴田千晶
>>〔158〕冬麗や泣かれて抱けば腹突かれ 黒岩徳将
>>〔157〕ひょんの笛ことばにしては愛逃ぐる 池冨芳子
>>〔156〕温め酒女友達なる我に 阪西敦子
>>〔155〕冷やかに傷を舐め合ふ獣かな 澤田和弥
>>〔154〕桐の実の側室ばかりつらなりぬ 峯尾文世
>>〔153〕白芙蓉今日一日は恋人で 宮田朗風
>>〔152〕生涯の恋の数ほど曼珠沙華 大西泰世
>>〔151〕十六夜や間違ひ電話の声に惚れ 内田美紗
>>〔150〕愛に安心なしコスモスの揺れどほし 長谷川秋子
>>〔149〕緋のカンナ夜の女体とひらひらす 富永寒四郎
>>〔148〕夏山に噂の恐き二人かな 倉田紘文
>>〔147〕これ以上愛せぬ水を打つてをり 日下野由季
>>〔146〕七夕や若く愚かに嗅ぎあへる 高山れおな
>>〔145〕宵山の装ひ解かず抱かれけり 角川春樹
>>〔144〕ぬばたまの夜やひと触れし髪洗ふ 坂本宮尾
>>〔143〕蛍火や飯盛女飯を盛る 山口青邨
>>〔142〕あひふれしさみだれ傘の重かりし 中村汀女
>>〔141〕恋人はめんどうな人さくらんぼ 畑耕一
>>〔140〕花いばら髪ふれあひてめざめあふ 小池文子
>>〔139〕婚約とは二人で虹を見る約束 山口優夢
>>〔138〕妻となる人五月の波に近づきぬ 田島健一
>>〔137〕抱きしめてもらへぬ春の魚では 夏井いつき
>>〔136〕啜り泣く浅蜊のために灯を消せよ 磯貝碧蹄館
>>〔135〕海市あり別れて匂ふ男あり 秦夕美
>>〔134〕エリックのばかばかばかと桜降る 太田うさぎ
>>〔133〕卒業す片恋少女鮮烈に 加藤楸邨
>>〔132〕誰をおもひかくもやさしき雛の眉 加藤三七子
>>〔131〕海苔あぶる手もとも袖も美しき 瀧井孝作
>>〔130〕鳥の恋いま白髪となる途中 鳥居真里子