ルビ不要と思われる漢字へのルビは、作者が常に平仮名で俳句と向き合っていることを想像させる。ルビを付すことにより表現は、さらに自在に膨らんでいった。
秋冷の仮死金色をなせりけり
風花や何処へつづく時間なる
冬虹や窯より出して麺麭の音
あめつちをながるる鷹の眼かな
氷下魚穴ひかりは闇をしたたらし
青を以て聖土曜日の切通
きつとこの時間の尖は春駿馬
流氷や弦圧さへたる指の腹
己が影のぽつぺん吹いて居りしかな
冬銀漢灌ぎ出さるる途中かな
くれなゐを零さじと鶴来りけり
風ここに変り虚のかたつむり
2011年2月11日の東日本大震災に寄せた句には、凄惨な描写が並ぶ。地震による火災や津波の映像は戦時の記憶を彷彿させ、リアルに詠むことで追悼の意を示したのだ。神が天より眼差しているかのような描写には、憑依のようなものさえも感じさせる。
初蝶の沖つかひきる大海嘯
東風殺めらうにやくなんによ殺め沖
ものの芽の翻筋斗打てる天地かな
逆巻き去る千のてのひら黄水仙
鎖結びいつかは解ける春北斗
黒津波追ひつく踵梅を干す
ななへやへ屍かたむく夏わらび
恋の句は詠まない作者ではあるが、抒情的な句もあることを付け加えたい。
七夕やをとこの丈の吹かるるを
一枚の絹の彼方の雨の鹿
話したくて蓑虫は蓑重ねしか
天の男女が年に一度の逢瀬を果たす七夕の夜に竹笹の影が男の丈の高さに吹かれている。七夕竹を自分に逢いにきた男の影に見立てて詠んだのだろう。一枚の絹衣の彼方に居る鹿は、雨の中を訪れてくる恋人のよう。蓑虫の蓑は、話したい言葉を重ねて出来ているのだ。人もまた、話したいことがあればあるほど殻に籠ってしまう。蓑虫の内気さは恋に似ている。
水母うく微笑はつかのまのもの 柚木紀子
掲句は、恋の句ではないのだろう。悲しみの多い人生を振り返った時に、微笑んでいる時間が少ないことに気が付いたのだ。
水母は梅雨の頃になると、入江の船着き場などで泳いでいる。ふわりと膨らんでは萎みつつ泳いでゆく様は、束の間の微笑みのようにも見える。白く半透明な水母は、はかなく幻想的でもある。俳句では「水母」と表記するため、母を暗示する場合がある。もしかしたら、脳死のまま火葬した母の魂を詠んだのかもしれない。
戦後日本は復興を終えると、とにかく笑おう笑おうと前向きに進み続けた。高度成長期を経てバブル期に突入し、バブルが崩壊しても笑い続けた。それは、戦時中の「欲しがりません 勝つまでは」というスローガンへの反動のようだ。作者が多感な十代の頃は、戦争により、笑うことも禁じられていたのだろう。終戦を迎えても戦争の傷が癒えることはなかった。束の間の微笑みは母も同じだったのだ。
(篠崎央子)
【篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】
【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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