戀の數ほど新米を零しけり 島田牙城【季語=新米(秋)】

 第二句集『誤植』は、若手俳人発掘を掲げた『新撰21』『超新撰21』出版の話題の熱が冷めやらないうちの刊行であった。本人は、黙殺された句集と思っているようだが、牙城氏を慕う若手からは絶大なる支持を受けた。観念的なことを具体的に描写しようとする攻めた表現や心情を吐露した景の描写、感覚的だけれども説得力のある詠みぶりが見事である。

 編集者として文字に対する拘りを詠んだ句が興味深い。文字は、もともと物を象っている。景の中に見出す字や、字の中に見出す心情、字で表す限界を詠んでいる。

  之繞の払ひに迷ふ冰湖かな

  欠の部に「飲」のあること掘炬燵

  ふみのつかさよ根づかざる藷よ

 平成16年に45歳の若さで亡くなった天才俳人の田中裕明は、牙城氏の誘いにより俳句の道に入った。牙城氏にとっては、後輩であると同時に最初にプロデュースした俳人ともいえる。同世代の盟友の死は、いかほどの衝撃であったであろうか。切実な喪失感を詠んだ。

  裕明を探してゐたる雪野とは

  裕明に似てをり茶の花も亀も

  崩しつつ骨壺満たしゆくは寒ム 

  寒空へやさしくなつてしまひける

 50歳を過ぎ、死が遠いものではないという悟りが芽生え、老いゆくことの淋しさや無常観と向き合い始めた。

  独活噛めり我が死ぬはずの今世紀

  目をつむらうか桜掬うて生きようか

  晝寢すと言ひたるままに荼毘にあり

  焼酎にあきらめてゐることばかり

  ほとけとていまの世のこと雪へ雪

  三界に末黒の葱を抜きすすむ

 佐久の景を詠んだ句も哲学的に見えてしまう。

  雪原のはじまりにして土まじる

  噴煙の浅間へ吾亦紅を刺す

  土までが地球紅葉は地球を吸ふ

  風景として畦塗をしてをられ

 酒を飲めば苦しいことも滑稽に見えてくるし、滑稽に詠めば、人生も楽しいはずだ。

  横になる日焼酒焼どれもほんと

  汗のをばさん汗のおぢさんと話す

  赤とんぼ一人遊びをやめるなよ

  借金は太るにまかせ山の枯

  冬空を頓珍漢と打ちてをり

 句集の帯文には「なぜ妻子を詠ふのか 前句集より十一年 信州に腰を据ゑるとは <俳の人>たる歩みに肝を据ゑたといふこと その眞價を問ふ最新三百三十三句 今、一層の雪月花」とある。家族を詠んだ句は、個人的なことでありつつも普遍的な内容となっている。単なる家族詠ではないところがざらりと心に残る。

  いもうとにほめられてゐる蒲団かな

  父と子の隙間はぽはぽアイスクリン

  長男は 寝るときのいただきますと網戸の目

  次男は どうもすみま扇子六畳狭かりき

 妻は、美しく怖く詠んだ。佐久時代の牙城氏は、自称「愛妻家」「恐妻家」を語っていた。いつだったか、二次会が果てて駅に行く途中で奥様に電話を掛けたあと、「許可がおりたからもう一軒行こう」と誘ってくれたことがあった。三次会へ行くにも妻の許可をとるのかと驚いた。実は、まめな方なのである。

  われからを見定めてより妻に色

  浅間山いな初秋の妻の膝

  解けあうて妻とはなりぬ寒の入

  今年も妻ぞ離れたがらぬごまめの目

  初夢にふたたび妻の爪の垢

  妻が好き黒百合五つ六つ咲かせ

  妻の解夏空ひきしぼりつつありぬ

  黄落のさしづめ妻でありにけり

  妻の寝息は寒垢離の経のごと

  朧よなあ妻くノ一のごとく寝ね

 平成27年、60歳近くなって離婚し兵庫県尼崎市へ転居。「里」の休刊や病気などで、俳壇をハラハラさせていた。そして突然、俳人の黄土眠兎氏と再婚。「里」は復刊し、邑書林も話題となる書籍を続々と刊行した。令和7年の今年、俳壇に一石を投じる企画と先鋭が集うことで知られた「里」は終刊を迎えた。しかし、新たなる伴侶を得た島田牙城氏の闘いはまだまだ続く。

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