作者は、毛糸を編むのが好きだったようだ。毎年編んでいたのか毛糸の句が多く残る。
幸福は不意に来るもの毛糸編む
耳に日が射してひとりの毛糸編む
つまらなくなり毛糸編むこともやめ
毛糸選るたのしさ姪に子が生まれ
幸せなときも淋しいときも毛糸を編んでいた。自分のために編むこともあれば、誰かのために編むこともあった。
〈ある期待〉の句は、毛糸の句のなかでも客観的に編む作業を描写している。そう感じるのは〈期待〉の正体が分からないからだ。もしかしたら、編み物をしている少女を見て詠んだのかもしれない。毛糸を編み上げてゆく指先と編まれてゆく毛糸の嵩に、つのる恋心を見出し、〈ある期待〉と描写したのかもしれない。それは、自分自身にも経験があることだった。自身もまた毛糸を編んでいると、恋への期待が高まっていった記憶があったのだ。恋をしない年齢になっても恋をしていた頃のときめきを想起させる動作であった。
〈ある期待〉と表現したのは、説明のつかない胸の高鳴りであったからだ。恋、あるいは恋の記憶なのだが、はっきりとは言わない。ぼかした言い回しであるが故に、恋への期待だと理解されるのである。具体的にどのような期待かというと、「マフラーを完成させたら両想いになれる」とか「あの人は私のことを好きに違いない」とか「交際することになったらどこでデートしようか」とか。編んでいるうちに妄想は膨らんでいって、「求婚されたらどうしよう」とか、しまには子供の名前まで考えはじめる。幸せな妄想を積み重ねて長い長いマフラーが編みあがる。
毛糸が〈真白〉なのは、純粋さを表していると同時に、恋の相手が白の似合う爽やかな男の子であることを示している。昭和の女の子が好きな男の子に贈る手編みマフラーは、圧倒的に白が多かった。紅白歌合戦の白組が男性であるように、白は男性の色だったのである。
掲句は、恋の句であるかどうかは分からないのだが、恋の句として解釈されるような構成になっている。毛糸を編むという単純作業をしているとさまざまなことが思い返される。暖かく柔らかな手触り、降り積もった雪を思わせる白、毛糸編みを覚え始めた頃の淡い感傷。恋をしていなくとも恋をしている気持になるものだ。真っ白な毛糸を編んでいると、叶わなかった恋まで叶うような気がしてくる。
待つと言ふことに馴れつ子春を待つ
生涯独り身を通しつつも、いつも何かを待っていた作者。〈ある期待〉は、待っていた誰かへのことなのか。路地を離れず、淋しさのなかで待ち続けた誰かがいたとしたら。叶わない恋とは永遠に続く期待でもある。
(篠崎央子)
【篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】
【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。

【篠崎央子のバックナンバー】
>>〔193〕綿虫と吾ともろともに抱きしめよ 藺草慶子
>>〔192〕愛人を水鳥にして帰るかな あざ蓉子
>>〔191〕胸中に何の火種ぞ黄落す 手塚美佐
>>〔190〕猿のように抱かれ干しいちじくを欲る 金原まさ子
>>〔189〕恋ふる夜は瞳のごとく月ぬれて 成瀬正とし
>>〔188〕虫の夜を眠る乳房を手ぐさにし 山口超心鬼
>>〔187〕戀の數ほど新米を零しけり 島田牙城
>>〔186〕霧まとひをりぬ男も泣きやすし 清水径子
>>〔185〕嘘も厭さよならも厭ひぐらしも 坊城俊樹
>>〔184〕天上の恋をうらやみ星祭 高橋淡路女
>>〔183〕熱砂駆け行くは恋する者ならん 三好曲
>>〔182〕恋となる日数に足らぬ祭かな いのうえかつこ
>>〔181〕彼とあう日まで香水つけっぱなし 鎌倉佐弓
>>〔180〕遠縁のをんなのやうな草いきれ 長谷川双魚
>>〔179〕水母うく微笑はつかのまのもの 柚木紀子
>>〔178〕水飯や黙つて惚れてゐるがよき 吉田汀史
>>〔177〕籐椅子飴色何々婚に関係なし 鈴木榮子
>>〔176〕土星の輪涼しく見えて婚約す 堀口星眠
>>〔175〕死がふたりを分かつまで剝くレタスかな 西原天気
>>〔174〕いじめると陽炎となる妹よ 仁平勝
>>〔173〕寄り添うて眠るでもなき胡蝶かな 太祇
>>〔172〕別々に拾ふタクシー花の雨 岡田史乃
>>〔171〕野遊のしばらく黙りゐる二人 涼野海音
>>〔170〕逢ふたびのミモザの花の遠げむり 後藤比奈夫
>>〔169〕走る走る修二会わが恋ふ御僧も 大石悦子
>>〔168〕薄氷に書いた名を消し書く純愛 高澤晶子
>>〔167〕約束はいつも待つ側春隣 浅川芳直
>>〔166〕葉牡丹に恋が渦巻く金曜日 浜明史
>>〔165〕さつま汁妻と故郷を異にして 右城暮石
>>〔164〕成人の日は恋人の恋人と 如月真菜
>>〔163〕逢はざりしみじかさに松過ぎにけり 上田五千石
>>〔162〕年惜しむ麻美・眞子・晶子・亜美・マユミ 北大路翼
>>〔161〕ゆず湯の柚子つついて恋を今している 越智友亮
>>〔160〕道逸れてゆきしは恋の狐火か 大野崇文
>>〔159〕わが子宮めくや枯野のヘリポート 柴田千晶
>>〔158〕冬麗や泣かれて抱けば腹突かれ 黒岩徳将
>>〔157〕ひょんの笛ことばにしては愛逃ぐる 池冨芳子
>>〔156〕温め酒女友達なる我に 阪西敦子
>>〔155〕冷やかに傷を舐め合ふ獣かな 澤田和弥
>>〔154〕桐の実の側室ばかりつらなりぬ 峯尾文世
>>〔153〕白芙蓉今日一日は恋人で 宮田朗風
>>〔152〕生涯の恋の数ほど曼珠沙華 大西泰世
>>〔151〕十六夜や間違ひ電話の声に惚れ 内田美紗
>>〔150〕愛に安心なしコスモスの揺れどほし 長谷川秋子
>>〔149〕緋のカンナ夜の女体とひらひらす 富永寒四郎
>>〔148〕夏山に噂の恐き二人かな 倉田紘文
>>〔147〕これ以上愛せぬ水を打つてをり 日下野由季
>>〔146〕七夕や若く愚かに嗅ぎあへる 高山れおな
>>〔145〕宵山の装ひ解かず抱かれけり 角川春樹
>>〔144〕ぬばたまの夜やひと触れし髪洗ふ 坂本宮尾
>>〔143〕蛍火や飯盛女飯を盛る 山口青邨
>>〔142〕あひふれしさみだれ傘の重かりし 中村汀女
