【冬の季語=三冬(11月〜1月)】熊
なぜ熊は冬に姿を見せないのに冬の季語なのでしょうか。熊が最も出没するのは秋季ですから、素直に考えると秋の季語となります。同じ疑問はいくつかの歳時記でも指摘されていますが、ここでは冬と熊の結びつきを考えてみましょう。
その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう。
冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り、夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り、花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて、永久に囀さえずる小鳥と共に歌い暮して蕗ふきとり蓬よもぎ摘み、紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて、宵まで鮭とる篝かがりも消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円まどかな月に夢を結ぶ。嗚呼なんという楽しい生活でしょう。
名文として名高い知里幸恵『アイヌ神謡集』の序文です。アイヌ民族の宗教観や狩猟観に触れることはしませんが、ここで重要なのは熊を冬に狩る動物としている点です。
一般に、熊の狩猟法は春以降の「出熊狩り」と冬の「入熊狩り」に大別されてきました。「冬眠」中の熊は脂肪分が豊富であり、冬の貴重な食料になったという事情もあるのでしょう。穴ごもりした熊を狩るのが「入熊狩り」で、穴から出て来た熊を狩るのが「出熊狩り」です。
つまり、人間から積極的に熊の巣穴へと近づくのが冬だったというわけです。これが冬の季語になった理由かは分かりませんが、意外なところに熊と人の結びつきはあったようです。
とくにここのところは、市街地における熊の目撃証言が増えています。熊の分布域がかつてないほど広がりを見せる昨今、人と熊の遭遇はもはや山奥だけではなくなりつつあります。
【熊(上五)】
穴熊の寝首かいても手柄かな 山店
熊撃てばさながだ大樹倒れけり 松根東洋城
熊の子が夜を引き摺る音すなり 三木基史
檻の熊何時まで生きる掌のやはらか 右城暮石
熊の皮かへせば銃の傷ひとつ 大橋櫻坡子
熊の子が飼はれて鉄の鎖舐む 山口誓子
熊の前大きな父でありたしよ 横溝養三
熊の出た話わるいけど愉快 宇多喜代子
熊を見し一度を何度でも話す 正木ゆう子
熊と熊抱き合へばよく眠れさう 遠藤由樹子
熊を撃つ綺麗に死ねるやうに撃つ 玉木たまね
【熊(中七)】
陽さむく焦燥の熊は汚れたり 富澤赤黄男
餌を欲りて大きな熊となつて立ち 中村汀女
てのひらをやはらかく熊眠れるか 井上弘美
店先につなぐ仔熊を飼ひ馴らす 山口朴村
懇ろにまたぎが熊の胆を干す 神場さとる
宝くじ熊が二階に来る確率 岡野泰輔
【熊(下五)】
生くることしんじつわびし熊を見る 安住敦
みちのくは底知れぬ国大熊(おやじ)生く 佐藤鬼房
さわさわと来て熊鍋の熊のこと 小林実
【ほかの季語と】
稲妻や生血したたるつるし熊 正岡子規
落葉していよいよ猛し檻の熊 西山泊雲
熊の糞青光る野の寒さ哉 中川宋淵
昨日獲て秋日に干せり熊の皮 相馬遷子
冬眠より覚めたる熊やただ坐る 小澤實
暖房や絵本の熊は家に住み 川島葵
争へる熊を見てゐる狐かな 抜井諒一