もしあの俳人が歌人だったら

【連載】もしあの俳人が歌人だったら Session#4

【連載】
もしあの俳人が歌人だったら
Session#4


このコーナーは、気鋭の歌人のみなさまに、あの有名な俳句の作者がもし「歌人」だったら、どう詠んでいたかを想像(妄想)していただく企画です。今月取り上げる名句は、本井英の〈ストローを色駆けのぼるソーダ水〉。この句を歌人のみなさまはどう読み解くのか? 俳句の「読み」の新たなる地平をご堪能ください! 今月の回答者は、上澄眠さん・鈴木美紀子さん・野原亜莉子さんの御三方です。


【2021年7月のお題】

ストローを色駆けのぼるソーダ水

  本井英


【作者について】
本井英(1945-)は、埼玉県生まれ鎌倉育ち、現在は逗子在住。「夏潮」主宰。俳句界屈指の「虚子マニア」であり、1936年の虚子の120日の旅の軌跡を追った『虚子「渡仏日記」紀行』(2000年)は労作。虚子の小説を丁寧に読解・整理した『虚子散文の世界へ』(2017年)では俳人協会評論賞を受賞。2019年、鴫立庵の第二十三世庵主に就任。毎夏、虚子の疎開地である小諸市で「こもろ日盛り俳句祭」をオーガナイズ。アロハと口髭の似合う鯔背な男。


【ミニ解説】

季語の「ソーダ水」(夏)は、炭酸水のこと。最近はハイボール人気ですが、ノンアルコールであれば、メロンソーダなど、シロップで色をつけて飲むことが多いと思います。掲句も「色駆けのぼる」ですから、きっと青か緑のどぎつい色のドリンクが、半透明のプラスチックのストローを口のほうへと吸い上げられていくのでしょう。

でも、この句で表現されているのは、たったそれだけのこと。どんな状況かも、どんな場所なのかも、どんな人なのかも、描かれてはいません。

どんな状況でしょうか? 家族の日曜日でしょうか。初デートでしょうか。 法事でしょうか。どんな場所でしょうか? 家でしょうか。ファミレスでしょうか。海でしょうか。どんな人でしょうか? 子供でしょうか。恋人でしょうか。作者自身でしょうか。

すべての答えがありえるのではないかと思うほど、この句は「ストロー」の中をつつつ、と動く「ソーダ水」だけに注目しているのが魅力です。あの「つつつ」は、誰もが見たことのある動きなのに、あえてそれを「作品」として描こうとは思いませんからね。

ついでに言っておきたいのは、「ソーダ水」というレトロな響きのこと。銀座の資生堂パーラー(当時はまだ薬局)が、日本初のソーダ・ファウンテンとして開業したのが1902年のことです。バーカウンターとかにあるレバー式の炭酸水が出る簡易装置、アレのことですね。アメリカでは、炭酸水が「ソーダ水」と呼ばれていたのは1940年代までで、戦後になると「スパークリングウォーター」などの新語が生まれたそうなのですが。

一方で、「タンサン」だって歴史的なことば。1890年ごろ、イギリス人のクリフォード・ウィルキンソンがたまたま天然の炭酸鉱泉を発見して、そこから生まれたのが「ウヰルキンソン・タンサン」です(1904年に改称)。でも「炭酸」は夏の季語とは見なされていません。きっとそれは商品名だったからなのでしょうね。

ちなみにフランスでは、レストランなどで有料の水を注文すると、炭酸入り(ガズーズ)か炭酸なし(プラット)かを選ぶことになります。そのむかし、炭酸水は薬事法の処方箋によって作られていた「薬」で、お医者さんの独占物でした。水の質が悪かったことにくわえて、19世紀にコレラが流行したときにも大活躍。そんな事情もあって炭酸水はいまでも人気の飲み物なのです。街中には、炭酸水が出る水飲み場があったりするほどです(滅多にありませんが)。

それと比べると、やはり日本は水の豊かな国なので、それほど炭酸水が求められることがなかったのでしょう。だからいまでも、炭酸はちょっと「特別な飲みもの」。掲句のソーダ水も、きっと「特別」な場面――子供がちょっと不器用そうに飲んでいるとか、デートで緊張しているとか――なのでしょう。想像する場面次第では「色」の動きや勢いも、読み手によって変わってくるかもしれません。

ちなみに、環境に配慮してプラスチックのストローは世界的に「禁止」になりつつあります。紙ストローだと半透明ではないため、「色駆けのぼる」はあと数十年もたてば、すっかり過去のものになってしまうのかもしれません。



コロナ禍の自粛生活で少女期に戻ったような生活をしている。女子校に通っていた頃、わたしは自由に散歩もさせてもらえなかった。長い夏休みは一人ぼっちで冷房の音を聴きながら、勉強をするふりをして本を読むか人形と遊ぶ他なかった。人形にまつわる空想が世界のすべてになったのはその頃からだ。 

夏休みが終わったら、うんざりするほど騒々しい女子校に戻る。放課後は学校で禁止されているファーストフード店に行って、どぎつい色のメロンソーダを飲むのだ。女の子たちはまだ全然現実的ではない恋バナをしながら、メロンソーダで緑色になった舌を見せ合って笑うだろう。

あれから外の世界に出て外国にまで行くようになったのに、またここに舞い戻ってしまった。奇妙に捻れた時間の中で、人形だけがリアルだ。でもこの自粛生活もきっともうすぐ終わる。大丈夫。どんなに長い夏休みだっていつか終わる事をわたしは知っているから。

(野原亜莉子)



気泡の弾けるひかりの刹那を決して逃がさないで。きみに逢いたくて、きみに零れたくて遠い時間を駆けのぼってきたのだから。架空という空には飾られた青が冴え冴えと含まれていて、分かり合えないほどに眩しい。あざといくらい鮮やかな色のソーダ水は果汁0%の真実。その人工の甘さは拙いダイヤローグを演出するための痛々しいアクセサリー。テーブルをはさんで運命と戯れるための姑息なモノローグ。早くきみに流れ込みたい、灼けつく砂地に辿り着きたい。だけど、気泡の破ける音は五線紙の端を掠めるばかりで、さざ波のピアニッシモには届かない。ささやきの粒子は過剰なルビの切なさでちりちりと散ってしまうだけだろう。でも、大丈夫。果汁0%の甘さは果実を殺していない証しなのだから。受け継がれてゆく命を奪わなかった夢なのだから。どうか安心して。きみを傷つけたりしないというト書きを加筆したのは、わたしの吃音めいた鼓動が、きみの沈黙する永遠に追いつきたい一心の仕業でしかなかったのだから。ソーダ水の発色の意訳はきみの身体に吸収され、濾過され、透きとおり、記憶のシルクスクリーンにきらきらと放射されてゆく。ストローの端にくちびるの淡い発熱だけを残して。それはたぶん、きみとわたしの公然の秘め事。

覚えていますか?
ずっと忘れていましたか?
いつか思い出してくれますか?
あの夏、失い続けた促音の羅列を。
きみの喉を締め付けた潮騒の旋律を。

(鈴木美紀子)



歩き疲れて入った喫茶店には、緑だけでなく青色のクリームソーダもあった。隣のテーブルの二人連れがソーダ水に負けないくらいきらきらした目で写真を撮っているのを横目で眺めながら、どんな味がするんだろうとぼんやり思う。

それなら自分も注文すればいいのだが、炭酸があまり得意ではなくて、全部飲み切れる自信がない。さらに、慢性的な鼻炎のせいで食物の香りがほとんどわからない。本当かどうかわからないが、かき氷のシロップはどれも同じ味で、色と香りで違う味だと認識させている、と聞いたことがある。もしもソーダ水にも似たようなことが言えるのなら、何の味かわからない可能性大だ。

あのきれいなものが体に入ったら、どんな気持ちになるだろう。 あの喫茶店のある町から遠く離れて暮らしている今も、夢見るように考えることがある。

(上澄眠)


【今月の回答者のみなさん】

◆野原亜莉子(のばら・ありす)
心の花」所属。2015年「心の花賞」受賞。第一歌集『森の莓』(本阿弥書店)。野原アリスの名前で人形を作っている。
Twitter: @alicenobara


◆鈴木美紀子(すずき・みきこ)
1963年生まれ。東京出身。短歌結社「未来」所属。同人誌「まろにゑ」、別人誌「扉のない鍵」に参加。2017年に第1歌集『風のアンダースタディ』(書肆侃侃房)を刊行。
Twitter:@smiki19631

◆上澄 眠(うわずみ・みん)
1983年生まれ。神奈川出身。心のふるさとは広島。四月から島根県民になりました。塔短歌会所属、「まいだーん」に参加。
歌集『苺の心臓』(青磁社)
Twitter:@uwazumimin

【来月の回答者は上澄眠さん、鈴木晴香さん、三潴忠典さんです】



【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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