はらはらと水ふり落とし滝聳ゆ 桐山太志【季語=滝(夏)】

はらはらと水ふり落とし聳ゆ

桐山太志

 古本屋に売った本を自分で買ってしまったことはありますか?私はあります。しかも8割くらい読むまでそれに気が付かなかった。見たことのある栞が複数出てきたのだ。どう考えても私のフォーマット。これはもうこの本が大好きなのだということだから、ずっと手元に置いておくことにした。それも繰り返す引越の中でどこかにいってしまった。誰かにあげたような気もする。

 比較的記憶力は良い方だったが、記憶力が良いということは悪い記憶まで残ってしまう。そのことに随分苦しめられたので忘却力を強化することで人生の荒波を乗り切ってきた。それでも心が動いたことは記憶に刻みつけられる。季語を覚えることができたのはその一つ一つに少なからず心が動いたからだろう。といっても何度も句会に出ていれば自然に覚えていくのだけれど。

 悪い記憶を消したければ紙に書くのがおススメだ。書くという行為を通じて「これは忘れて良いもの」と脳が認知するらしく、忘却リストに追加される。完璧な買い物メモを書いたのにそれを忘れて一つも思い出せなかったことがあり、その説を信じることにした。

 それでも忘れられなかったらなるべく克明に何度でも書く。そうすると事柄がだんだん整理されてきて、解決策や心の整理法が見えてくる。やってみたら、結局全部人のせいにしている自分に気づかされた。

 忘れる方法には自信があるが、覚える方法はもう少し探りたい。

はらはらと水ふり落とし滝聳ゆ

 この句では落ちていく滝の主流に視点を置いていない。そもそも滝は聳えるものという前提に立っているのだ。「聳える」は山などが高く立つことを指し、そそり立つという言い換えもできる。どちらかといえば下から上に向かうものだ。柱のように聳えている滝でも必ず左右に主流から外れた流れがある。「はらはらと」落とされているのだから支流にすらなっていない水しぶきであろう。その水しぶきを本流にふり落とされたと見立てた。

 すっと心に入ってきて惹かれる句であったが、その理由が本稿を書いているうちに明らかになってきた。ふり落とされる水があるからこそ滝は聳えることができるのだ。滝はもちろん立派だがそこに必ず発生する「主流にふり落とされたもの」を堂々と描いている。その視点の幅広さに惹かれてしまったようだ。

 冒頭のエピソードは本集の〈売りし本買はれずありし帰省かな〉からの発想。このエピソードを書きたいがためにこちらの句をとりあげそうになったが、本句集から何か一句を選ぶという視点では滝が勝ったのでどちらも生かすことにした。

『耳梨』(2023年刊)所収。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】



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>>〔133〕新人類とかつて呼ばれし日向ぼこ 杉山久子
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