季語・歳時記

【秋の季語】秋刀魚

【秋の季語=晩秋(10月)】秋刀魚

【解説】「もう下界はらんまんの春、りょうらんのさくら、此処にいてさんまんの僕は『さんまの味』に思いわずらう」と母親が亡くなったあとに書いたのは、映画監督の小津安二郎でした。ご存知のとおり、小津には『秋刀魚の味』と題された作品がありますが、この作品が世に出た1962年の2月に、最愛の母あさゑは他界しています。そして翌年の12月12日、つまり小津自身が60歳を迎える誕生日の日に、小津自身もまたこの世を去ることになりました。

振り返ってみれば、小津安二郎は晩年に〈秋〉を主題とする作品を立て続けに撮っています。『彼岸花』(1958)、『秋日和』(1960)、『小早川家の秋』(1961)、そして先ほどの『秋刀魚の味』。『小津安二郎の俳句』の著者である松岡ひでたかは、「余白」と「省略」という俳句的技法が、小津映画の特徴であると語っています。俳句の上では、久保田万太郎の俳句に憧れ、日記に句を写しとっていた小津でした。

モノクロ映画を撮り続けてきた小津ですが、1958年からはカラーに移行。作品に色彩が加わったことにくわえて、『秋刀魚の味』には、『彼岸花』や『秋日和』に登場する小料理屋さん「若松」が登場していて、女将役の高橋とよとともに、ひとつながりの世界観をつくりあげています。平山周平(笠智衆)が、中学の同級生である河合(中村伸郎)、堀江(北龍二)と3人で酒を飲みながら、きたるべき同窓会などについて、語り合っています。

同窓会では、かつての恩師「ヒョータン」こと東野英治郎の姿も。酒に酔った恩師を自宅まで送ると、そこは「燕来軒」という場末の中華そば屋で、初老にさしかかった娘(杉村春子!)とふたりで切り盛りしながら、なんとか生計を立てていることが発覚。そこでは、〈老い〉が標準的な意味で「美しい」とはいいがたいかたちで、描かれているといえましょう。

主人公の平山周平は、長女・路子(岩下志麻)を「嫁に出す」ことをしぶっていたのですが、この〈老い〉との邂逅を通じて、少しずつ縁談話に動き出していきます。途中、路子には気になる人が出てきたりするものの、最終的には見合い話を受けることになり、「嫁にいく」ことになります。

しかし、この映画のなかにタイトルの「秋刀魚」が出てこないように、肝心のお見合いの場面も、路子の夫となる男の姿も、ましてた結婚式の場面さえも、出てきません。そこは意図的に「省略」されているのであり、その「余白」のなかに小津が観客に、いや読者に想像することを託した部分があるのでしょう。

さてこの映画の製作中の1962年はじめ、母の死に際して小津が日記に書きつけていた言葉をもう一度振り返ってみましょう。

もう下界はらんまんの春、りょうらんのさくら、此処にいてさんまんの僕は『さんまの味』に思いわずらうさくらはぼろのごとく憂鬱にして、酒はせんぶりのごとくはらわたににがい」。

ここで強調されている「さんまの味」は、ジューシーな脂でも、ふっくらした身でもなく、苦味のあるはらわたです。酒を飲んでも流しきれない「苦味」。それは時の経過とともに老いてゆくというさだめ、あるいは戦争がひとびとに残した爪痕、そして最愛の娘を「嫁に出す」ことの苦しみ。

橋幸夫と吉永小百合「いつでも夢を」を歌った1962年(翌年、夜間学校に通う高度成長下の若者たちの青春群像劇として映画化)、16歳でデビューした中尾ミエが『可愛いベイビー』が大ヒットした1962年、すでに『シャボン玉ホリデー』でクレイジー・キャッツが爆笑をさらっていた1962年、この時代の〈明るさ〉の裏側にあるものを「余白」のなかに描きこみつつ、私たちに『秋刀魚の味』という作品を残して、小津はこの世を去っていったのでした。

小津が憧れていた久保田万太郎は、1889年生まれで、やはり1963年に亡くなっています。赤貝をのどにつまらせて死んだといわれていますが、この急逝の半年前に詠まれたのが、かの有名な〈湯豆腐やいのちのはてのうすあかり〉でした。小津は、この句を生前目にすることがあったのでしょうか。いや、仮になかったとしても、高度経済成長気において彼が感じた「さんまの味」と、この「湯豆腐」の「味気なさ」は、どこかしらひとつづきであるような気がします。

【関連季語】鰯、秋鯖、鮭、湯豆腐(冬)など。


【秋刀魚】
病めば遅足秋刀魚のあかき目にも見られ 古沢太穂
さんま食いたしされどさんまは空を泳ぐ 橋本夢道
風の日や風吹きすさぶ秋刀魚の値 石田波郷
全長に回りたる火の秋刀魚かな 鷹羽狩行
火達磨となれる秋刀魚を裏返す 柴原保佳
もの言へば動き出しさう秋刀魚の目 桝谷栄子
うらがえすやもう一つある秋刀魚の眼 五十嵐研三
腹立てて愚かに秋刀魚焦がしたり 西村和子
飛びこんで炎の中に秋刀魚あり 長谷川櫂
私小説さておき秋刀魚焦がすかな 櫂未知子
久々に青空を見し秋刀魚かな 岸本尚毅
銀の強き秋刀魚の並びけり 如月真菜
寝返りを打たせるやうに秋刀魚焼く 堀切克洋
頭なき秋刀魚並びてかはいさう 江渡華子

【秋刀魚焼く】
さんま大漁その一ぴきの焼かれけり 久保田万太郎
夕空の土星に秋刀魚焼く匂ひ 川端茅舎
新宅のまだ整はず秋刀魚焼く 鈴木花蓑
秋刀魚焼いて火逃げし灰の形かな 阿波野青畝
秋刀魚焼く煙の中の妻を見に 山口誓子
秋刀魚焼かるおのれより垂るあぶらもて 木下夕爾
あす死ぬるいのちかも知らず秋刀魚焼く 三橋鷹女
忿り頭を離れず秋刀魚焼きけぶらし 三橋鷹女
さんま焼くや煙突の影のびる頃 寺山修司
荒海の秋刀魚を焼けば火も荒らぶ 相生垣瓜人
秋刀魚焼く煙の逃ぐるところなき 菖蒲あや
秋刀魚焼いて泣きごとなどは吐くまじよ 鈴木真砂女
秋刀魚焼くどこか淋しき夜なりけり 岡安仁義
はてしなき夫婦の枷の秋刀魚焼く 小林康治
不器用に生きて器用に秋刀魚焼く 吉田幸子
福耳の妻と暮らして秋刀魚焼く 山本静桜
関東平野に雨が一粒秋刀魚焼く 清水哲男
七輪を出せこの秋刀魚俺が焼く 吉田汀史
煙ほど秋刀魚焼けてはをらざりし 山本素竹
夕暮の物音親し秋刀魚焼く 西村和子
秋刀魚焼くレモンのやうな月が出て 西村和子
秋刀魚焼く真上あかるき火星かな 仙田洋子
働きし化粧のままに秋刀魚焼く 依光陽子
明るさは私のとりえ秋刀魚焼く 矢野玲奈
帰国せし夫にもくもく秋刀魚焼く 白石渕路
ゴーグルをかけて秋刀魚を焼いてをり 抜井諒一

【焼秋刀魚】
食べ方のきれいな男焼秋刀魚 二瓶洋子

【秋刀魚買ふ】
江戸の空東京の空秋刀魚買ふ 攝津幸彦
よく晴れて秋刀魚喰ひたくなりにけり 和田耕三郎

【秋刀魚食ふ・食ぶ】
秋刀魚食ひ出世無縁の口拭ふ 福田蓼汀
火だるまの秋刀魚を妻が食はせけり 秋元不死男
腹わたはどうも苦手や秋刀魚食ぶ 高木晴子

【青さんま】
遠方の雲に暑を置き青さんま 飯田龍太
これは一槍と呼びたき青秋刀魚 鷹羽狩行

【その他】
星降るや秋刀魚の脂燃えたぎる 石橋秀野
十月や顳さやに秋刀魚食ふ 石田波郷
雪催ひ秋刀魚買はんと引つかへす 榎本冬一郎


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