蝸牛いつか哀歓を子はかくす 加藤楸邨【季語=蝸牛(夏)】

蝸牛いつか哀歓を子はかくす
加藤楸邨

 この句を目にすると、あぁ思春期にさしかかれば子どもは親から離れていってしまうものだよね……と、共感する人は多いだろう。子どもがいる人は自身の子育てを振り返り、子どものいない人は自身の子ども時代を思い返して鑑賞するのだろうか。
 そのような解釈も間違いではないのだが、この句が詠まれた時代を考えると、もう少し状況は変わる。この句は楸邨の第二句集『颱風眼』に収められているのだが、句集が発行されたのは昭和十五年。この頃の日本は、昭和十一年の二・二六事件の翌年に日中戦争が始まり、昭和十五年には欧州のファシズム国家であるドイツ、イタリアと三国軍事同盟を結ぶなど太平洋戦争に突入する前夜であった。同句集中には、中国大陸に出征し亡くなった知人について詠んだ句もある。まだ戦火は日本本土には及んでいなかったが物資不足が深刻化し、燐寸や砂糖は配給制となり、京大俳句事件のような言論統制も厳しくなる不穏な社会情勢であった。
 掲句には「長男穂高やや病身」と前書きが付されている。これよりも以前に、二歳の長女の病死を経験している楸邨にとっては、息子が無事成長するかどうか、ただでさえ心配が尽きなかったのだろう。そこに加えての時代の重苦しさが「蝸牛」という、自由にものが言えずに内に籠るような季語を引き出したのではないだろうか?見慣れたはずの有名句であっても、詠まれた時代の背景を考えるとまた違った「読みの風景」が広がる。
 この度の「ハイクノミカタ」の連載では、子どもを詠んだ句が、時代によって読者の解釈が変わってゆく可能性を論じた。かつて子どもの数が多かった一方で、幼児死亡率も高かった時代に詠まれた句が、現代のような、少ない子どもに医療や教育をふんだんに与えて大切に育てることが可能な時代に生きる我々からまったく違ったまなざしで読み解かれるケースはいくらでもあるだろう。前回取り上げたように、学校行事の内容も様変わりした。今の小・中学生が大人になる頃には、「運動会」を秋の季語として扱った先行句などは全く理解されない可能性が否めない。
 子育ての環境も様変わりしている。一例として、NHKの朝のテレビ小説で有名となったデザイナーの小篠姉妹の母親は、夫を戦争で失い、必死で洋裁店を切り盛りしながらも三人の娘たちに多くの習い事をさせていたという。現代の私たちから見れば、経済的に多少の無理があっても、子どもの可能性を広げることには積極的な教育熱心な母親と思われるだろう。だが実情は、店が忙しい時に子どもたちにまとわりつかれては商売にならず、そうかと言って小遣いを与えて好きにさせていては、近所の年上のワルとつるんで店の評判を落としかねないため、結果として、託児所代わりのように多くの習い事に通わせていたのだという。あくまで親の仕事の都合による習い事通いである。一方、現代はどうだろうか。仕事を持つ親であっても時短勤務で早く仕事を切り上げて習い事先へ迎えに行ったり、放課後の学童保育施設に保育料を余分に払って、習い事先への送迎を頼むことがある。実はこの原稿を書いている今も、筆者は中学生の子どものピアノのレッスンが終わるまでの限られた時間を、必死で執筆に充てている。筆者自身もピアノを習ってはいたが、親が共稼ぎであったため習い始めた小学二年生の最初から一人でバスに乗って行き帰りしていた。学習塾に通った際も、日の沈んだ畑の脇の道を懐中電灯を手に一人で歩いて帰っていた。筆者が子どもであった昭和の終わり~平成の頃の小学校の同級生たちを思い返しても、現代のように親が子どもの送迎に奔走していた記憶がない。もはや、子どもを詠んだ俳句は「かつて自分が子どもであった頃の記憶」に頼って解釈することは難しくなっている。
 さらに現代は、生涯独身率が高くなり、出生率の低下は加速度的に進んでいる。結婚や出産育児をしないという選択をした人たちにとっては、他所の子どもですら、日常生活の中の風景からどんどん見えなくなっている。
 子どものことを詠んだ句は、生活に密着してありふれた景を詠むから「甘くなる」「個人や家族の人生の記録や記念にはなるが、世に問うほどのものではない」と言われてきた。だが、今後は子どものいる風景は「ありふれたもの」から「珍しいもの」へ変化する。そのような社会情勢の変化の中で、子どものことを詠んだ句を解釈する際に、読者の子ども時代だけの記憶に頼って、直ちに「甘い」と断じてしまう態度であたるべきではない。子どもを詠んだ句は、我々が生きている社会の変遷を映す鏡となりうる。そこに子どもの俳句を詠む/読むことの可能性が広がるのだ。

渡部有紀子


【執筆者プロフィール】
渡部有紀子(わたべ・ゆきこ)
天為」同人。第37回俳壇賞、第9回俳人協会新鋭評論賞第1句集『山羊の乳』(第1回初花賞)。俳人協会会員。藤沢市俳句協会会員。



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