ハイクノミカタ

永遠に下る九月の明るい坂 今井聖【季語=九月(秋)】


永遠に下る九月の明るい坂

今井聖

俳句総合誌のグラビアで、ベンチプレスをしているタンクトップ姿の今井聖を見たとき、鎧のような「肉体」と、時としてクッションのような「言葉」のギャップをどう理解すればよいのか戸惑った。

実際に掲句でも、まるで一瞬を永遠と錯覚させるロマンが、とても平易で口語的な言葉で語られている。字義通りに読めば、日当たりのいい坂の上に自宅があり、そこを下って最寄りの駅へと歩いていくことが、日常にあるのだろう。

そのことを「永遠に」と言ってみたとき、あるいは「九月」という快適ではあれ、木々が葉を落とし始める時期に限定したとき、坂を下っている作者の鎧のような肉体はふっと消え去り、まるで人間が誰ひとりいない「九月の明るい坂」だけが、ぽつんと残されているような印象を受ける。

作者の死後もずっと残りつづけるであろう「坂」は、おそらく新興住宅地か何かの、名もなき坂なのだろう。まるで名前を知らない美しい草花を、押花にしてそっと持ち帰るように、作者はその坂に「九月の明るい坂」という名前を与えることによって、永遠にしようともくろむ。

その目論見が失敗を宿命づけられていることを知っている読者は、この「悪あがき」を鼻で少し笑いながらも、やはり終末や衰えに対する不安に駆り立てられるのではないだろうか。『九月の明るい坂』(朔出版、2020年)より。初出は、「週刊俳句」2016年9月25日号

このときに同時掲載されていた〈笑はない家族九月の砂の上〉を、毎日新聞で坪内稔典が取り上げていたが、曰く「この作者、シナリオライターでもあるが、この句、「九月の砂の上」という映画の一場面みたい」。

それでいうと、すぐに頭をよぎるのは「八月の濡れた砂」だろうか。藤田敏八が、日活がロマンポルノに移行する直前に撮られた1971年の映画だ。

学園紛争敗退後の1970年代の「しらけ世代」の気だるく無軌道な若者達の退廃を描く。舞台は湘南の海。主題歌は、石川セリが歌った。

今井聖の句における「ロマン」は、山口誓子や加藤楸邨と同等か、それ以上に同時代の文化環境から影響を受けているのかもしれない。

2浪をして作者が大学に入学したのは、まさに1971年のことだった。

(堀切克洋)


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