神保町に銀漢亭があったころ【第76回】種谷良二

どこでもドア

種谷良二(「櫟」東京支部長)

日記を見ると、私が銀漢亭にお世話になったのは、一昨年の8月21日から緊急事態宣言発令前の本年3月6日までの約1年半の間に15回。新参者故ここに登場させて頂くのは烏滸がましいが、「銀漢亭ロス」は極めて重い。

期せずしてたった1年で終わってしまった愛媛・松山での単身赴任生活が俳句との出会い。子規記念博物館の俳句講座に通い、松山の結社「(くぬぎ)」に入会。東京に帰って来て友人等誘って東京支部を立ち上げ、現在支部員20数人の体制。主宰や仲間から遠く離れ見様見真似で句会を開催しているが、やはり致命的なのは俳句界の情報不足。「銀漢亭」という俳人が集う居酒屋が神保町にあることは知っていたが、訪ねる勇気なきままに。一昨年現役を退いて少し時間ができたので句友と恐る恐る訪問。伊那男先生の『漂泊の俳人 井上井月』を抱えて。

訪ねてみたら、心配をよそに伊那男先生が親しく対応してくれ、持参の本には揮毫まで頂きリラックス。お客さんも一見の我々を俳句談義に加えてくれた。その後はずっと一人で訪問。カウンターでその曜日担当の谷口さん松代さんと世間話をしながら耳を傾けていると、彼方此方で俳句談議が盛り上がっており自然にその輪に入れてももらえた。毎回著名な俳人の皆さんとお話ができた。

ある日昼休みに職場近くの本屋で「俳句αあるふぁ」の座談会の記事を立ち読みしたのだが、まさにその日の夜カウンターでふと横を見るとその座談会の当事者の対馬康子さんが飲んでいたので吃驚。武田禪次さん屋内修一さんが愛媛県出身だと知り愛媛話で盛り上がったことも。阪西敦子さんが俳句甲子園の審査員を終えて松山から手土産持参で来店されたときにも丁度出くわしたりもした。お笑い芸人で俳人のガイさんのようにその後度々我々の句会にゲスト参加してくれるようになった人もいる。

銀漢亭の扉は私にとって俳句界へ通じる不思議な「どこでもドア」だった。毎回そこを開けるとどんな俳句の世界に行けるのかワクワクし、店を後にする時には必ず充実感で一杯だった。昨年末には初めて席題句会のメンバーにも加えていただき、これからという時に閉店で残念至極だ。

通う中で、伊那男先生には松山で毎年開催する結社のイベント「櫟祭」でのご講演をちゃっかりお願いしご了解を頂いた。今年はコロナで実現できなかったが来年は松山にご案内して酒を酌み交すのがを楽しみだ。

伊那男先生お疲れさまでした。そしてありがとうございました。


【執筆者プロフィール】
種谷良二(たねや・りょうじ)
1958年東京都生まれ。「櫟」殻斗集同人兼東京支部長。俳人協会会員。



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